34.賢しい客人を森に埋めるかどうかについて⑥ ~結ばれた『協定』に基づき……~
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――それからまた、三十分ほど経った。
イチヘイは一階に降りてきて、ダイニングテーブルに置いた盥の中で蒸したカラタ芋の皮を剥いていた。時刻は正午を少し回ったくらい。フィーが客人に昼食を食べさせたいというので、盥に転がる芋の数も普段より少し多かった。
分厚い手のひらのような形をしたこの芋は、蒸して潰したものをもう一度水と塩で練って一口大に茹でると、もちもちした食感と共になぜかほんのり乳酪のような風味がでてくる。
このエナタルの森があるニムドゥーラ地方では米も麦もよく食されるが、山脈の上の方に行けば、主食はほぼこのカラタ芋となる。要はこれはフィーの生まれた上の方の村でよく食されていた食材であり、彼の相棒にとっては故郷の味だった。
香りのある油とすり潰した木の実、それから庭の香草で作った少しクセのあるソースに絡めて食べると、結構旨い。
イチヘイも、ここで育った間はフィーが食べたいと言うのでたまに三人で椅子をならべてこれを団子状に丸めたりもしていたが、思えば作るのは数年ぶりだ。
「ただいまなのー!」
と、そこへ玄関をくぐった二人がリビングに入ってくる。さっき裏の畑まで薬草を採りに行っていたゆえ、やることを終えて戻ってきたのだろう。
居間に現れる二人。イチヘイはてっきり薬草の束を抱えて戻ってくると思っていたが、しかしテーブルのうえにカチャリと置かれたのは、大きめの角ばった二枚貝をそのまま用いた、子供の手のひら大の容器だった。主に軟膏や紅などを入れる為に使われるものだ。
「おう? 終わったのか……?」
「……う? あっ、ああ! 終わったぞ!」
「――んえー! あのね聞いてイチぃー!」
するとそこへ、フィーがぱたぱた興奮した様子で鳥のように手を動かしながら、イチヘイに話しかけてくる。
「カナイナ先生、なんかね、魔力『えいっ』て込めてね、おくすりの調合もするんだよぅ! さいしょ、『良く覚えてない、あんまりやったことないから難しい』って言ってたのにね、おもしろかったのー。お師匠さまがやってるの、見たことないからー」
「そうか、良かったな」
イチヘイは薄く微笑んで穏やかに返す。
カナイナがその姿を、どんな感情か解らない真顔で見つめている。
それにしてもイチヘイが少し目を離した隙に、フィーはまた更にカナイナとは打ち解けた様子だった。カナイナはすっかり、フィーにはビビらなくなっている。
イチヘイは相棒の言葉を承けて、自分を見ているカナイナに視線を流した。
「……要は、医術系の魔法も色々使えるってことでいいか? カナイナ先生は」
「ひぇ……そ、そうだ、が……」
ここまでの行動を見るに、彼女はやはり『少なくともヤブではない』ようだ。
「ま、魔力が薄いせいで本当に基礎的なものしかできないけども……弱い治癒魔法と、きっ、効き目の強くない薬の製錬くらいなら、そこそこ……」
……まあ、イチヘイが話しかけるといまだに耳を倒してビクつくかれるが(彼女が交渉を仕掛けてきたあの段階で、やや脅しすぎたかもしれない)、最初よりはビビり方が鬱陶しくないので彼の中ではもう及第点である。
「――んっ? そ、そうだ。暇を貰う前に、ハナトくんのことについて、少し伝えていきたいのだけど――」
そしてカナイナは、一度テーブルに置いた化膿止めの薬を再び手に取って両手で握り込むと、そのまま花登の予後について話しだした。
「――さっきも言ったが、胞果熱という病は、基本は熱が上がりすぎないようにする対処療法しかないんだ。あと、昏睡状態に陥る時間なんだけれど、これは個人の魂が抱えきれる魔力の総量に応じていてね、人によって日にちに差が出るんだ」
「んえ、しってるぅー! あのね、イチヘイはね、一日だったよ」
「……う、それは……――聞いてしまって良かったのか解らないけれども……、――さすがに一日はないと思うんだよ。それが本当なら『大魔法使いも斯くや』といった位の魔力量というこのになるよ? けれど、でも、……い、イチヘイくんは祝福持ちだろう?」
「そうだな」
ちなみにこの話題は、イチヘイ自身が昔、こちらに来てすぐ胞果熱にかかったという話題の蒸し返しだった。
確かに「知られたくないことは互いに詮索しない」とした協定の内容にその話題は含めなかったが、気付いたらイチヘイ自身もかつて〈稀人〉だったことも含めて、彼がここに来た日の話まで、フィーからカナイナにはバラされていたのである。
ただ、まあそれでも、他にもあまり秘匿しても意味のない情報については(これ以上要らぬ勘違いで諍いを起こされたくない)、先ほどイチヘイの口からも説明してしまっている。
