51.望まぬままに与えられ、③ -三日月と欠け闇の聖宣-
前回:イチヘイの前に、フィーを狂人たらしめる『真の意味での狂気』が顕現しました。
狂気に堕ちて無抵抗なフィーを面白がる敵の眇目は、イチヘイに対して『フィーを彼の手で殺すか、自分たちの手で殺すか』悪魔のような選択を迫って来ました。
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思わず絶句するイチヘイの表情を見て、眇目は余計に楽しそうに尻尾をゆらゆら動かし始めた。
「だからさー、それがもし嫌なら、その前にキミが彼女を殺してあげてよ。
……わかるよ、大事なんでしょー? ならせめて引導くらい、お兄さんの手でさ?」
理解が追い付かないほど、理不尽な理屈だった。イチヘイの喉からは、なりふり構わぬ声が上がる。
「フィー……? おい? 聞こえてるか? 今なら逃げられるぞ……動けよ……!」
絞り出すような声だった。けれど微笑むフィーは、こちらに顔を向けて……、『かくん』と首を傾げるだけだった。
やはり立ち上がろうとはしない。
イチヘイは、困惑に顔を歪める。
ここまで、敵に握らされた刃を向ける先を、いくつもの戦い方と可能性にかけて逡巡していた彼だった。しかし陶然と惚けてしまっているこのフィーが彼の弱みとなり、どこをどうとっても突破の糸口が出てこないのである。あまり考えたくない。しかしこれでは、
(……今度こそ、『詰み』なのか?)
「――なあおい、何でだよ……? 花登のこと拾ってきたのお前だろ? 『うちの子にしたい』とか言って勝手にあんな誓いまで立てたクセになに死にたがってんだよオイ!」
思わず荒がる声。追い詰められた心が、走馬灯のように回る。
花登が大事ではなかったのか?
交わした聖宣など関係なく、本当に死ぬ気なのか?
このまま全て奪われ、全て失うのか?
自分が花登にかけた言葉は、どうなる?
それから最後には、これまで目にしてきた相棒の、笑って、拗ねて、泣いて、彼を振り向く何気ない瞳や仕草、いくつもの表情が浮かんで消える。
……なんのためにこの場をまもり、なんのために戦ったのか。
(何でも言うことをきくと言ったくせに、結局、動いてほしいここ一番の場面でも、俺を振り回して終わらせる気じゃねえか……)
じわじわとした焦燥の裏で、また紙の端を蝕んで燃える炎のような激昂が彼の内にくすぶり出す。
あんな『聖宣』などやはりするべきではなかった。ただただ迷惑なだけだった。
けれどその間に、目に映る。
振り上げられる、眇目の櫛刃。
「……ほんとにいいの? お兄さん、見るからに『慣れてる』よね? 殺ろうと思えば苦しめずに一発、なんでしょー?」
嬉々として弾む、眇目の声。
「僕さ、ほんとは呪いとか人にかけるのが役割でさ。戦えるけど、人の首 刎ねるのはあんまりしたことないんだよねー。それにお兄さんのせいであばら骨、折っちゃったみたいでさー、いまちょーっと剣持ち上げるのも痛くて、難儀してるんだけど。
……このまま失敗したら目も当てられないと思わない?」
「ふざ……けるな」
あまりに軽々しい愚弄だった。
柄を握り込む拳ごと、イチヘイの刀が震える。その怒りはついに本格的に、一向に動く気配のない病んだ相棒に向けても飛び火してしまった。
「――……おい、ふぃー!? お前もだ、マジでふざけんなよ! 死ぬなよ! 何でも言うこときくんじゃなかったのかよこの馬鹿!」
本当に、フィーは勝手だ。
「仕方ないな、ちょっと猶予をあげるねー、……よし、三、二、一! はい、時間切れ!」
「――――くっ、そが!!」
実際のところは猶予なんてなかった。
喜悦の笑みと共に振り下ろされる眇目の刃を前に、それでもイチヘイは五メートルあるかないかのその距離を、フィーをかばうために突進していくしかなかった。
一歩、二歩、駆ける時間すら惜しく感じる。世界がゆっくり回りだす。
ニカナグが何もかも諦めた顔をしながら花登の両目を手で覆っている。それを目端にするイチヘイは、自分でも何を言うのかわからないまま独り叫んでいた。
「―――生きろよ! 命令だ! その槍今すぐ掴んで、こいつらの腕くらい前みたいにへしおってぶち殺してみろよ!!」
自身がフィーにしてしまったことも忘れ、きっと言うべきではなかっただろう。
満たされていく絶望を前に口をついて出てしまった、最高に無様で身勝手な、その暴言。
しかしその、まばたきのあいだのほんの一瞬。
――――――カンッ!!
