47.邂逅、変貌、変容⑫ ~変容~
『何かが変だ』と思いながらも、相棒以外の心をどうとも思えない、鉛のような感性と『欠落』を抱えてきた主人公。
しかし繋がれ虐げられてきた花登を前に、彼の中にようやく走りだす、その感情の名は……?
読了目安 4~7分
瞬間イチヘイの脳裏に、朝食の後のテーブルで、彼女が書き綴っていった子供の文字が過っていく。
『むねにジュッて、されました』
『入ってきた二本足で歩く、とかげみたいな生き物に、後ろからうでを組まれて、動けなくされて』
『押さえつけれて、にげられなくて、それで、ストーブみたいな火の燃えてるところから』
『耳の長い、片目の薄茶色の毛のうさぎが楽しそうにわらいながら鉄の棒を――――』
――覚った瞬間、イチヘイはこんどこそ頭を雷に打たれたような衝撃を受けていた。花登の証言と この怯え様をみれば、最早そうとしか思えない。
(――コイツらに、手を上げられたん、だな……?)
また怒りを覚える。
――……そして自分の思いにすら不器用すぎるこの男は、この土壇場でようやく気付くのである。
花登に、出来ることならば消えてほしいと願っていた……そのクセ、急に倒れれば必要以上に動揺し、狼狽えていた、その奥に潜む本当の意味を。
(……そう、か。俺は、コイツを自分だと思っていたのか……)
思えばイチヘイにとっては、自分に諂い、顔色を伺う小さな花登が存在することが、なにもかも幼かった彼自身に繋がっていた。
ゆえに花登が困った顔をするたびに、否が応にでも彼女に現れる感情の変化に幼かった自分を重ね、そして思い出したくないものから逃げるように遠ざけようとしていた。子供がずっと嫌いだったのも、きっと同じ理由だった。
それでも彼女を気にかけることをやめられなかったのは、同時にやはり、花登と自身を同じものだとおもっていたからだ。
……けれど今、この場に現れた勝手な大人が、またしても幼い花登の安全と安寧を脅かしている。
自身に諂う彼女だけを目にしていたら、永遠に気付くことのなかった感情かもしれない。何しろそこには、『虐げられた者』しか存在しないのだから。
しかしそこに、この理不尽な襲撃者たちが来たからこそ、この昏い赤色の瞳はいま、客観的に自分の過去を自覚している。
イチヘイは今も無意識に、その鋭い眼差しに険を宿して周囲の男たちを睨みつづけている。
虐げるものがいたばかりに、彼女は、自分は、苦しめられた。
『……やっとこの家を新しい居場所にして、おだやかに暮らせるかもしれないと思っていたのに』
心の片隅でそうして牙を剥き始めるのは今のイチヘイではない、置き去りにして忘れてきた、幼いままの彼の思いそのものだった。
(赦せ、ない……)
直後、イチヘイは腹の底に、この悪辣な者たちに対して明確な――――記憶の限り、これまで一度たりとも感じたことのない、『憎しみ』の感情を覚えていた。
黒く燃えるような強い情念に、彼の薄い唇が戦慄く。
昏い赤色の瞳が、わずかに血を垂らされたように鮮やかさを増した。
花登に対してなのか、それとも過去に置いてきた幼い自分が囁くのか、どちらともつかないままに強く思う。
今度は、奪われたくない。
傷つけられたくない。花登を、護らなければ――――。
「……あ、その前にわすれてたよー! ご同輩のお嬢ちゃんもその物騒な槍、渡してもらおうか? ……従ってくれるなら同じ種族のよしみで、この刺青のお兄さんとキミは、やっぱり助けてあげてもいいかなー? そこに隠れてるもう一人のお嬢ちゃんは分かんないけどね」
その一方で、一時的に花登から目をはずした眇目は、扉の前に立ちはだかるフィーに対してそんな甘言を放っていた。
先ほどイチヘイから奪った短刀を片手に握り、その峰を担ぐように肩にのせている。
『全員殺せ』と仲間に指示した舌の根も乾かぬうちに何を宣うのか。まさか人殺しの目をして楽しげに人を斬りつけてくるこのイカれ耳長の発言が、真実なわけがないだろう。
「……ほんとに、なの? おじさん」
「うんうん助けてあげるよー?」
すると猟網でぐるぐる巻きの縞を手にしたまま、戸惑うように耳を斜めにしたフィーがイチヘイを見てくる。
確かに少し話せば、相棒がどこか「普通ではない」ことには敏い者なら気付くはずだ。現状、イチヘイだけがこのように取り囲まれているのも、それだけ狂人に堕ちた彼の相棒が、眇目に軽んじられているために他ならない。
(フィーの反応を面白がっているのか……?)
