61.繋がれた希望⑤ -ダウリー-
前回:もう彼女にあんな顔をさせずに済むのならと、全財産を花登の購入に注ぎ込むことを厭わないイチヘイ。しかし斯くして始まった花登購入の競り合いに彼の持ち金は一歩およばず、室内の空気は絶望に塗り込められる。
しかしそこに、傍観者であったカナイナまでもが参戦し、自分の有り金全部だ、として15エラを追加。事態は思わぬ方へ好転しだす。
=============================
❗本話投稿の本日、
注目度ランキング
【すべて】17位【連載中】12位
です! 応援ありがとうございます!
読了目安 4~7分
「…………なん、で……だ?」
沈黙。
皆、動くのも忘れて目を見開き、彼女をみつめている。
ゆえにイチヘイの口からポロリと漏れた言葉は、きっとその場の誰もが思うことであっただろう。
するとニカナグはイチヘイの方を振り向き、敬虔な信徒が神に祈るかのような静謐な口調で告げてくる。
「――良いんだ、使ってくれ。これは元々、イチヘイくんのものだったんだから。それに……」
かと思えばニカナグは、初めて見せる表情で悪戯っぽくニヤリと笑んでくる。
「……ワタシとキミたちは、協定のもとには『共犯』、だからね」
イチヘイは、理解できない善意に絶句する。先ほど、彼女が眇目たちにしていた行為もそうだ。イチヘイなら絶対しない。理解に苦しむ。
(何、の真意がある……?)
しかしその十五エラが、この場において唯一の、しかし貴重な一手であることは紛れもない事実だった。
「んえぇ、カナイナ先生……」
そこへフィーがふらふらと歩み寄る。相棒の、その感極まったような声を耳にすると共に、イチヘイの疑心暗鬼は一度はたと動きを止めた。
目にすれば長い耳が、カナイナにぎゅっと抱きついている。
「カナイナ先生、ありがとう……」「フィー、くん……」
そして相棒のその行動は、室内へ徐々にもとの緊迫感を引き戻すトリガーにもなっていた。ようやく、自分が競り負けていることに気付き出すアザラ。
「ぐっ……、ならばこちらも、コレが本当に最後だ、ここまで来れば仕方ない、三百十一……!」
唾を飛ばして叫ぶ。こちらの限界を知るがゆえの、あまりにせせこましい値上げだ。
しかしそこに重なる、よく通る澄んだ言葉は、この男が再び場の主導権を握ることを許さなかった。
「――ソルスガさま、あのね、これをね、見てもらえませんか」
それは、ニカナグから身体を離したフィーの声だった。
「っ、フィー、」
窓辺からさす雨天の、滲むような淡い光に照らされ、ずっと大人しく佇んでいた彼の相棒。
その突飛な行動に、イチヘイはサッとフィーの腕を掴みに行ってしまう。カナイナはともかく、この男に絡みにいってはダメだ。まともな様子を見せていても、この状況では相棒は何をしでかすかわからない。
慌ててフィーの見つめる先と本人との間に割り込むが、その間にもソルスガは子供に話しかけるような優しい口調で、相棒との会話を始めてしまっている。
「うん? なにかな、フィーゼィリタス嬢」
「あのね、ボクのたからものなの」
言って、ゆるい腕の拘束をやんわりと振り払いながら、フィーは自分の着ている青と緑の貫頭衣と、その下のシャツとの間に手を差し込む。その内側に縫い付けられた物入れを探って、中から片手のひら大の平たい革袋を出してきた。
今はこの獣人の『世話係』であるイチヘイにも、覚えのない持ち物だった。
「これなんですけど、ねえ」
しかしその袋からフィーが――――彼女が取り出して広げて見せたものの方には、イチヘイもはっきりと見覚えがあった。
エナタル山の、アビ士族。
その、士族長たる者の一族に伝わるらしい、頭飾りであった。
繊細に垂れ下がる幾本もの翡翠のビーズと柘榴石。小さな黄金の輪、大きな銀の輪、色とりどりの組みひもと房飾り。
頭に乗せ、耳の根本に引っかけて使う女もののアクセサリーだった。
彼女が両耳に着けている羽根や組みひも、金属の輪などもまた、アビ士族の戦士の証たるピアスであったが、こちらの飾りはそんなものよりよほど女性的だ。
イチヘイもまた『ああそういえばコイツ女だったな』と、そんなことを改めて認識しながら一瞬、その宝飾品の煌びやかさを見つめてしまう。
けれど一方、それを目にしたソルスガの目の奥からは瞬時に緩慢な穏やかさが消え、代わりに張り詰めたような鋭さが覗き出したことに、イチヘイは気付かない。変わらず部屋の入り口から、五分やイチヘイの動きを監視するアナイと目を合わせた彼は、お互いに目線だけで頷き合っている。
