54.繋がれた希望① -胡乱な客-
前回:イチヘイたちが苦戦した襲撃者たちを顎先だけで退散させる権力の持ち主は、この地方の領主の息子、ソルスガ・アフェイーグだった。
平民の彼に気安く話しかけ、『君たちの師とは高祖父の代からの付き合い』『今日ここにきたのは部下の商談の後始末のため』と語るソルスガ。
更には庭先を借りると言い出す彼の行動を理解できないイチヘイだが、気付く。
ソルスガが帽子につけた紋章は、襲撃者が首から提げたそれと全く同じ、交差する鷹とカモメの紋章――領主が営む兆嘴商会の商号徽章だった。
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*
世界を白と黒に染め分けて瞬く断続的な稲妻の後、家のほぼ直上で大きな雷鳴が轟いた。
――――ピシャン!!
――ドン!!! ゴロゴロゴロゴロ……。
直後、唸り声のように後を引いた雷鳴にまじり、控えめに聞こえた『ひぇっ……』という場違いな声は、入室を許可されず、廊下に追いやられているカナイナのものに違いなかった。
ざあああ……――と、しとどに森に降る雨は薄黒い陰を抱き、昼下がりまでは確かにここにあった日差しの暖かさも、全てどこかに洗い流していくようだった。
これは先刻から空を覆っていた重たい雲が連れてきた、冷たい風と雷雨。夏の始め、エナタルの山々が麓に呼び込む雲が引き起こす『通り嵐』だった。
重苦しさと、妙な緊張感。
降りだした雨の湿気に、室内へ籠る人いきれ|が混じって、正直イチヘイは息を継ぐのも億劫だった。
「……さあ、では、始めましょう。お互いに良い取引ができるといいですね」
そこに、そんな空気などどこ吹く風とばかりに、部屋の中程から涼しい声が上がる。
ここはイチヘイたちの家だ。一階の、台所と居間を兼ねる部屋、数えて二番目に上座にあたる、その席。席順など深く考えもせずに座ってきたが、そこは普段、イチヘイがよく腰を下ろす食卓の席だった。
いまそこに座しているのは、満面の笑みを浮かべるソルスガである。
「いやあ、それにしても、まさか雨に降られるとは思いませんでしたね」
ソルスガは向かいの席――最も上座に座る、中肉中背の神経質そうな狐目の男に話しかけている。年齢は三十路半ばほど。ソルスガには劣るが、それなりに仕立ての良いゆったりした衣装を重ね着していた。
「え? ええ、全くです」
しかし狐目は、ソルスガの話など上の空であるようだった。ときおりイチヘイたちの立つ部屋の下座のほうへと、ギラついた目線を流している。
「お客様には似つかわしくない席でまったく申し訳ない。
……しかし、お客様も本当にお急ぎのようではありますし……そういう意味では、ここが偶然、民家の庭先なのが幸いでしたね」
「ええ、全く」
「雨に降られる私たちを見かねて、『商品』を保護してくれた家人が、家の中まで貸してくれると言うのですから。
……私の父は、全く善良で器量のよい領民に恵まれました」
「……ええ、全くそのとおり」
相変わらず狐目はどこか上の空だ。定めた場所から目を離さない。
その視線の先に立つ彼女を想い、言い知れぬ不快感を覚えながらも、イチヘイはソルスガの言葉が孕む余りの白々しさにもまた、
(……この状況でこっちに拒否権もなにもあるかよ、クソ)
と、強い不満とやるせなさを感じていた。
表へ出そうになる表情を鋭い瞳の仏頂面で押し隠す。
実際のところは、『この雨では外では話せないから家にいれてくれないか』と、強い者にのみ許される『形ばかりのお願い』をしてきて、挙げ句、こうして大勢で家に押し掛けられている。
おかげで部屋の中だけでは全員は収まりきらず、なんと先程まで自分たちと殺しあっていた負傷者三人まで、廊下とはいえ家の中に上げさせているのだ。居る場所のないカナイナも、彼らと共に廊下に控えている。