イチヘイはやはり憎々しげに眇目の後ろ頭を睨み据えながらも、それだけは絶対にするなと伝えたかった。
わ た す な。 に げ ろ。
……だがそれは黙って口の動きを見せようとしたイチヘイと、フィーが確実に視線をかち合わせた瞬間だった。
「っ?!」
イチヘイを目に入れたフィーの顔が、何故かサッと曇る。毛皮におおわれているために正確ではないが、『青くなった』とするのが適当かもしれない。
何かに気付いたようにほんのわずか、槍を持った手で首元のチョーカーをなぞる動きをする。
「んぅえ……」
それはフィーがいつも肌身離さず着けている、八ツ編みの革ひもに、いくつも安物の石を編み込んだ意匠のものだった。以前に、お師匠さまに作ってもらった大事な御守りなのだと話していた。
そうして、次の刹那。
「――――ヴヴウゥ!!」
突如フィーは逆上に近いような形で唸りを上げ始めた。
「は? フィー?」
烈火の如くぶわりと逆立つ後ろ首の毛。同時に家の廊下に『ギニャッ?!』と悲鳴を上げる縞を放り捨て、構えた愛槍と共に脱兎のごとく踏み出してくる。
さすがのイチヘイも目を見張った。
一体何を思ったのか、気狂れてもなおそれなりには相棒の考えを慮ってきたイチヘイでも、この瞬間のフィーにだけは本当に理解が及ばなかった。
「イチヘイを離せ!」
叫んだ。
「っ、うおっ?!」
先んじて驚嘆を上げたのは爺と呼ばれた人間だ。獣人種に混ざってここにいるということは、この男も祝福持ちなのかもしれない。しかし翠の瞳を吊り上げたフィーはこの場の誰より――下手をすると同種族の眇目よりも素早かった。
矢より疾く飛び出し、まずは一番近くにいたその爺の膝裏に強靭な脚力で足払いをかけ一発で転倒させた。
戦闘部族として名高いトルタンダの耳長族、『アビ士族』としての生まれと技量は、気狂れてもなおやはり伊達ではない。
「っ、この耳長っ……!」
そこでイチヘイは背後に気配を感じる。フィーからの攻撃にいち早く反応した鱗が、イチヘイを後ろから捕らえて手にした三日月刀を突きつけようとしていた。もう一度人質として捕らえようと考えたのだ。
しかしそれすらイチヘイが反応するより前に、軽い跳躍と共に鱗の目線にきたフィーの回し蹴りが阻止していた。
イチヘイの鼻先から指一本の距離を、庭土と日向の匂いがする風と爪先がすり抜ける。骨と肉のぶつかる鈍い音がした。
顎を蹴られた鱗は頭に星でも飛んだのか、イチヘイから手を離しながら数歩後ろによろめく。
それからフィーはその回し蹴りの勢いにのせてバッとイチヘイを振り向くと、焦ったようにその顔色を見つめだす。
「……イチ! びっくりしたよぅ、大丈夫っ? 苦しいとこない?」
「あ、嗚呼……?」
その口調はやはりここ最近、イチヘイが太陽の下でいつも見るフィーゼィリタス・アビだった。
「んぇえ、腕、怪我してるのよぅイチ!」
一瞬口を半開きにしてしまう。なんだったのか……いや、本来は狂人に理由などあるべくもないのだろう。しかし彼女の突発的な行動に、確実に敵の体制も崩れている。
そこで、驚きに両耳を棒のように反り上げていた眇目が、フィーの背中を見つめて口を開く。イチヘイの短刀の切っ先を、自分の頭の横でくるくる回す仕草。狂人を侮蔑する仕草だった。
「……甘くみてた。思ったより……、随分とじゃじゃ馬なようだね、このお嬢ちゃんは……」
しかしイチヘイとて、この隙を見逃すことは出来ない。
せめて眇目をあの立ち位置からどかし、家の中にいる花登と、ついでにフィーが懐いているカナイナ先生も護ってやらなければならないと思った。
武器は相棒のもつ短槍一本。
今や向こうの事情など知ったことではない。今度こそこの場で向かってくる者たち全員をぶち殺してでも二人を救いださなければ、イチヘイは自分の『正しさ』を貫けない。
やはり憎しみと混じり合いながら、先ほどの想いがイチヘイの胸の底をざらりと走る。囁きかけてくる、彼自身にも言語化しきれないその想いを、彼がすべて受け止めきれたかはわからない。
《――――あの子供はお前》
《――――お前のものは、大切なもの》
《――――奪わせるな、守れ……!!》
「っ、フィー、いけるか?!」
「んん! あのおじさん邪魔なんだよね? ハナトちゃん、助ける……!」
何も言わなくても、通じた。目的が同じならいつも勝手に噛み合う。昔から何も変わらない。
それが快かった。
深い紅に染まった瞳でフィーを見る。やはり相棒の心は戻ってきているのではないか、と高揚する心でイチヘイは思った。
この先、やっと主人公が真の意味で主人公しだします。
一話はこちら。
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