53.望まぬままに与えられ、⑤ -鷹と鴎の紋章-
前回:思いもよらぬ形で発動したフィーからイチヘイへの魔法の近い、〈聖宣〉。
命じれば大事な相棒を意のままに操れる……その要らぬ贈り物に絶望しながらも、イチヘイは何とか窮地を乗り切った。
しかしそこに表れた謎の優男。供を引き連れ、敵の一人に『アフェイーグの若旦那』と呼ばれるこの男の正体は……?
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その言葉に、イチヘイは思わずその男の挙動をじっと眺めてしまう。彼が属してきた傭兵組合は業態の関係上 商人たちとの付き合いも深く、向こうの界隈の噂もよく耳にできた。
アフェイーグの名は、代々この地方を納めているという領主の家の家名であり、またその当主は一般の組合に混じり、兆嘴商会という名前での商売も営んでいた、と、イチヘイは記憶していたのだ。
おまけに男は三人にそうされても、真顔のまま投げた一瞥とまばたきで微かに頷くだけで、それ以上はなにも反応しない。やがて男はイチヘイの目前までやって来ると、跪く眇目たちを、さらに顎の動きだけで向こうに行っていろとばかりに追い払った。
「…………失、礼いたしました」
たったそれだけで、腕を押さえながら撤収していく眇目たち。イチヘイは信じがたい気持ちと共にその後ろ姿を目で追ってしまう。
そのクセそれをやってのけてしまう目前の男は、戦闘で荒れ果てた庭の、わざわざ石畳の場所を踏んで歩いてくるような、妙な折り目正しさをもつ。一見無害そうな雰囲気でもあるが……人など、見た目ではわからないものだ。
「……やあ、はじめまして。あまり表には出していないが、我が家は君たちの師とは高祖父の代からの付き合いでね」
ただ、そうやって警戒心むき出しに見つめるイチヘイの視線が露骨すぎたのかもしれない。目が合うと、男は勝手に喋り始めていた。
「君たちのことも一応噂では知ってはいるが、会うのは初めてだから問うよ。
……なんと言う名前だい……?」
この男が敵か味方か、これは修羅場の続きなのか、イチヘイはどう反応すべきか迷う。しかしその一瞬に、フィーが先に口を開きだす。
「こんにちは! はじめまして! ボクはフィーゼィリタス・アビっていうの!」
「――おい、そこの耳長の小娘! 無礼だぞ、この方を何方と――!」「――アナイ、別にいい」
途端うしろに控える、おそらくこの男の侍従か側近であるらしい男が、白髪の混じる髭から唾を飛ばして前に出てこようとする。しかしそれは本人によって早々に押し留められた。
すぐに首を戻して続きを語る。
「……そうか、やはりアビ士族の。では貴女が最後の生き残りだというのも本当かい?」
「……。……そう、だよぅ?」
急に落としたトーンでポツリと返すフィー。
この男は、フィーの過去に深入りしようとしている。察したイチヘイは割って入ろうかと身構えたが、その件で彼がそれ以上何か語ることはなかった。ただ、見つめる視線には明確な哀れみがあった。
それからその瞳は、当たり前のように今度はイチヘイを見つめてくる。
「……で? 君は」
ここまでの短いやり取りで、この男はやや横柄だが、少なくとも今すぐ事を構えるつもりはないらしいとは理解できたイチヘイだった。こういうとき勘の鋭いフィーが、自分から話しかけに行ったのも判断材料になった。
ついでに、もう彼の身分にもやんわり察しがついてしまっているのだが、思いの外 気安い彼を前に、イチヘイも色んなタイミングを逸してしまっている。
しかしフィーはともかく、一介の〈稀人〉上がりはやはりコレには無礼を働かない方がいいだろう。
そうして彼もおとなしく跪こうとして、
「あー、待って嫌いなんだ私は、そういうの」
面倒そうに制される。
(あ゛???)