曇天の下、周囲を青と緑の燐光が包んだ。
光の源はイチヘイとフィーのこめかみにある、あの青と緑の三日月と欠け闇だった。
同時に全員が耳にするのは、木の杖を突くような高らかなその音。鈴の音は鳴らない。それでもこの場にいる三人にだけは、はっきりと聞き覚えのある音だった。
直後口をあんぐり開けたカナイナが、驚愕の表情で何も無い中空に目を游がせだす。
それは森の空気にこだまし、次の瞬間には、
――――「え? なにそ、れっ……?!」
眇目はフィーの握る短槍に剣を弾きおとされ、硬い槍の柄と彼女の手に絡め取られた腕を、関節技とテコの原理でへし折られている。一瞬だった。
イチヘイもまた、今見たものが飲み込めずにいた。
間に合わないと思ったその瞬間、フィーは頸部を狙う横薙ぎの櫛刃を、人離れした速度で身を沈めて避けきっていた。
奇妙なのは、フィーからではその刃は確実に目視できず、更に耳の動きからしておそらく注意も向けていないことだった。
そもそも、流石に普段のフィーも音だけで正確に攻撃を避けられる程には手練れではない。
そうしてそのまま地に手を突き、一瞥もくれないまま払った脚の爪先で、先ほど位置の確認すらしていなかった愛槍を、器用に引っ掛け、拾い上げる――――。
端的に言えば、物の位置を把握するために目も耳も使う様子がなかった。あたかも機械に憑かれたかのような、生物離れした動きだった。
その上でのこの帰結である。
眇目から上がった声もその一部始終を目にしたゆえの、驚嘆の声だ。
しかしすぐさま『ごきり』と鈍く響く、嫌な音。
襲いかかる激烈な痛みにうめく眇目。
「ぅっ、がっ!?!」
「フィー……?」
そこにすぐ、事態に顔色を変えた爺が背後から斬りかかりにくるが、見えもしないはずのその刃閃を、やはりフィーは一度も目にしないまま半身でひねって避ける。またごきりと、今度は爺が肩の関節を外されていた。
激痛にうめいて転がるその壮年の男を背に、無言のままくるりと爪先で半回転。
「おい、どうし……」
そうしてすたすたと歩き、イチヘイのほうを見ることもなくその脇をすり抜ける。次は驚きながらも三日月刀を構えだす鱗が標的になっていた。
またなぜか執拗に腕回りを狙って、槍と足技で挑みかかっていく、彼の相棒。
しかしぬるりと独特の動きをする龍凛族の剣術は手強く、二、三合打ち合ったかと思うと相棒は一瞬で動きを切り替えだした。しなやかな筋肉を活かし、垂直に跳ねて空中で後転。不意打ちで跳躍の足場にされ、鱗はよろけた。そのわずかな隙も見逃さず、フィーは目にも止まらぬ動きで穂先を下突きにする。と、
「……ぐああぁぁ!!」
次の瞬間には全体重をかけて、野太い悲鳴を上げだす鱗の前腕を地面に縫い止めていた。刺した腕から迸った血が数滴、フィーの右頬にかかる。
いまやすっかり曇天と化した空の下、太陽はさらに濃い雲の中に隠れ、暗さを増した森の庭で、フィーの右こめかみの三日月は滲むような青い燐光を発していた。
「………は……」
起こったことが信じられない。イチヘイは絶句したままその様子を傍観してしまっていた。
しかしその目前でスッとかがんだ彼の相棒は、今度は鱗が手放した三日月刀を拾い上げる。突然、舞うように軽やかに敵を痛めつけ出したその面には、しかし透き通りきって何の表情もなかった。
魂のない傀儡のようだった。狂った笑みを浮かべていた今ほどの方が、どんなに歪でもよほど『人間味』が見えていた。
(これ、は――)
さっき叫んだ言葉。その言葉の意味。
遅れて、彼の頭の中に響く。
『何でも言うこと聞くのよぅ!』と、家の裏手で息巻いていたフィーの表情が浮かぶ。
加えてさっきから、微妙な違和感があった。
眇目の櫛刃、爺の一閃、イチヘイが存在を見留めた瞬間から、フィーの対応は始まっていた。
こうすれば最善の戦い方ができるとイチヘイが無意識に頭でなぞっていた戦い方を、フィーはそのとおりに追従していた。
それにずっと見ていたからわかる。
この戦い方は、フィーのものではない……。
(もしや、『耳長族の神への聖宣』が、発動して、いる……??)
――――しかしもし本当に、イチヘイがフィーを意のままに操っているとして、それは――……それではまるで、イチヘイの『命令』にひたすらに服従する、ただの生き人形のようではないか……――。
「~~~っ!!」
ざらり。
その考えにたどり着いた瞬間、イチヘイの背中から後頭部には怖気が駆け上っていった。
ざらり。
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