32.賢しい客人を森に埋めるかどうかについて④ ~『信じてくれ、許してくれ』~
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「……すっ、少し推論してみたんだ。
ハナトさんは確かに赤ん坊ではないけれど、年齢以外は寸分違わず、胞果熱の症状がでている。
他の病で、『昏睡して呼吸の回数や心拍まで減りだす』。『死んだように眠る』。なのに『熱だけ異常に上がる』。
……そんな病なんて、ないからね。
ならそれは、今まではこの子が〈円環の河〉とは縁遠い場所に生きていて、最近になって河の力と繋がれるようになったと考えた方が辻褄が合う」
イチヘイは、今はまだ静かに頷くだけに留めて、先を促した。
「……で?」
「……な、ならいっそのこと、この子が〈円環の河〉が及ばない異界から来たんだと考える方が早くないかい?
……幸いこの世界には、ごく稀に"来訪者"がやってくる、しね?」
泳ぐ瞳。
あんたの嘘は分かり易いと、指摘されてなお今も僅かに身じろぐ肩。
……やはり確実になにか嘘が混じっている。
「……それで、あんたはハナトを〈稀人〉だと考えたと?」
「その通りだよ。――考えてみてほしい、新種の流行り病が見つかるよりは、記録を見る限りは〈稀人〉がやってくる方が頻度の方が高いだろう? ……まさか、ワタシの目の前に現れるとは思わなかったけれどね……。
それに〈稀人〉も、ここに形を持って存在するためには胞果熱は避けて通れない病なんだよ。こっ、この病にかかれないなら、生き物はみな、核を潰された妖獣や妖魔どものように消えてしまうんだ……」
……しかしそれはやはり、聞いていてなんの矛盾も隙もない理屈だった。話している間も注視していたが、胞果熱について語る部分はどうやら全て真実である。
イチヘイも道理で『最初の半年間』の記憶がない自分は覚えがないわけだと納得する。
ゆえに問題は、今彼女が話した後半部分である。
(――――何が嘘だ? つかめない……)
彼女を見据えて腕を組み直す。そこで、不安げなフィーが上目遣いでカナイナを見やった。
イチヘイの思いとは裏腹に、フィーは心から花登が心配な様子だ。
「きえ……ちゃうの??」
上目遣いにカナイナに問いかけている。すると相手は慌てた様子でブンブンと顔の前で両手の平を振りはじめた。
「あ! いいや! その、この子はしっかり熱も上がっているし、消えてしまうとかはないからね?! その点は心配しなくても大丈夫だ……!」
イチヘイは渋い顔をしながらも、そろそろ重い腰を上げて反撃に出ることにした。
言うことを鵜呑みにするならばこのカナイナというハクショウ族の医者は、現状の観察と持てる知識だけで、こちらが隠していた事実をきちんとを探り当ててきていることになる。
しかしその一見完璧に見える理屈の中には確実に嘘があり、さすがにそれが何かを見抜けるほどにはイチヘイも敏くはない。
腕組みを解き、組み直した脚の上に乗せる。厄介な獣人女だ。
ゆえになにを隠しているのかその牙城を切り崩そうと、少しずつ質問をし始める。
「……で? 何でその病のことを隠そうとした?」
……しかしその矢先だった。
カナイナはあわあわと口ごもりだす。その上なぜか急に、要領を得ない自語りをしはじめた。
「わ、ワタシはイチヘイくんの言う通り、嘘が確かに壊滅的に下手だと思うっ!
友人にも良く言われていたし、イチヘイくんに指摘されて、やっぱりワタシは、嘘なんか吐ける性分じゃないんだと、おもった!」
「……。はぁ……?」
「――……だ、だからわかってるんだ! たぶんイチヘイくんは、今の私の話に嘘が混じってたことに気づいただろう!?」
一瞬の静寂。
「……んえ。……えぇ……??」
その自身たっぷりにしてくる間抜けな問いかけに、ついにフィーまでもが、彼の横で困ったような声をあげる。
『嘘を吐くなといって話させた内容で嘘を吐き、さらにそれが嘘であったと自ら申告する人間』など、おそらくフィーだって見たことがないはずだ。
それはイチヘイだって同じである。
珍獣を見るような二人分の視線が、カナイナに集まる。それでもカナイナは続ける。……けれどその言葉で漸くイチヘイにも、彼女が言わんとしていたことが分かり出すのだ。
「――……で、でも君たちも、彼女が稀人であることをワタシに黙っていただろう? それは、なにか彼女が稀人だとばれると困る不都合があったのではないのかい……?」
(っ?! こい、つ……!)
