49.望まぬままに与えられ、① -とらわれ-
前回:フィーは、イチヘイに殺してほしかったのです。
けれど、それを聞かされたイチヘイは?
読了目安 4~7分
*
「~~っ、やー……、ははっ、手こずった……。 ……けど、まさか、っ、あはは、この『首輪』に助けられる日が来るなんてねー……」
息も絶え絶えになりながらも楽しそうに嗤う眇目が、自身の首元からこぼれた鈍色の鎖に瞳を落としている。
フィーの槍は頸動脈から少しズレた眇目の鎖骨の上を滑り、その鎖に赤い血を這わせていた。
そして眇目は今、その傷をつけた短槍を右手に奪い、左腕ではその使い手であるフィーの動きを封じて立つ。槍の切っ先はフィーの耳の根元を向いていた。耳長族は人間より耳穴が大きく、耳回りの頭骨も薄いため、思い切り刺し込めば充分な急所たりえる。
「にしても、いいよね、血ってさ。生きてる証拠だよね」
静やかで不穏な声で、誰に向けるのかわからない言葉を囁き、片方しかないその目は切っ先のように細まる。
家の敷地を囲むエナタルの森の梢が、不意の風に騒々と薙いだ。
「っ、ふぃー……」「ごめん……ね、ごめんイチ……ボク、ダメだった……まもれなかった、ごめんね、イチのことも、ハナトちゃんのことも……」
イチヘイは腕を取られ上から膝でのし掛かられ、身動きが取れなかった。儘ならない呼吸で呻くと、相棒からは慚愧に堪えないとでも言いたげな悲痛な表情が返ってくる。
その表情は、口調は、今は『どっち』なのだろう――いいや、そんなのはもうどちらでも構わない。
どちらにせよイチヘイは、いまやその光景を眺めるしかできない。逆らったらこの娘に穴が増えると脅されている。彼は頬に増えた切り傷から入り込む、自らの血の鉄臭さを焦燥と罪悪感の味として舌に刻んで悔やむ。
今になって振り返れば、この状況もなるべくしてなったものなのかも知れなかった。フィーについて起こったことをすべて辿れば、そもそも最初から――それこそ、〈虚棲ミ〉と戦うフィーにイチヘイが笑みをこぼした所から、ぜんぶ間違っていのたかもしれない。
なんとなれば舞うように彼らと交戦するフィーを後ろで助ける間にも、小さな違和感は確かにあった。
最初は初動で、相棒が先制攻撃を仕掛けたとき。
刃渡りが三〇センチはある切れ味鋭い鋼の槍を手にしたフィーが、あの二人に突進して行った攻撃は、どちらも足技だった。
そのあとも、飛んでくる刃の猛攻を受け流しはすれど、相棒はなかなか穂先での刺突に入るタイミングを逃していた。
他方、イチヘイは祝福も使い、強化魔法の詠唱で一度は今、彼を抑え付けている鱗をジイごとまとめて垣根の外まで吹き飛ばしたりもした。
途中までは、かなり優勢だったのだ。
しかし結論を言えば、フィーが追い詰めた眇目に最後のとどめをさせなかったことが。土壇場で、眇目の血を目にして怯え、動きを止めたことが。
そして、そんなフィーの負う心の傷の深さを軽んじ、病の平癒を期待し、差しのべた手で相棒に『次』を急かしたイチヘイ自身の甘さと甘えが、いま、この状況に皆を貶めている。
――――結句、フィーはまだなにも……、なにも変わってはいなかった。
ごめんなさい、できなかった、まもれなかった、『約束』が、としきりに呟きながら、見たこともないほど呆然とした表情で消沈している。
「くそ……」
そして一方のイチヘイも、無二の相棒を脅しの材料に使われ、まだ戦えるのにも関わらずこうして大人しく組み敷かれるしかない。背中にのし掛かった鱗が、眇目から渡されたイチヘイの短刀を彼のうなじに突き付けていた、
……と、そこへ更に最悪の現状を見せつけるように、玄関の奥からゆっくりと人影が三つ歩み出てきてしまう。
不穏の先触れのように聞こえたのは、じゃらじゃらと鳴く花登の鎖枷。
「すまない、逃げ場を間違えて捕まってしまった……」
次に現れたのは声は上げれど、明らかに怯えて震え上がっているカナイナ。次にそんな彼女の手を握り、足元に縋りつくようにして花登本人も引き出されてくる。
……その後ろを歩く三つ目の人影は、細身の長剣を二人に突きつける敵の男、爺だ。
ただその中でも花登の表情はカナイナ以上に強ばって、これ以上ないほど青ざめた顔をしていた。これでは死人の方がよほど安らかだと喩えても間違いだと言えない。
最初に顔を合わせたときの方がよほどマシだった。
イチヘイは身動きが取れないこと以上に、その様子を見てやはり自然と憤っている。