そこに重ねるように、フィーが言った。
「――これもね、りれいず? する!!」
きっぱりと部屋に響いたその言葉。刹那イチヘイの意識の底には、昔の記憶が過る。
フィーは、彼と同様にまだ大人と子供の境目だった頃までは、このアクセサリーを良く身につけていた。けれどそれは、イチヘイと二人でこの家を出る頃までにはぱったりと目にしなくなった光景ではあったのだ。
確かに、こんな高そうなものを街中でこれ見よがしに着けるなど、よほど治安のいい地域でなければ危ない。激しい動きをすれば目先にも被るゆえ、戦闘にも邪魔だ。
……だがまさか、それでもこのような形で肌身離さず持ち歩いているとは、イチヘイも思わなかったのである。
そこへソルスガが、急に商売っ気のある笑みを浮かべてフィーへと声を向け始めた。その声音には、沸き上がる興奮と恍惚を理性で抑えているような雰囲気がある。
「これ、は……素晴らしい一品ですね……。
アビ士族の婚礼衣装にも使われる、大変貴重な品ではないですか、フィーゼィリタス嬢。その、額飾りとして付いている|柘榴石一つ取っても、エラ金貨十枚か……、いや二十枚してもおかしく御座いませんよ……!」
するとその脇で、彼の講釈を聞いたアザラが俄然慌てだす。けれどイチヘイは、そんなことは今はどうでもよかった。
もう一度フィーの腕を掴みなおす。
「……フィー、良く考えろ」
このアクセサリーについて、彼が子細に自分から尋ねたことはなかった。全部昔、彼女が勝手に話しかけてきたのを聞き流しただけだ。
しかし、ここまで大事にして持ち歩くのだ。これがフィーの『宝物』であることに、嘘などないのだろう。
ゆえにその半分登った満月のような瞳を、確かめるように覗き込む。
判断能力があるのかないのか、よく分からない彼女までを巻き込む気は、イチヘイにはなかった。狂人の、一時の気の迷いで済む行いではないのだ。これは。
「んええ……?」
しかしそこにあったフィーの翡翠の瞳は、イチヘイが思うよりよほど強い光を宿し、けれどわずかに下がった短くて太い眉が、少し切なそうだった。
「いいの。……ボクもう、着けないから。それにね」
そこでスッと伸びて来た、天鵞絨のような滑らかな毛皮に覆われた細い指。
自身の腕の上にあったイチヘイの手の甲を外し、その上に、ソルスガへと翳していたそれをきゅっと握りながら託してくる。
「ボク、花登ちゃんをうちのこにしたい。
……うちのこにして、この子のお母さんになるのよぅ……」
「おまえ……」
……やはり、常軌を逸している。
いいや、それはもう自分も同じか。
しかしそれでも、イチヘイに託してきたものを惜しむ気持ちがフィーのなかにあることは、その寂しそうな顔。あるいはイチヘイの手の上から、『たからもの』を握ったまま離そうとしない拳の仕草からも明白だった。
「…………」
不愉快なことなど何もないのに、イチヘイはいま胸を埋めて締め上げてくる、名前のつけられない感情に鋭い面差しを細める。手からフィーへと視線を戻す。
フィーの言うことは、結局はじめから徹頭徹尾、何も変わらなかった。
……多少まともに戻ったとて……、嗚呼、やはり彼女のこの頑固さには辟易せざるえない。
正気と狂気の間を行き来して、それでも不安定な彼女が今 下したこの決断は、恐ろしくまっすぐな心で選んだ、純粋なそれに違いなかった。
だからイチヘイは結局、彼女に対していいぞと頷いてやることしかしてやれない。
――――そしてそれは今ここで、フィーの思いを――――彼の決断を後押ししてくれた彼女の想いを無碍にしないために、彼が最も成すべきことであった。
「……わかった」
たった一言。
それ以上は何も語らず、静かに受け取った。
こちらを見つめるフィーとわずか数瞬 視線が絡み合うと、長い耳を傾けながらこくりと一つ、大きく頷かれる。
十年付き合ってきた相棒とは、それだけで十分だった。
そしてイチヘイは、フィーと共にソルスガに向き直った。すぐに二人を見ていたカナイナと、それに花登までもがそれに倣いだす。
取引の卓上には、彼自身の積み上げたエラ金貨。
その脇に、カナイナがつないだ十五エラ。
イチヘイはその間に、相棒から託された『たからもの』をそっと置く。深い赤色をした鋭い瞳で、声高らかに宣言する。
「―――――再提示―――!!」
思わず立ち上がったアザラが、二人を睨んで歯噛みしだす。
*
――――その先がどうなったかなど、もはや言うまでもないことであろう。
一話はこちらから!
https://ncode.syosetu.com/n5835kq/2