その問いに、咄嗟に返す言葉はなかった。痛いところを突いてくる。
その上カナイナは、そんな二人の様子を伺いながらこんなことを宣い出した。
「……それに君たち、知っているかい? 稀人は、奴隷にしてはいけないんだよ? これは、遡れば千年以上は昔の、本当に古い時代からの法にも記載があるほどには古いしきたりなんだけども……」
「は??」
……そんな決まりごと、知るはずもない。知っていたらもっと強く、彼もフィーを諌めていただろう。
イチヘイは咄嗟に寝台へ横たわる花登へと視線を飛ばした。
ならば花登が紙面で話していた「金色のコインの件」は、彼女が稀人と知った上での、彼女の売買の現場であった可能性がやはり色濃く浮上してくる。『してはいけない』と言う背徳にこそ価値を見いだす下郎は、どこの世界にもいるものだ。
ついでイチヘイの胸の底がまたざらりとざわめくが、やはりそれがどんな感情であるのか、イチヘイはよく解らない。
そこへ、『どうしよう なんだか大変なことになった気がするよ』とでも言いたげに、フィーが彼へと不安そうな視線を向けてくる。
ハッと我に返り、気を取り直した。
どちらにせよ今この瞬間、こちらの立場が悪化したのは確定的に明らかだった。ゆえに戸惑っている場合ではない。
イチヘイはこれ以上は相棒が余計な口を挟まないよう、その耳の間へそっと手を伸ばす。
――そうして『んへぇ…?』と撫でられて目を細めだすフィーを横目に、彼は鋭い敵意で賢しい客を見据えた。
視線で、その場に縫い止めでもするように睨む。今度こそ思考のど真ん中で、『本当に埋めてやろうか』などと真剣に考え出している。
「――……あ゛あ゛? つまり、逆に俺たちを脅そうとしてんのか? 何が目的だ? 金か?」
獣の威嚇のごとく低く唸る声が、部屋を静かに震わせる。その余りの気迫に、対峙しているカナイナからは『ヒッ』と息を飲むような悲鳴が上がる。
「ちっ、違うんだ、きいてくれないか!?」
ごとりと、背もたれのない小さな丸椅子から立ち上がりながら、彼女は続ける。
「こ、この際言ってしまえば、訳アリなのはワタシも君たちと同じなんだ! この期に及んでまだ君たちに嘘をつかないといけないのも、その所為なんだ!
……でも、ワタシは君たちの事情についてこれ以上は深く詮索しないっ。――代わりに、君たちは、ワタシが君たちにしている隠し事について、これ以上詮索しないっ。
そっ、それで許してくれない、だろうか!?」
この家にやって来てからずっとおどおどしていたカナイナだったが、そうやってイチヘイ相手に交渉を始めたその口調は、真剣そのものである。
「それでも、ワタシがこの子を助けたくてここに来た思いは、勿論真実だよ? それだけは嘘ではない! だから、飲ませようとした薬が利くと話したのも嘘じゃない!」
イチヘイは、彼女のその姿勢をじっと睨む。彼女の『言い訳』は続く。
「……ただ、もしこの子の病について話すと、結局は彼女の正体についても触れなければならなくて……、そっ、それで現にこうしていま、ワタシは君たちと対立しているじゃないか。こうなるのが嫌だったんだ!
……だから、もう詮索しないと約束してくれるなら、最初からの約束に従って、ワタシはこの子の胞果熱の治療について最善を尽くす。
それから、ワタシも君たちから教えられないことは聞かない。
そ、それで許してくれないか!? 信じてくれ、ワタシを――――!!」