彼女に幼い自分を見ていたと自覚した瞬間から、なにかがイチヘイの中で明らかに切り替わっていた。
理に照らせば、自分たちが間違っていることはよく解っている。
――……しかし、弱いばかりにまた奪われる。
それを目の当たりにさせられていること、その上で、この状況がやはり絶望的な詰みであることは、今のイチヘイには到底受け入れられるものではなかった。
口に入った土と血を噛みながら、鋭い瞳はフィーを後ろ手に掴む眇目を目に入れる。この獣人から滴る血が、首からかけた鎖とその先に提がる金属片をつたい、金属の輝きを透かして余計に鮮やかに輝いている。
そこで鈍く煌めくのは、交差する鷹と鴎の頭の刻印――これはフィーが愛槍で眇目の首もとを裂いたとき、穂先が拾った鎖と共に服の中から溢れてきたものだった。
「はは、今日のは思ったより鉄臭いなぁ……。いや本当にね、今度こそ死ぬかと思ったんだよね。……あははあ」
イチヘイは今さらながら、これと同じ形状の鎖が、縞、鱗、爺、どの襲撃者の首もとに見えていたことを思い出す。おそらく同じ紋章をつけているのかもしれない。
どこかで見たような気もするが、しかし今のイチヘイには思い出せなかった。
『仕事だ』とも言っていた。
どう見ても組織立って動いて、花登を奴隷に堕とし、カナイナにも襲いかかっている。
(なん、なんだよ、コイツらは……)
「……おい、質問していいか?」
「んーなんだい? なんかついでに情に訴えて説得とか、考えてるなら無駄だよ? ……まー、確かにこの同輩のお嬢ちゃんは僕からしたら娘もあり得るくらいの年だけどねー、そもそも僕には子供いないし、家族も血縁もない。うちの"群れ"のもみんな同じなんだー」
別に興味もない自語りを入れられる。薄ら笑いを浮かべて首を傾げてくる。やはり面倒なので無視し、さらにこの理不尽さに当て付けるようにイチヘイは低い声で続けた。
「……なあ、あの奴隷の子が、本当にアンタらのものだっていう証拠は? 仮に本当にあんたらのものだとして、単に盗品として取り返したいならもっと穏やかな方法もあったよな? ……なにか後ろぐらいことでもあるのか?」
「ああ、そっち……」すると途端に興ざめしたように眇目は真顔になる。「答える必要なんてないね。以上」
ただやはり疚しいところはあるのか、目のはしがピクリと動く。それを誤魔化すかのように『さて……』と続けた眇目は、自分達が捕らえた者たちを、いよいよ舐めるように見渡しはじめた。
「……じゃー、もう予定外に僕らのご主人さままで来ちゃうし、あんまり時間が無いんだ。僕は残念だけど……、良かったね市民のくせに泥棒の皆さん、一発で殺してあげるよ。
――――……誰からいく?」
人を食ったような愉悦の笑み、だった。コイツの何もかもが気に入らない。
その振る舞いに、イチヘイはぐちゃぐちゃに潰れた庭の花の残骸ごと手のひらを握り込み、燃え立つような深い赤色の瞳|で眇目を睨み上げる。
即座にかち合った視線の先で、勝ち誇ったように微笑を返される。
しかしその時だった。ポツリと呟かれた、その言葉。
「……ボクがいい」
「――は? フィー??」
途中からだまりこくっていたフィーの突然の発言に、イチヘイは瞬時に狼狽えた。一瞬聞き間違いかとも思う。しかしフィーは話すことをやめなかった。
弱々しく垂れた耳。憔悴し、しかし確実に狂気を孕む瞳で微笑まれる。
「んえぇ、ボクね、将来の夢は死ぬことなんだよぅ……?」
「なに……、言い出してるんだよ……――」
「ふーーん?? 面白いこというねー同輩のお嬢ちゃん」
その言葉を聞いた眇目は、いつもいく道に面白い店でも見つけたかのように目を開き、フィーの横顔を覗き込んでいる。けれどその横顔はけっして眇目を振り向くことはなく、熱に浮かされたように彼を見つめる。
「本当は、イチヘイに殺してほしかった……」
「なに、を……」
――『殺してくれるの?』
問いながらも、聖宣のあとフィーから期待を込めた瞳を向けられた、あの瞬間が頭を過ぎる。
ざらり。
イチヘイの胸の底を、またあの、よく解らない感情が撫でていった。
クライマックスのボルテージマックス!
……と、思わせてからの暗転でした。
騙してごめんなさい。
このあとも手を変え品を変え重たいシナリオがしばらく続くので(※これいれて全9話 約2万2000文字くらい)読んでいただく私も心苦しいのですが、ちゃんと救いはあるので耐えていただきたく……!




