62.鈍い光① -鈍い光-
前回:「ボク、花登ちゃんをうちのこにしたい。
……うちのこにして、この子のお母さんマァマになるのよぅ……」
フィーが肌身離さず持ち歩いていた、大切な「たからもの」。そして彼女のいたましいまでの決意を掛け金に捧げ、イチヘイたちは花登を自分たちの手元に留めることに成功した。
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勝利は鈍色をしていた。
握っているとすぐにイチヘイの体温で温くなってしまうほどの、あまりに小さく、安っぽい鍵だった。
「――手ぇ出せ、花登」「ぁい」
しかしこの小さな鍵一本のために、イチヘイたちは戦ったのである。すぐ隣ではフィーが食い入るように、少し離れて壁際ではカナイナがおずおずと、彼と彼女の手元を見つめている。
それからカチャカチャと金属同士が小刻みに擦れる音のあと――――ガチャリ、じゃらりと、花登の枷は一つずつ外されて行った。
最後に、ゴトン、と響く重い音。
……そして木の床に鉄の首輪が放られれば、それで彼女は自由だった。
解放された瞬間、まず花登は肩と首を解すような動きで軽く身動ぎし、それから改めてイチヘイと目を合わせてくる。
「……あい、あと……」
イチヘイは黙って頷き返した。
「ハナトちゃん……」「おっ、おめでとうっ……、ハナトくん」
そうして横から飛ぶ二人の言葉に、花登が振り向く。すると彼女はまず最初にフィーを見上げ、何か言おうとした。だが、それは唐突に後ろから聞こえてくる ざらついた男の声に遮られ、その唇は怯えた顔と共に閉ざされてしまう。
「おい若造。数日待て、お前が払った金の倍額出そう。その商品を我に譲らないか?」
ちなみに未だ部屋に残る部外者は、ソルスガ、アナイ、ニカナグ、アザラだ。
月輪族の護衛二人は、五分と廊下のクズどもを引き連れて先にどこかに行ってしまったが、その他の面々は未だこの部屋に居座っていた。
ゆえにイチヘイはゆっくり立ち上がって振り返ると、キツネ目の男をじっと見下ろしながら威嚇した。
高慢な話し方が鼻持ちならない。返すイチヘイの声の端には、隠してもなお滲む不快感と敵意があった。
「話すことは何もない。
ここは俺たちの家だ、帰ってくれ」
―~****~―
『――ぐっ、なら、三倍でどうだ! ……日さえ置けるなら千! 千出してもいいんだぞ!』
値がつり上がれば上がるほど、静かに敵意を剥き出していくイチヘイ。その姿を、ソルスガは肘をつきながら感銘をもって見つめていた。
そろそろ助け船を出してやろうか。
それにこちらの男はもう客でもなんでもない。取引は成立しなかった。
だからこのハウ=アザラという男は、あとは護衛たちに護送させた五分たちの取り調べと平行して、実際の身元と背景を洗う程度の関わりしか持てない。二度と客に選ぶこともないだろう。
「アナイ」
そうして軽く呼ぶと、口ひげの彼がすぐ傍らまで滑るように寄ってくる。
「アザラ氏をお送りして差し上げて」
「……は? いえ、しかし、この得体の知れぬ者たちと若旦那さまお一人は……」
「どこがだい? 生き残ったおひいさまとお大師さまの養子だぞ?」
へらついた笑みと共に斜めに向けた首で見上げると、またか、とばかりに迷惑そうな表情をされる。しかしすぐにその顔は逸らされた。
その背に、「あとは頼んだよ」と声を投げる。
体はやや小柄でもアナイの強さは本物であり、おまけに仕事もできるのだから本当に良くできた雑用がか……側近である。
そんなアナイの少々手荒な威圧に、『ペリタ新皇国の軍人である』とソルスガが目算をつけた男は、半ば強制的に連行させられていった。
……あまり強そうには見えなかった。本当に軍人ならば、文官の可能性も視野に入れよう。
「……さて、煩いのはいなくなったね?」
それから一言そう発すると、当然のように全員の視線がソルスガを向く。
しかし表情を見るに全員彼に思うところがあるようだ。そろって、『なぜこの男はまだここにいるんだ』という空気を醸して見つめてくる。
……気持ちは分かるが辛辣である。
ソルスガはただ、素晴らしい形で勝利を手にした彼らと話して帰りたいだけなのに。
またも、やや寂しい気持ちになりながらソルスガは微笑む。一度、この場に残る全員の顔を眺め渡した。
唐突に始まった先ほどのオークション。
イチヘイがこの場に介入してきたときには何事かと驚いた。
そして並々ならぬ覚悟を湛えた目で子供を買うと宣言し、その額を躊躇いなく引き上げていく様にも驚嘆していた。
ソルスガは立場上 観客でいられるのが面白く、内心では彼を応援しながらもついつい煽って値を吊り上げてしまったが、だからこそ気になる。
イチヘイは、有り金すべてを投じた。
狛晶族のカナイナと名乗った、この通りすがりの客人も同様のようだ。
その上フィー嬢が出してきたあの頭飾品……。商品に骨董やアクセサリーを扱うこともある関係上、ソルスガもあの頭飾りの正体がなんたるかは把握している。
そのため手に入れられたこと自体は大きな収穫ではあるものの、立場上、フィー嬢の境遇を耳にしたことのあるソルスガからしても、彼女がこれを手放したことは俄かに信じられなくはあった。
……つまりこの場にたつ幼女への出資者三人、それぞれにソルスガには全く理解できない行動をとっている。
「すまない、貴君たちに少し質問があるだけだ。貴君ら三人、力をあわせてその子を買ったね?
