41.邂逅、変貌、変容⑥ ~別人~
『……おかわいそうに、ちいさなハンバニ。ただでさえ周りの言葉がお分かりにならないでいらっしゃるのに、お声まで出ないでいらっしゃるでしょう?』
――……え、なんで、ぜんぶわかるの?
流石にびっくりしてしまった。すると相手は眉をひそめながらも、自分の喉を指さす。
『わかりますよ。なにか穢いものに、ここを、縛られています。それにハンバニさまからは、ここに生きる者とはちがう魂の匂いがします…………こことは別の世界からいらっしゃったのですね?』
――そう、なんだ……やっぱり……。
イチヘイとフィーゼィリタスにちゃんと説明もされて、花登も飲み込んだつもりでいた。でも改めて違う人の口から、自分はこの世界の人間ではないのだと聞かされると、なんだかスンと胸に染みてまた寂しくなってしまう。
やっぱりここは、家からは遠い場所なのだ。
『お寂しそうに感じますわ……』
――……うん、さみしい、よ。おかあさんも おとうさんも いないもの。うちに かえりたい。
でも、ね……あたしのこと ひろってくれた ひとたちが いるの。しゃべれないけど あたし、あの人たちとなかよく したい。なかよく できるか わかんないけど、しなきゃなの。そうしないと、あたし……。 ――――あたし、どうすれば、いいの かわかんない……。
イチヘイのこと。フィーのこと。良い子でいなければと思うこと。ずいぶん長くて、脈絡のない語りだっただろう。
初めて会う人なのに、それでも優しく、ええ、ええ、と頷いて、シーナバーナは花登の話を聴いてくれた。
そうやって一気に話してしまってから、花登はやっと自分が、まためそめそと泣いていたことに気付く。けれど同時に、別のことにも思い至ってしまうのだ。
――――なんとなれば今の花登には、手も足も……というか、身体がなかった。
だから泣いていると思っても、涙はどこからも出ていなかった。声すらも、本当の声ではない。心で思っているだけだった。
故に泣きながら、そこで初めて
(あれ? これ、夢??)
と花登の心に疑問が過る。しかしそれでもぼろぼろと心の信号で泣く彼女を、シーナバーナはぎゅっと抱きしめてくれた。
――身体なんてないのだ。なのに抱き締められるなんて、やはりぜんぶ夢なのかもしれない。
けれどその、彼女の腕の中にある優しさだけは、本物みたいに思えて仕方なかった。
『お辛いですね、小さなハンバニ……』
一方の彼女は、花登のことを真剣な眼差しで見つめながら優しく囁いてくれる。
『大丈夫ですよ、血縁がないのに拾ってくださったのですから。無理に仲良くしなくても、その方たちはハンバニさまのことがきっと好きです』
――そう、なのかなぁ……。
『ええ、ええ、そうに違いないです』
それからふと悔しそうな表情を滲ませて、細い鼻筋を本当には存在しない花登の首筋に擦りよせる。
『――ああ、残念です。直接お会い出来たら、もっとして差しあげられることもあったかもしれませんが……、どちらにしても今のわたくしでは……』
それからふと身体を離し、シーナバーナはなにか考えるように、握った手を自分の顎の下に当てはじめた。でもすぐ、ハッとした顔で男の人の立っている場所を振り返る。
どうしたんだろう。
『……いけません、あの人が行ってしまいます』
それからすぐ、やや慌てた様子で花登へと顔を戻す。
『……申し訳ありません、小さく偉大なハンバニ。もう少しお話ししたかったのですが、もう、お別れしなければなりません』
――え。いっちゃうの……?
『ええ、望んで決めたことですが、わたくし、あの人の傍からは離れないのです。ハンバニには、本当に酷なことをしてしまいます……』
事情はよくわからない。けれどそう話す彼女の後ろでは、確かに赤毛の男の人が脇に置いていた荷物をまとめはじめていた。
彼は優しくて切なそうな顔をして、またひとことふたこと、石に話しかけている。やはり声は、聞こえないけれど。
この二人、そんなに仲良しなのかな。でも、慰めてもらえて、花登は少し胸の重苦しさが消えた気がしていた。いなくなってしまうのが寂しい。
――もっといろいろ、おしえてほしかったです……。
残念に思ってそう伝える。
それにまだ聞いていないことはあった。結局、シーナバーナはどうして自分をハンバニと呼ぶのだろう。自分と彼女が似てるというのは、どういうことなのだろう。そもそもここは、どこ。
『……あらあら、先ほどまで泣いていらっしゃったのに。
好奇心旺盛なお方なのですね、……ふふ、知りたがりなのはわたくしのお友達にそっくり』
うふふ、と優しい声で笑われる。
――おともだちって?
けれどそこからは本当に急ぎだしたのか、答えてはくれなかった。代わりにふと真剣だけど優しい目付きをして、花登をまっすぐ見つめ返してくる。
『……ハンバニさま、そのお声は、残念ですがわたくしにはどうして差し上げることもできません。ですが……『耳』ならば、お貸しすることができます』
――みみ?
『うう、ご説明してあけたいですが、もう時間がございませんの……。それに耳をお分けすると私も『欠け』てしまいますので、このような形でお会いすることも、おそらくは、もう………』
――ええ、そうなの……。
『ーですが、代わりに叶うなら、いつかまたこの『開聖の廟』のそば、この場所で、また直接あの人とわたくしに会ってくださいますか?』
――かいさいの、びょう……??
『はい。そのときにまた、いろいろお話しいたしましょう? それまでわたくしの耳でいろいろ聞いて、ご自身でお知りになるのが良いですわ。
識った分、世界は拡がります。わたくしも共に、聞いておりますから、ですから――――――。
それで本当に時間切れ、のようだった。
世界が白くなる。
白いオオカミみたいなそのひとの声が、遠くなる。
――――…た…んだに、お越しになって――。
(あれ? ねえ、待って、『あの人』ってその男の人のことで合ってますか……?)
「ん……」
――――――目覚めるとベッドのうえにいた。そして寝ぼけ眼に花登は、
(もう会えないなんて嘘だったんだ)
と思った。
「――――そんな、……うう……。戻って、きた……???」
だって目の前で心底安心したような、今にも泣きそうな薄紫の瞳で自分を見つめていたのは、そのシーナバーナだったからだ。
夢で見たよりずいぶん長い髪をしていたけど、同じ顔だと思った。絶対に間違いないと思った。
「……しーなばー、な……? ケホッ」
何とか呼べた、その名前。
「……えっ??」
けれど、呼んだのに返ってきた反応は、花登が想定しているものと違った。
まるで花登と初めて会うような、そんな顔をしていた。あるいは、死んだ人間が蘇ったのを目にしたかのように目を丸くして花登を見つめている。
そして、聞き返してくるのだ。
「――――――な……なん、で君、彼女の名前を知って……――?」
「え……?」
せっかく仲良くなれたと思ったのに、少し悲しくなる。
けれどぼんやりと覚醒していくうちに、花登は目の前の彼女が、夢の中で会った彼女とは声も、表情の作り方も違うことに気付いていった。
……それに『私の』、ではなく『彼女の名前』と言っていた。
(……もしかしたら、同じ種族の別の人……?)
不自然に思うところもあるけれど、比べるなら絶対にその方が自然だ。だってあれは夢の中のこと。
そして目覚めだした頭も同様に、『確かにその考えがもっともらしい』と判断し始めると、
「う、っ?!」
花登は知らない大人の獣人と二人きりにさせられているという事実に気付き、今さらながら警戒心を剥き出しにし始めた。




