56.繋がれた希望③ -彼は斯く語る-
前回:花登は鎖に繋がれ、権力と法の前には、一介の傭兵でしかないイチヘイたちの力など及ぶべくもないものでした。
そんな中、領主の息子ソルスガはフィーが怪我を追わせた自身の部下を差し置いて、イチヘイに『いい治療院を紹介しよう』と提案をしてきます。その筋の通らぬ思いやりを不気味に感じ、イチヘイは彼の申し出を固辞するのですが……。
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―~****~―
「……なんだ、そうなのか」
一番の異分子は、この場で最も高い地位と権力をもつ自分である。
――と、ソルスガはそれをよく自覚している。
自覚した上で、無自覚を装えばそれが武器になることも、ソルスガはよく熟知している。
ソルスガは上に兄がいる。ゆえに最近は領主となるよりはその補佐をしつつこちらの商会の経営に尽力しているが、それでも領民と言葉を交わすのは好きだった。
善良で良く働く彼らに交われば、自身がこの地位にいてこそ、果たせる役目があることを考えさせられる。ソルスガは、彼らを深く愛していた。
しかし今、目の前にいるこの奴隷の子と、それを森で拾って保護したという心優しいふたり。
部下が勝手をしたせいですでにこちらとの関係は冷えきってしまっている。
今この場で、この地位と立場にいては彼らのように自分とは解り合えない人間が出てくることには、彼はどうしても一抹のもの寂しさを覚えてしまう。
特に自分より六つか七つは年下に見える、長身で鋭い瞳をもつこの青年。歴戦の勇士であるのか額から鼻筋に刀傷、片耳に赤い房飾りのピアスが揺れる。元は〈稀人〉だという。
十年前のあの惨事をきっかけに、このエナタルの森を守護するようになったという、お大師さまの愛弟子でもある。
『お大師さま』は、どんな種族でもせいぜい一五〇年が寿命の限界のこの世界で、少なくとも高祖父――つまり祖父の祖父の代から生存が確認されている人物だ。
……そろそろ作り話の中の登場人物めいているではないか。
そんな人間が我が家門と関わりがあることを、ソルスガは面白く、また光栄に思っていた。
そんな者が名を分けるほどの弟子だというのだから、同じ人族同士、利益的なものだけではなく個人的な興味と好意で、ソルスガは彼とも親睦を深めておきたかったのだが、
(まあ、この状況では難しそうではあるな……)
治療の申し出を断られた瞬間には肩を落としていた。
こんな場でなければ、友人くらいにはなれたかもしれないのに。
だが、仕方ない。今は向こうにこちらの内情を開かす場面ではない。ソルスガは、ここでは無自覚を装う異分子なのだ。
彼の思惑を理解しているアナイや護衛の二人すら、突然ここに来ると言い出したソルスガに面倒そうな表情を向けていた。幼女の方にしか目を向けないこの客や"群れ"にとっても、ソルスガのこの合流は寝耳に水のはず。
ならばそれはイチヘイやフィーゼィリタス嬢にとっても同様であろう。こちらの内輪揉めに、完全に巻き込んでしまった形である。
しかし、思い直す。思えば元から、何も知らないふりをしてこの場を引っ掻き回し、得られる情報だけを握ってここを去るのが、彼の当初の目標のはずだった。
(……ならば私は、自らが決めた本日の役目を全うするまで)
「――殊勝な青年だね、五分? そう思わないかい?」
ゆえに軽い雑談を部下に振るような雰囲気を装って、隣席の耳長族に話しかける。
「……そ、そう、ですね、若旦那さま……」
耳長族のなかでは大柄な体躯の置き場に困ているかのように背中を丸め、しどろもどろに返す彼。
「どうしたんだい、急に押し掛けてしまったことは悪く思っているが、そんなに畏まらなくても大丈夫だぞ?」
「へ、へえ……」
先ほどから、話しかければ終始このような調子だ。
しかしソルスガが彼から視線を外す瞬間、この男が鼠をにらむ蛇のような怨讐の視線を向けてくることに、ソルスガは気づいている。
面従腹背とは正にこのことだ。
気持ちは解らなくもないが、その怨みは年代を数えるなら自分ではなく亡き祖父に向けてほしい。勘弁してくれ、とソルスガは胸の内でため息をつく。
この五分とその下っ端たちはソルスガにとっては部下と言えば部下だが、本来ならば席を並べるべくもない生き物である。