事を構える気がないのなら、隠さなくてもいい情報は多少流しておいたほうが向こうの信用は得やすくなる、というのが彼の経験則だった。
例えば彼とフィーの師匠が文武両道、性能ぶっ壊れのよくわからん魔女であること。フィーとはこの家で共に育った幼なじみであること、さすがにトルタンダでの事までは伝えなかったが今は二人で里帰りにきていることなどだ。
まあこれについても近隣の村には「お大師さんの弟子の片割れは稀人」と知れ渡っている情報だ。少しでも尋ね回ってしまえば判るのもすぐである。大差はないだろう。
「一日……いや、でも、やっぱりそんなことって……」
ただ何が不思議なのか、フィーの言葉を受けたカナイナはまたテーブルの対角線上にいるイチヘイを凝視してくる。今はイチヘイがパッと見は手元の芋を潰して練りはじめているため、気付いていないと思っているらしい。
その上、しまいにはそっとカニ歩きで横にずれて勝手に頭から爪先までを凝視され、
「?? やっぱり、確かに〈祝福持ち〉だ……、っったね? 良く、解らないね、イチヘイくんは……」
と変な言葉の継ぎ方と共に首をかしげられて終わる。何を考えているのかしらないが、釈然としないのはイチヘイの方である。つい突っ込みをいれてしまった。
「……カナイナ先生、俺のこと怖がってるとおもってたんだが急に肝が座ったな?」「ひ、ひええっ! すまないなんでもないホントにすまない!! せっ、詮索はしませんから!!」
一瞬で三角の耳が、頭にくっつくのではという勢いで倒れる。顔の前で両手のひらをブンブンと振りながら、誤魔化すようにさっさと大元の話題に戻っていった。
「――――そっ、それより……、そうだ、とにかく、一般にはこの熱病は、魔法が使えない者なら一週間程度、魔法使いの素養がある者なら三日程度は寝込むんだよ」
「? んええ?」
そこで、二人のやり取りを見ていたフィーが急にとても不思議そうな顔をする。確かにその基準で言うならフィーの言うイチヘイの一日は不思議だが、彼自身もここに来てから最初の半年程度は記憶がないに等しいため、なんとも言えない。当時のフィーはまだ子供であったし、何かの勘違いなのかもしれない。
「……フィー、とりあえずこっち座れよ」
ゆえにそう言って相棒を自分の隣のいつもの席に手招きしつつ、イチヘイは話を進めさせることにした。なにせ本題はそこではない。ついでにカナイナにも、向かいの椅子に座るよう促す。
さて、芋の生地は練り終わった。
指についた生地を濡れ布巾で拭き取り、イチヘイは隣に座ったフィーが話をややこしくしないよう、更に耳の間を撫で回しながら続きを聴く。
「……で? 花登の場合は何日で目覚める?」
「んへへえへへぇ…」
「うーん? 目覚めるまでかい? そうだな、私の見立てでは……」
「見立てでは……?」
しかし背を丸めて急に目を游がせだしたカナイナは、そこから数拍おいてもなぜか言葉を継ぐ様子がなかった。
「あ゛? どうした先生」
「はっ、うっ、あっ、その……」
さすがに不審におもったイチヘイが口を挟むと、彼女はビクリと震える。それから何か、勝手に観念したように耳をしゅんと下げた。
「――す、すまない……。
…………言え、ない……んだ」
イチヘイは眉をひそめる。
「あ゛? ……それもさっきの協定の内ってことか?」
「そう。だね……。だ、だけど、薬は多めに置いていくから、目が覚めるまで使ってほしい」
「んええ、そうなの……」
すると、撫でられてご満悦な顔をしていたフィーが急に会話に混ざってくる。
何を隠したいのかは解らないが、この客人が言えないとして明言を避けてくるのならば、約束通りこちらも詮索はできない。
しかしそれではやはり、フィーには不安だったらしい。どこか心細そうな表情になり、真向かいに座るカナイナの目を覗き込む。
「ねえねえカナイナ先生、ハナトちゃん、良くなる……? カナイナ先生の隠し事で消えたりしない??」
「……う? あ、ああっ、ちゃんと治るとも! それは保証できるね。胞果熱は、一度かかったら熱さえ抑えてしまえば必ず良くなる病気だから。……怖いのはむしろ熱が出なかったときの方、かな……」
「……ふぇ? そうなの?」
「うんうん、バッチリ熱が出て、ずっと起きない方が安心なんだ」
「そうなの、あんしん?」「そうだね。それは誓うよ、ちゃんと直るしあの子は起きるからね」
藤色の透き通った瞳を微笑みに細め、そう締め括られた。言っていることは嘘ではないようだが、その表情はなぜか妙に浮かない色をしている。
(まだ何かあるのかよ……)
それに気付くイチヘイもまた眉間の皺と共に目を細めるが、互いに隠したいことがある身として もう深く問いただすことはしない。
彼女の腕はおそらく確かだ。彼としては最初に頼んだ仕事を完遂してくれればそれでいい。
その時のイチヘイには、それ以外に特に不満などありはしなかった。




