38.邂逅、変貌、変容③ ~『イチの作戦』~
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それにしてもこの二人――とくに縞尾族の方は、種族でだけ見てイチヘイを完全に軽視しているようだ。
なにせいくつもの種族が暮らすこの世界で、人族は戦闘職に据えると弱い。ついでに言えば魔力無しも多く魔法職も弱いため、大概の者は商人やら技術屋やら学者やら、とにかくは町や村の安全域でできる仕事をして大人しく生きている。
その代わりに何か〈天賜〉を持って生まれると、その者は他の種族の得意分野を差し置いて傑出した逸材になる確率が高い。――というのが人族の特徴なのだが、ただそんな人間も、どちらかと言えばそんなに多くはない。
ゆえにイチヘイが剣を握っても、特に傭兵を始めた最初の頃には良くこうしてナメてかかって来られた。してきた仕事が認められてきたここ数年、この周辺の土地ではそんなことも減って来ていたが、イチヘイの力量を知らないのならそれはそれで好都合である。
早く始めて早く終わらせよう。彼はそう思い、わざとらしいまでの挑発をかけはじめた。……勝算は、大いにある。
「……おい、居座られて迷惑だ。そっちも殺る気なら、さっさとオレに斬られるか、尻尾巻いて帰るかしてくれないか? ――――ほら、人族の俺と違って、怖くなったら巻けるだけのながーい尻尾が、アンタらにはついてるだろ? なぁ?」
「ぐっ、言゛っ……――」
先に反応したのは縞尾族の方だ。しかし同時に素早くイチヘイを睨み返した片目の耳長も、明らかな苛立ちの表情を向けてくる。いい感じに二人の神経を逆撫で出来たらしい。
「――言゛っ……たな?! さんざん切り刻んで後で泣いて命乞いしても殺すからな! ……な、眇目サン、そっちの方が面白いよなあ? 市民のヤツをぶっ殺すんだからよぉ!」
グルル、と薄く牙を向いて唸りだす縞尾族。
(……市民?)
ただ、その物言いに引っかかりを覚えるイチヘイをよそにして、縞尾の男の言葉を継ぐように耳長族も頷きながら微笑む。
「だねー、縞。……まー……そういうわけなんで刺青の兄ちゃん、悪いね。命令の邪魔するならさっさと死んでねー?」
ちなみに眇目は片目という意味だ……本名ではないが、どうやらそれが彼の呼び名らしいとイチヘイも気付いた。
確かに柔らかい微笑みを向けられているのに、その目つきに宿る光には、切れすぎる刃に感じるような悍ましさがある。
イチヘイは察した。この耳長族の男もまた、好き好んで『この道』にいる、生粋の人殺しなのだと。
直後、『縞』と呼ばれているらしい縞尾族が後ろ腰のホルダーからぶら下げていた斧を引っこぬいた。横の刃渡りが彼の腰幅ほどはある、巨大な戦斧である。
「じゃー縞、どっちが行く? 選ばせるなんて頭目が聞いたら怒るだろうけどさー、好きにしなよ。僕はどっちでもいいからさー」
と、言いながら眇目も、遅れて背中に背負う幅広の鞘から自らの得物を抜く。刃幅からして両刃の長剣だろうとイチヘイは思っていたが、違った。現れたのは見たことのない、かなり変わった形の剣だった。
出てきた刀身は、わずかに湾曲する片刃。しかし手のひら二枚分ほどもある幅広の刀身には、その背に用途が不明な長方形の切り込みがいくつもある。指二本分ほどの長さと横幅を持つその溝は、切っ先を除いた刃渡りいっぱいに等間隔で並んでいた。
その見た目は、何か実用性があると思わせる程度には無骨すぎ、ただの装飾と割りきることもできない。得体の知れない形の剣を目にし、イチヘイは無意識に構えを変え警戒を強めていた。
しかし敵方の二人はそこそこイチヘイを軽んじているのか、呑気な感じに短いながらも会話を交わし始めている。
どうでもいいことだが、二人とも身体の特徴から名を取っているようだ。愛称にしても――あるいは後ろ暗い職の為に本名を隠しているとしても――あまりに安直な呼び名だと、イチヘイは思った。
「ならよォ、オイラは向こうに行きてえな! あっちのが愉しそうだしよ眇目サン!」
「あーね、向こうね。わかった。じゃあ僕はこっちってことで。……まあ、縞はそっちの方が良いかもねー」
明確な主語や述語はない。しかしチラリとでも動く二人の視線で、「向こう」がこの家を指しているらしいことだけはイチヘイにも判じられる。……ゆえに最終的には二手に分かれ、縞の方が家の中に押し入ろうとしているのかもしれない、などとイチヘイも予測してしまう。
