60.繋がれた希望⑦ -繋がれた希望-
前回:イチヘイは、これまで使うことなく貯めてきた金を、ハナトを買おうとするハウ=アザラ、一介の傭兵がそんな大金を持つと信じないソルスガの目前に、叩きつけるように積み上げて見せた。
しかし負けじとアザラも応戦し、物語は『ハナトの所有』を賭け、イチヘイの守るべきものへの意思とアザラの欲とがぶつかり合う、白熱した競り合いへとシフトしていく。
読了目安 4~6分
その後も、数字は驚くほどケチ臭く刻まれていった。
確信する。この男は出費を渋りたいのだ。
値を上げるたび、向こうの顔には苦渋を飲んだような色が浮かぶ。あるいはジリ貧の可能性も十分にあった。
しかしそれでも、確実に吊り上がって行く花登の買い値。
二三十エラ台はすぐに通りすぎ、次は二四三エラになる。
「二四四」
「二四七」
「二五十」
「ぐっ、このっ、二五五!」
一歩も譲りはしない。
互いに険しい目付きで値を刻み、見えない腹と財布の底を探り合う。
イチヘイと違い表情を隠せないらしい相手は、明らかに苦しそうな顔つきで歯噛みしていた。
「……さあ、まだお支払いの意思はございますか? イチヘイ氏?」
二五五と、アザラが上げた掛け値。ソルスガが銀鼠色の奥に、どこか期待を込めたような眼差しでイチヘイに問いかけてくる。その期待の意図など読めはしないイチヘイには、彼がこの状況を完全に愉しんでいるように見えて癪だった。
しかしこちらも、金額的に苦しくなってきたことは否めない。
思いのほか、額が伸びている。
使い道のない金を貯め込んできたイチヘイだったが、それとて当たり前だが無尽蔵にあるわけではない。この家に帰ってきてすぐ、今後の身の振り方を考えながら数えた全財産、(あれから少しは使いはしたが)今はしめて二九五エラと一〇八三ビニーある。そのうち既に、八割以上の支払いは確定している形だ。
……だが、それは別に良い。
イチヘイには持ち金を全て失うより、この小さな同胞を手の届かない何処かへ失うことの方が、よほど胸に重たかった。
大人としてはあまり誉められたものではないだろうが、事情を話せばしばらくこの家に身を寄せることも、あの師なら快諾してくれる。イチヘイに自覚は薄くとも、彼女を救うことは、確かにイチヘイ自身を救うことだった。
金など明日からまた、稼げば良いだけのことである。
(――……仕掛けるか)
ゆえにイチヘイは薄く顎を引くと、わずかに屈めた長身でテーブルの端に指をかけた。
拍動する胸。血腥い戦いとはまた別の感覚で気持ちが昂っている。気付いたら口許に微かに笑みを佩いていた。
コール。
「――――二八〇。」
一気に二〇エラ以上引き上げた。それでも軍資金の上限まであと十五エラ程度は余裕がある。
これでどうだ。
性格の悪そうな切れ長のつり目と視線をかち合わせる。
「っ、この、ならばっ――――」
……しかし、この瞬間に苦々しく狐目が上乗せ《リレイズ》してきた額は、彼の予想を越えた。
「―――三百! 三百だ!」
(!?)