そうして兆嘴商会に引け目のあるイチヘイは、フィーと共に居間に入ってすぐ、左手壁ぎわ――生活上の動線からも外れ、普段、家人も掃除の時ぐらいにしか近づかない場所に、二人して追いやられている。
さらにイチヘイはあの口ひげのアナイから、
『お前たちはお大師さまの弟子であることにも免じて、大人しくしているなら『大事な品を保護してくれた者』として扱ってやってもいい。との若旦那様からの言伝だ。
望むなら会への同席も許そう。……しかし、それでもここに立ち合いたいのなら、その小汚く汚した衣装は替えて来い』
と、面倒そうな顔で指図されていた。
詳しく聴取されたわけでもないが、こちらがしたことも、おおかた察されているようにも思える。
そうしてこの状況で、芝居がかったあの銀鼠の瞳がこちらを意識しながら話すのである。その微笑みに含まれる感情が友好に依るものなのかすら、イチヘイには大変疑わしく思えている。
彼は鬱積を溜めた瞳で、その場にいる者たちの姿を眺め渡した。
常ならば団らんのために集まるそのテーブルには、今はソルスガと狐目の男。それからソルスガの隣、いつもはフィーが座る椅子に、暗灰色の体毛で右耳が半分欠けた、スレた顔立ちの耳長族が座っている。良く見ると尾も半分程度ない。
おそらく五十代ほどだろう。獣人種の歳を推し量るのは苦手なイチヘイにも、年齢が読める程度には年を食っている。ただ身のこなしからしてかなり戦い慣れしているのはわかった。
これはソルスガがこの狐目の『客』と共につれてきた男だ。良くみれば首には眇目が着けていたものと同じ、交差する鷹と鴎の頭の金属プレートが提げられている。
状況からすれば、ソルスガが話していた『部下』、なのだろう。
……しかしソルスガと席を共にするのであればこの欠け耳もそれなりの立場であるはずなのに、彼が着ている服は擦りきれ、お世辞にも身綺麗とは言えない。
その表情もどこかぎこちなく、いっそすぐ隣のソルスガに怯えているようにすら見えた――……そのくせソルスガが視線を外しているときには、怨みでもあるかのような目付きで彼を睨み付けている。イチヘイにはこの男が一番良くわからない。
そのまま真横に首を回せば、出入口を挟んで彼と反対側の壁際には、先ほどアナイと呼ばれていた口ひげの男が立つ。彼はその欠け耳の耳長族の動きを、どんな理由からか監視しているように見えた。
また、テーブルを挟んでその両翼には、まるで立ちはだかる壁のようにして体格は熊、見た目は鼬似の獣人種、月輪族が二体いる。彼らは、どちらかというとイチヘイたちに睨みをきかせている様子だった。
もしかしなくてもこの二体はソルスガの護衛だろう。
ただこのアナイも、立ち居振舞いが先述の二体を軽く凌駕して動きに隙がなかった。
「……。」
こちらが見ていることにすら一瞬で気付き、圧のある双眸でスッと睨み返してくる。携行する武器も見当たらず何の使い手かは知らないが、イチヘイはこの中で殺り合うならば、白髪交じりのこの男を一番相手にしたくなかった。
「イチ……」
と、その時だった。すぐ左隣から、心細そうな声に名を呼ばれた。彼は顔を斜めに振り向け、残りは視線だけでそのか細い囁きの主を視界に収める。
「ねえ、花登ちゃん、どうなるの……」
問われた。仕方なく着替えてきた水浅葱の衣の端を、ぎこちない手のひらで掴まれる。
再び稲光が、薄暗い室内を白と黒に染める。
ついで轟く雷鳴に驚いたのか、反射的に動いた腕の震えが、イチヘイにも伝わった。
不安を溢れさせるフィーの眼差しはイチヘイの瞳とは交わらず、向かう先は彼の右斜め前……――狐目の男の視線の先と同じ。
そこには、花登が立っている。
彼女の隣には、人間にしては小柄で痩せぎすな男が一人。鎖を手に明後日の方向を見ており、そしてその鎖の先に花登は繋がれていた。
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