42.邂逅、変貌、変容⑦ ~櫛刃の剣~
―~*✣*✣*~―
――ブン! と双刃が空気を割る音がする。
来るのは見えていた。イチヘイは横凪ぎにやってくる縞の戦斧を容易く打ち払い、横へと跳躍する。
玄関脇の植え込みを越え、赤と橙の花が咲く花壇のど真ん中へ着地。そのまま距離を取るため庭の中央へと走り、花を踏み散らす。
後で師匠になにを言われるか分かったものではないが、背に腹は変えられないだろう。
「あらま、いいのー? あそこ退いちゃってさー」
そこにイチヘイを追って、縞との直線上に眇目が割り込んでくる。
「イヘヘッ――――」
チラとその奥に目配せすると、しっぽの先を興奮した様子でゆらゆら揺らしながら案の定、縞が扉の取っ手にへばりついていた。しかしガタガタと揺らしたところで扉は開かない。
「――なんだよ、お客サマのために鍵くらい開けとけよなァ!」
途端、独り言にしてはデカい声で勝手な事を呟きだす。次いで彼は太い腕で両刃の戦斧を振り上げだした。扉をぶち破ろうとしているのだ。
「――――おいっ、」「おっとー、行かせないよ」
焦る様子を見せながら、叫んで一歩踏み出そうとするイチヘイを、櫛刃の剣で眇目が制止してくる。直後その背後から、どかん! ガチャン! と、扉と建具の金属が上げる軋みがこだました。しかしこの家の重く分厚い一枚板の扉は、さすがに一撃で破れるほどには脆くない。
「硬ってーなこの扉!」
そうして文句を垂れる縞を背景に、
「――こっちはこっちで楽しもうよー? ね? 血が流れるのを見るのって、生きてるって感じしない? 刺青のお兄さん」
嫌な感じの微笑みを浮かべ、小首をかしげた眇目がねっとりとイチヘイに話しかけてくる。黒い布に隠され一つしかない目の形は細く、笑むとそれこそ刃の切っ先のようだった。
しかし耳長族にはおしゃべりなのが多いが、その上でこんな倫理感がイカれた奴に会話を求められるのは、正直 イチヘイも疲れる。
イチヘイは後ろの縞をチラチラ気にする素振りを大仰に見せつけたあと、四、五メートル離れた位置で花壇の花を踏みつける眇目を改めて睨んだ。
「……あんたらみたいな手合いと斬り合って楽しいもクソもねえよ、命狙いにくるヤツはサクッと苦しませず殺す主義なんだ俺は」
「ふーん、そうなの? 若いのにつまんないね、せっかく自由に生まれて好きに生きられるのに、さっ!」
眇目はトンと軽く踏み込んだ。瞬間、風が疾るように閃く上段からの突き。
また花壇が踏み散らされる。
イチヘイはそれを瞬時に刀身の腹で受け、いなし、即座に反撃する。
しかしそれも容易く弾き返される。そのまま幾度となく剣を繰るうち、今度はどちらかと言えばイチヘイの方が眇目を押し込んでいった。
そしてその合間に、眇目も執拗に急所ではなくイチヘイの手首の腱を狙いにくる。
ほとんどは防ぎきったが、最後の斬撃で腕に皮一枚の浅い切り傷を作ってしまった。戦闘不能にしてからいたぶる気満々である。イチヘイもそれで、向こうの性格の曲がり方を改めて認識した。
(にしてもコイツ、思ったよりは強いな……)
そんな感想を頭に過らせ唇を噛む。
この二人がここにきてから、まだ五分経ったか解らない。しかしあと四人いるというのだ。奥の手を使ってでも、消耗する前に終わらせたかった。
ゆえに対峙する眇目の動きのクセをじっと見る。
闘う者にとって、視界が半分欠けるのは大きな痛手のはずだ。事実、この男は右側からの斬撃にはやはりわずかに反応が遅れる。
それでもこの片目の耳長がここに立つのは、右の視野を半分失くしてなお他の感覚で補えるほどの才覚を持つか、あるいはよほど経験に裏打ちされた腕前がある、ということなのだろう。
そしてさらに一合、二合と斬り結んだ刹那である。再び確実な隙が生まれた。
(――来た!)
ここぞとばかりに左手下からさかしまに切り上げる。斜めに薙ぐ刃先は眇目の喉頚めがけ、相手の死角へと飛び込んでいった。
ギンッ!
しかし、一瞬で淡い火花と共に互いの刀身が噛み合う。いつの間にか眇目の剣は背と腹が入れ替わり、あの凹凸のある峰でイチヘイの剣を受けている。
「……あっ、ぶなー!?」
鍔競り合いの最中だというのに、また焦ったような声で話しかけられる。
「死ぬかと思ったよ! 人族だからってちょっとナメてたけどお兄さん、脚も妙に速かったし、ここまで縞とも僕と張り合えるってなるとーー――……やっぱり祝福持ちだよねー? 珍しいなあ」
「……」
もう面倒なので返事もしないイチヘイだったが、指摘されて瞬きするような一瞬だけ目を合わせてしまった。実際にもそれは眇目にも肯定と受け取られてしまったようだ。
ちなみに会話の後ろでは、未だに縞がガツンガツンと扉に斧を打ち付ける音が響いている。と、そこに突如、ばきゃん!と木がへし折れるような音が混じった。
「お、眇目サン、家ン中見えてきたわ! あとちょっとだぜコレ!」「んー、頑張ってね、縞」「おうよ」
イチヘイから目を離さぬまま親しげに返事をする眇目。そしてすぐまた、こちらに向かって話しかけてくる。
「――けどね、僕もお兄さんも結局は爪や牙はないからさ、いくら剣の腕を磨いたって、ね?」
なにを言っているのか解らなかった。しかしなにか嫌な予感を覚え、イチヘイはとっさに眇目から身を離そうとする。
――――しかしそれは、叶わなかった。
「っ!?」
わずかに隠せなかったイチヘイの表情の変化を読んだのだろう、眇目がとても嬉しそうに話しかけてくる。
「――わー、気付いた? いやー、僕ね、武器使うのって苦手なんだよねー。本職じゃないし。死角狙われると辛いからさ、もうムリって思ったらコレ使うんだぁ。お兄さん強かったよ」
イチヘイは黙って相手を睨み付けるが、眇目のおしゃべりは止まらない。
「……ほら、この剣ってさ、背中がデコボコでしょ? ここにお兄さんの剣噛ませて、こっちでこうして斜めに捻りを入れると、ね、もう、こんな風に噛み合っちゃってズラせないんだよー」
その合間にも、押し引きでキギ…と刀身がわずかに擦れあって鳴く。眇目の言葉通り、イチヘイの剣は眇目が持ち手からかけている力で、まるで櫛刃の峰に噛みつかれたかのように引き剥がせなくなっていた。
いなそうとすると、その分眇目が動いて阻止してくる。そうして眇目はやはり穏やかに話しながら先ほどの縞にも負けず劣らずの、とても性格の悪そうな笑みを向けてきた。
「――だからさ、このまま僕とお兄さんは鍔競り合いの押し引きだよー、お兄さんの『牙』が折れるか曲がるかするまで、ね?」
なかなかに卑怯な手だとイチヘイは思う。しかし生きるか死ぬかには卑怯も高潔もない。知っている。
生き残った方が、勝ちなのだ――。