私は、あの場面にはいたく感動してしまった」
だからこそ訊きたかった。結局、あの頭飾品も含めて、彼らは昨今の市場価格の十倍近い値段で花登を買い取っていった。しかし奴隷という財産は、まさか焼き菓子のように三分割するわけにもいかない。
ハウ=アザラ然り、彼ら然り、
「――貴君らは、一体どうしてそこまで……こんなどこにでもいるような身元も知れぬ童女一人に入れ込むんだ?
……この子は一体、何者だい……?」
知れれば、こちらの調べも少し進むだろう。
すると、めいめいに微妙な身動ぎと共に間が空く。何か答え難いことでもあるのだろうか。
……が、その中で真っ先に口を開いたのは、フィー嬢だった。
「あのね、花登ちゃんはイチヘイと一緒なの」
瞬間、何を察したのかギョッとした表情のイチヘイが、傍らのその口を塞ぎにかかる。だが、おそらく彼がソルスガに一番聞かせたくなかった部分は、ソルスガの耳にもはっきり届いてしまった。
「花登ちゃんは〈稀人〉なモガッ」
「…………。」
よく通るいい声である。
わずかの静けさのあと、彼女を抑え込むイチヘイの、首だけがばっとこちらを振り向いた。
怨敵に向けるような、信じられないくらい怖い表情で睨まれている。
「あーー……」
様々な思惑が一瞬でソルスガの脳内を巡るが、ともかく今は、思わず半開きになってしまった口を閉じる。
彼にとっては今のフィー嬢の言葉一つが、点と点だった幾つもの疑問を繋ぐ、最後のひと欠片だった。
(〈稀人〉……なるほど、そういうことか)
ハナトが裏取引に回された理由も、ハウ=アザラの執着も、そして目前の彼の無謀なまでの献身も、全てが腑に落ちる。
(……本当にすごいな。驚いた。なんという美談なんだろう……)
拍手のように瞬きを重ねる仕草で感心してしまった。
〈稀人〉は迎えよとは言うが、市民個人の力で行うことには限界もある。相手が子供であれば余計だ。自分で世話をしきれないなら、下の村の寺院に投げてしまうのも手だっただろう。
――それなのに、全財産を。
あまりに美しい。同時にひどく納得がいってしまった。
しかし今はまず、イチヘイが自分に向ける誤解を解くのが先決かもしれない。
確かに状況としては彼も違法取引には関わってはいる。
この様子だと、それも全て知ったうえで彼はハナトに金を出したようだが――、恐らく彼は何か勘違いしている。違うのだ。
このまま放置すると、アナイのいない隙に彼に刺されそうな気もしていた。
その上彼は、ソルスガが誰であるか理解してなお、言葉遣いも粗野に歯向かって来ようとしている。その芯の強さと反骨心には、ソルスガはやはり尊敬の念すら覚えている。
……けれど丁度良いことに、こちらももう五分たちの身柄は押さえ終わっている。
アレらに見せていた『無自覚な支配者』の仮面を被る必要は、もうないのだ。それにこんなことでお大師さまとの間に確執を作るべきではない。
(ならば『私がここに何をしに来ていたか』を明かして、彼らを巻き込んだことを謝罪するのには、おそらく今が、絶好のタイミングだな……)
そう思って、ソルスガは目前のテーブルについた肘に顎を乗せた。
(……ついでに彼らを私の味方に引きずり込むことも、忘れないようにしなければな)
ソルスガは、目的のためなら自らの純粋な想いすら交渉のカードとして切る。それが自身の強さなのだと、この男はそれも良く熟知している。
故にこれからソルスガがすることも、全て二心ない本心である。
胡散臭さに自覚のある彼はやはり薄く微笑んで、鋭い瞳のこの男を口説き落としにかかるのだった。
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