「どうだ? さすがにこの額は出せまい!」
勝ち誇ったような表情。
図星を言い当てられたこと以上にその言葉が信じられず、わずかに眉を上げたイチヘイの表情からは一瞬、毒が抜けるように険しさが消える。
その変化の不穏さに一早く気付いたのは、彼の鋭い横顔を心配そうに見上げていたフィーだった。
「んえ、イチ……?」
控えめに呼ばれる。その直後には、またソルスガがイチヘイへと声を上げた。
どういうわけか、その表情にはフィーと同じくどこか気遣わしげな雰囲気がある。それでも、どこか取り繕うように飄々と問うてきた。
「……さて? イチヘイ氏? 更なる"積み上げ"はございますか?」
……瞬間、霧散していたイチヘイの現実が彼の内側へと収束する。
……外の雨音が部屋を埋めている。
「……」
イチヘイは口を開こうとして躊躇い、しかしそれは先ほど庭先でフィーにかけられなかった言葉のように、言わずに逃げることは許されないものだった。情けないことに、脚に感じるフィーの尻尾の生ぬるさに、どうにか口を動かす甲斐性をもらってしまう。
「……ない」
呟くように吐息で答えた瞬間、アザラの表情が確信した勝利に笑みの形へ変わった。ソルスガの視線が刹那、戸惑うようにアザラとイチヘイの間を交互に行き来した。
「店主! 早速これを持ち帰る準備を……」
「……イチヘイ氏、本当にか?」
「…………二九五エラが、俺の全財産でした」
スッと視線だけ動かし、ソルスガを睨むように見つめるイチヘイ。その、必要以上は語らぬ沈黙が答えの全てであり、同時に彼の背後に佇む花登の表情は、絵もいわれぬ絶望のいろにゆっくりと染まっていった。
また、それを聞いたソルスガも、恐らくは彼が遂げようとしていた計画の無謀さのためか口を半開きにし、刹那、声を失っている様子だった。
……けれどすぐ、それでも気を取り直したようにアザラへと首を戻す。
「……では、この品物はアザラ氏が落札と言うことで―――」
気色ばむアザラ。しかし、それは次の瞬間だった。
「――――……ま、まって?!」
部屋と廊下中に高らかに反響した叫びはあまりに場違いで、その場の全員は、どちらかというと言葉の中味よりその調整を間違えたような声量に驚いて振り返っていた。
フィーなどはピャッ?! などと変な声をあげて飛び上がっている。
「―――……まって?! 待ってくれないか?!?!」
それはイチヘイも例外ではなかった。なおも続く騒がしさに、思わず片眉をしかめながら声のした方を向く。
そこには真横に立つ口ひげのアナイの威圧にももう一歩も引くことなく、それでもどこか怯えた顔をしたカナイナ先生が仁王立ちしていた。
彼女は、この部屋への立ち入りを許されていない。成り行きで花登と関わり、成り行きでこの一件に巻き込まれただけの、ただの客人だ。
立場的としてはただの部外者なのに、それでもなぜか帰りもせずに当たり前のようにここに残り続けていて、イチヘイは正直、彼女の存在をずっと訝しく見つめていた。
そんなカナイナが、部屋の敷居を踏み越えてくる。
その瞬間から、この矍鑠とした髭の老人と、さらにアザラの後ろから素早く寄ってきたイチヘイより背の高い月輪族の護衛が、彼女に群がった。
いっとき揉み合いとなり室内は騒然とするが、出ていけ、と荒がるアナイの声の隙間から、カナイナが更なる声を張り上げてくる。
「あの、お金! お金ならありますから! お金さえあれば客になれると! アフェイーグ様は仰っておりましたよねっ!!」
瞬間、アナイとソルスガの間に交錯する視線。
「――わ、ワタシも、その商談に噛ませてくださいませんか!」
直後、この場の主が片手のひらを斜めに持ち上げれば、すぐさま彼女は解き放たれた。戻ってきた室内の静けさの、真っ只中へと放り出される。
すかさずソルスガが彼女を頭の上から爪先まで、珍しい獲物を吟味するかのように眺め渡して微笑みかけだす。
「……通りすがりの、無辜の旅人。名前は?」
「ひぇっ……そ、その……狛晶族の、カナイナ・ヒドリーと申します」
おずおずと両腕を前に軽く膝を折り、流麗に略式の挨拶をする彼女。けれどソルスガは本当に訝しそうに目を細めながら、横柄な態度を崩さなかった。
何をしに出てきた?
その瞳は明らかにそう語っており、その一点に限っては、イチヘイも全く同じ思いである。
「ほう? ……それで、カナイナ氏もこの子供をご所望とは、どういう……?」
するとカナイナは、黙って大きくふるふると首を振る。
同時に、着物のような前合わせのある自分の懐に手を入れ、
「わ、ワタシ、は、十五エラと少ししか持ち合わせはございません! ですがっ!」
言って引っ張り出してきた、とりどりの色の糸で四角とひし形の幾何学が刺繍された袋。彼女の財布のようだった。
ひっくり返し、もう片手にじゃらじゃらと積み上がるのは十数枚のエラ金貨。
カナイナは手のひらの上に乗るそれらを一瞬じっと見つめ、直後顔を上げるとイチヘイの右脇まで迷いなく歩み寄ってくる。
そして何か決意したようにイチヘイの積み上げた金銀の硬貨の脇へその握りこんだ拳を叩きつけた。
じゃらりと新たに積み上がる、彼女の言葉通りの十五枚の金貨。
「――――再提示! 三十〇!!」
その場の誰もが驚愕した。
その瞬間、場の空気が一変したのは言うまでもないことであった。
一話はこちらから!
https://ncode.syosetu.com/n5835kq/2