別に彼らが本当に善良であれば、ソルスガもここまで無碍にはしない。負傷したまま廊下で待機させている三匹にも、最低限の治療ぐらいはできるようお抱えの医者をつけて塒への帰還を命じるだろう。
――――しかし自分の懐でさんざん悪事を働いてきた者に今さらへらへらと諂いの笑みを向けられても、この者たちに動かす心などソルスガにはない。
兆嘴商会は、元々彼の祖父が設立した商会だった。
今でこそ地の利に恵まれ、遠方の珍しい食品から地産の木工品や家具まで、様々な商品を仕入れてはあちこちで取引している店である。
だが、兆嘴商会の一番はじめの主力商品は、『奴隷』であった。
五十余年ほど前、隣の隣の大国が戦で滅び、多くの民が棄民となったのを商機と見た当時の祖父が、奴隷商売を立ち上げたのがきっかけだったと聞いている。
以降の商会は時代にあわせて売り物を変え、奴隷商としての商いはどんどん小さくなっていったが、今も依然として細々とした取引はある。
彼らは、そんな奴隷たちを管理し、必要ならば教育する立場として存在していた。手が空いているときは生きていない一般の商品の護衛もこなす、商会の私兵である。
しかし数ヶ月前、祖父の死をきっかけに商会の経営を引き継いで見れば、永年の既得権益に染まって内部は腐敗しきっていた。悪い噂が立っていないのが不思議なくらいである。
そうして今回、ソルスガの横に座るこれとその部下たちも、そんな身の程に合わない出過ぎた真似をしていた。
「まあ、にしても、いつの間に君も、このようにお客様と懇意になっていたんだい? 言ってくれれば、私もこんな粗末ではない場所で、お客様の対応ができたのに」
ゆえに(失礼な言葉にイチヘイが微妙な表情をするのも気にもせず)ソルスガは五分に問いかける。とたん向こうは哀れなほどに慌て出すが、今回ばかりはこの程度の口撃を加えたところでソルスガの気は済まない。
ここ数ヶ月、彼らを内々に調査してきたアナイの話では、この男とその部下たちはまさに欲望の限りを尽くし、自らの職権を乱用していた。
自分たちの楽しみのために、仕入れてきた奴隷へ必要以上の「教育」をして壊してしまう、なんて言うのは序の口だ。
この世界には、奴隷にしてはいけない者、というのが明確に定められている。規定が細かいため大まかな区分けだが、店が商いを行う国に国籍を持つ民はもちろんとして、例えばあまりに数が少ない希少種族、そして本当に珍しいところでは〈稀人〉などがそれにあたる。
なのに彼らは、これらを裏ルートで独自に高値で売りさばき、どうやら上前をはねている痕跡があった。
……しかしソルスガにとって特に許せないのは、このエナタルの地に住まうアフェイーグ家の領民にまで、彼らが手を出している疑惑があることだ。
それなのに悪知恵は働くのか、疑わしくはあるのにその痕跡はどれも上手く隠しおおせていた。これまでどの案件に対しても決定的な証拠が欠けていたのである。
……それが今回、ようやく取引の現場の噂を掴み、ここに駆けつけてきたのだ。おかげで実際にも、前情報はほとんどない。
「五分、悪いがもう一度、このお客様を紹介して貰えないか? 商売における正式な自己紹介というのは、卓についてからするものだ。君も知っているだろう?」
ゆえにソルスガは今も本当に何も知らないふりをして、暗に『何度もこういうことはしてきただろう』と彼に問いかける。そうやって緩やかに威圧して彼らには釘を刺し、ついでに客に悪気があるかの反応を見ているのである。
「へ、へえ……。その……、」
しどろもどろさが増す五分。やはり確実に『クロ』なのだろう。解りやすくて助かる。
それでもやはり、その声の中に屈辱に耐えるような怒りが見え隠れするのを、ソルスガは見逃せなかった。
(――反省の色は無しなのか……)
本来なら疑わしいと思った時点で、証拠が不十分でも彼らを見限るなど簡単なことだ。彼らに対して、ソルスガにはそれだけの権限がある。
それでもこの場で自分たちの首と体がまだ繋がっているのが、|ソルスガの公正さと慈悲の賜物でしかないのだと、愚かな彼らはまだ気付かない。ソルスガが新たな商会の主として、表立って前に出てきたのは今回が初めてとは言え、――――それにしてもナメられすぎかもしれない。
(……フフフ……、まあ、良いだろう……)
しかしもうここまで来ると、一周回って彼も面白くなってきてしまっている。
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