負傷した腕を抱えながら、めいめいにじっと恭順の姿勢を取り続けていた、いましがたまでの三人の敵。
その姿を思い出し、イチヘイの胸の内には違和感と矛盾が沸き上がるが、わざわざ問うほどの深さもなかった。狐につままれたような気持ちになりながらも答える。
……ただ慣れない丁寧語は、舌を噛みそうだった。
「……イチヘイ・トゥーデクテといい、ます」
あまり出さないフルネームを名乗ると、とたんに男は首をかしげる。
「ん? 『お大師さん』と同じ家名だな? きみは〈稀人〉と噂には聞いているが」
「それも嘘じゃな……嘘ではありませんが、俺は師に、正式に養子にもしてもらっている、ので」
「へーえ!」
こちらで正式に暮らすために戸籍を登録するとき、イチヘイは望んで故郷にいたころに冠していた苗字は捨てていた。いっそ下の名前も捨てても良かったが、『それはこちらも呼び慣れてしまったからさすがにどうかと思う』と師とフィーに渋られていた。
「フィーゼィリタス嬢にイチヘイ、ね。覚えておこう」
一方、ぽん、と軽く手のひらを叩き合わせながらいう彼。
「……ではこちらも名乗ろうか。
私はソルスガ・アフェイーグ。
もうきっと気付いていると思うが、国境端のエナ岬から、エナタル・ラウ峰の手前半分まで――」
言って男は家を出て左手側にある森の向こう、村まで下った先の湖からのぞめる半島の方角を指差し、それからこの家の背後に聳えるエナタル山脈の峰々のうち、一番手前に見える山を示した。
「――この辺境の土地を王から預かっているアフェイーグ家の当主の息子だ。
それと、もう知っているとは思うが、貴君たちの師には十年前からこのエナタルの山の『守護』も任せているね」
「しゅご」
……いやそんなことは初耳のイチヘイである。
(またかよ お師匠、言っておいてくれそういうのは……!)
保った真顔のまま内心で頭を抱えるイチヘイをよそに、領主の息子というにはあまりに気安いその男は、まだ言葉を続ける。
「できれば、せっかくだしこのあとモニスス様にも挨拶して帰りたいのだが……、師は在宅か?」
(まて……? そんな役目があるのに呑気に家を空けているのか? それとも、空けていても問題ないから不在なのか?)
……しかしやはり何も知らないので、
「――うん、そうなのしばらく居ない、のぷえっ?!」
そのままだと正直に不在の日数まで話し出しそうな相棒に肘先で優しい衝撃を加えながら、とりあえずは当たり障りのない返しをしておく。
「あ゛ー……、師は少し家を空けています」
「なんだ、そうなのか」
ソルスガが残念そうな表情を見せる……その横で、本当に何も覚えていないのか、フィーは普段通りの反応でイチヘイを恨めしそうに見つめ返してきていた。
ただ、ソルスガからそれ以上の追及はなかった。イチヘイは仏頂面のまま、その事にはそっと安堵する。
「ああ、そういえば君たちの噂も、父の仕事の手伝いで市井に降りると時たま耳に入るな。お大師さまに引き取られた〈稀人〉の子とアビ士族の『おひいさん』が、傭兵として活躍を――」
しかしそれ以上の会話は、静かでも的確に挟まれた先ほどの口ひげ男の発言に遮られる。
「ソルスガさま、お話はそれくらいに」
その皺の刻まれた顔が少々面倒そうな様子をしているのは気のせいだろうか。
「……邪魔してくれるなアナイ、民草と語らうことでしか得られない滋養が――」「おほん、若旦那さま、本来ここに来た目的をお忘れですか? お忙しいのにご自身で来たいとおっしゃっておいて、予定が押しておりますよ。『お客様』もお待たせしていらっしゃいます」
うすく半開きのまま付き人の言葉を聞いて、一旦閉じるソルスガの口。
「――……そうだった」
それから渋々といった様子で踵を返しだす。それでも名残惜しそうに顔だけをこちらに向けると、
「……今日私がここに来たのは偶然なんだ。本来は、部下の大きな『商談』の後始末に同行しにきたまで。
……あと申し訳ないが、少し庭先を借りるぞ」
「は? 商談……?」
(一領民の、家の庭でか……??)
それに『後始末』とは。
理解に苦しむことが多すぎる。
「――……あ゛??」
けれどその直後だった。イチヘイは非常に不穏な事実を目に留めて、息を呑んだのを最後に呼吸が止まりそうになる。
くるりとまた頭の向きを身体に添わせて去る、ソルスガ・アフェイーグ。目に入ってしまった、彼の帽子につけられた銀線細工のアクセサリーには、――――――眇目が首から提げていたものとおなじ意匠、『交差する鷹と鷗の頭』が象られていた。
イチヘイはやっと思い出す。
その絵柄が、領主が営む兆嘴商会の商号徽章――――いわゆる、『店の看板』として使われている紋章であった、ということに。
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