しかしそれで、向こうの相談はまとまったらしい。
改めて構え出す獣人二人。わずかに地面を蹴る音。
――……それ以上の先触れは何もなかった。
次に気付けばイチヘイはもう、先んじて突っ込んできた縞の間合いに入っている。イチヘイの胴に向かい、太い両腕で斧刃を水平に薙いでいる。
――――流すか、受けるか、避けるか。
刹那で選び、長剣の腹でいなすと斜め下に弾き下ろした。ギャンッ! と鉄が鳴き、火花が上がる。フィーより一回り下程度の体格しかないクセに、重たい一撃だった。その一瞬に、イチヘイが身を捻ってできた右脇の死角へと眇目が飛び込んでくる。
逆手に握った毛皮の手、地面すれすれを裂き やってくる逆袈裟斬り。清んだ金属音と共に、次にイチヘイはその斬擊を剣の鍔元で食い止めた。
しかしそこにまた、上から縞の戦斧がくる。
やってくる一閃を半身をひねって避けると、イチヘイはそのまま後ろへと、踵を擂って下がった。
客観的に見れば防戦一方になっている。しかもすぐ背中は玄関扉だ。イチヘイはここであえて、『しまった』という顔を二人に見せた。
すると相手もいとも容易く獲物を追い詰めたと確信したらしい。縞の方が斧を真横に振り被りながら、また胴を狙って距離を詰めてくる。その表情には、愉悦の笑みが浮かんでいた。
「――――すぐ死んだらつまらねぇ! 傷は浅くしてやるからよォ……?!?!」
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コンコンコンコン!
廊下に木を打つ乾いた音が響く。フィーが扉に閂をかけた、そのすぐあとだった。外に残ったイチヘイがなにか話しているのが聞こえた。一方、玄関を上がってすぐ手前にあるドアを、狂人のフィーが槍の石突でノックしている。
フィーの握る槍は、穂先は渡り三十センチほどの鋼の両刃。全体の長さは槍を握る本人と同じ位で、槍としては短い部類に入るだろう。ただ、よほど使い込まれているのか、握りの金具や柄にはいくつもの傷が刻まれている。
「お師匠さま、お部屋にはいっていいですか!」
「えっ?!」
唐突に出てきたその名にニカナグの心臓はドキリと跳ねたが、誰の返事を待つこともなく彼女はさっさとドアを開けていた。
「えっ、ちょ?!」
「カナイナせんせー早く早く!」
焦った顔でニカナグを急かすフィー。そのまま槍を持ち変え空いた手で、当たり前のように手を繋がれた。ぐいぐい引っ張られながら部屋の中に入る。……しかし、動くものの気配はなにもなかった。
「この部屋、は……」
思わず見回してしまう。家中どこもそれなりに整えられていたが、なんというか、この部屋だけはお世辞にも綺麗とは言いがたい。しかしひんやりと漂う空気に香るこのインクと薬の匂い。雑然と置いてある標本や瓶、天井から吊るされる干された薬草、記録用紙。
明らかに、何かの研究室のようだ。
思わず好奇心を抑えられず誰の部屋なのか尋ねてしまうと、「ボクとイチのお師匠さまの研究室だよ!」と返された。
(やはりそうなのか、ここがあの……)
しかしそれ以上はよほど急いでいるのか、彼女は長い耳を斜めにし、まくし立てるような早口でニカナグに話しかけてくる。
「――カナイナ先生あのね! この部屋にハナトちゃんと一緒にいてほしいの!」
「んん?」
彼女に手と言葉で示されて、ニカナグは初めて気づく。
入り口入ってすぐ右側、壁の窪みにぴったりはまった妙に縦に長い寝台の上で、いつの間にかハナトが静かな寝息を立てていたのだ。死角にいてわからなかった。
あの短い時間によほど急いで担いできたのか、枕との位置も逆なまま雑に転がされている。
「それから、あのねカナイナ先生、鍵はかけちゃだめなの! 誰か入って来ようとしても、怖くないよう? 絶対だいじょうぶだからね! だからね、ボクも終わったら来るから、そのまま入ってきたひととお喋りしててほしいよう!」
「……んん??? ちょっと待ってくれそれはどういう意味??」
到底、素直に『わかった』と頷けるレベルの指示ではない。思わず、何を言っているんだこの子はという目で見返すも、
「んえ、だって、イチがそうしろって言ってたもん! だから大丈夫よう! イチの作戦だもの、安心なのよぅ?」
そうして少し熱に浮かされたような、焦点の合わない笑顔で穏やかに返された。
(う、だ、ダメだ通じないかも?! い、イチヘイくーん!!)




