31.賢しい客人を森に埋めるかどうかについて③ ~騙る客人は、とても正直者~
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凶悪な笑顔を添えながら淡々と自分を追い詰めてくる男を前にして、ニカナグになす術はなかった。
やはり自分が世間知らずだっただけで、世の中には他にもこんな人間は居るのだと知る。
フィーからも引き剥がして貰えてようやく一息吐いたが、ニカナグの心臓は、今も左胸の定位置から外れてしまったかのように胸中をぼこすか跳ね回っていた。
「――で? そう思った理由は? 俺としても聞きたいところなんだが」
「それは、その……」
直感的に思う。この青年にはもう、下手な嘘は吐かないほうがいいだろう。
(できればこの子が〈稀人〉だと気付いてしまったことは、最後まで隠していたかったのだけど……)
なにせここまでニカナグにとって、彼らは得体が知れなさすぎた。
ニカナグにもよく解らない、魔法と魔力で満ちたこの家。こちらの能力を看破して消える『鏡写し』。
そうしておそらくはそれらを作った、正体不明な『お大師さま』は、ニカナグの前にいつ現れるかわからない。
さらにはそのお大師さまの弟子らしい、心を病んで挙動不審な耳長族の娘。『お大師さま』とその弟子と、どのような関わりなのかも解らない、この傭兵の男。
――――『子供を助けてほしい』とこの家にニカナグを呼んでおきながら、その子のことはどうとも思っていないようにも見える、ニカナグには読めない意図。
そうしてそんな中でそこに囲われている奴隷の子が〈稀人〉だと、幸か不幸かニカナグは気付いてしまった。
そうしてそんな彼女、敢えて手元に置くその行為。〈稀人〉を奴隷にするのも、それを買ったとするのも理解に苦しむ。
……普通に考えれば、この家の人間たちは
どう見ても訳アリなのであろう。
確かに、『〈稀人〉は迎えよ』とは言う。ニカナグも本当に綺麗な身なら彼らを糾弾していたかもしれない。しかし訳アリなのは、今はニカナグも変わらなかった。
ニカナグの理性が、面倒ごとに無駄に首を突っ込むなと彼女に告げていた。
ただ一方では彼女の病の説明をするためには、気付いてしまった事実――――花登が〈稀人〉であることを指摘するのは、どうしても避けて通れない道だったのだ。
だから『風邪だ』と嘘を吐いた。この病は、熱冷ましさえ飲ませればどうにかなるからだ。
カナイナはかいた冷や汗を落ち着かせるかのようにまた、自身の口先に触れる。どうやったら自身の能力について触れずに伝えられるか、考える。
そうして一度深く息を吸って吐くと、その手の下から現れる表情はいまだビク付きながらも、どこか一本芯を通したような強い色を帯びる。
だってニカナグは、このあとも嘘を吐くことを避けて通れない。
けれどそれでも、交渉次第では真実を話さずともきっと彼らに容赦して貰えると信じて――――いいや、権謀術数などとは無縁に生きてきた彼女には、とっさにそれ以外の道などどうしても思い付けなかったのだ。
「それは……。その……風邪などと嘘をついてすまなかった。
でも、嘘を吐いていた理由を説明するためには、まずは本当は、この子が『胞果熱』に罹っていることを伝えなければならないんだ。
……ところで君たち、さすがに胞果熱は知って、いるよね?」
「んえ? しってるよー」
「あ゛? なんだ? ホウカネツ……?」
ニカナグの口から出たその単語に、二人からの返答は綺麗に別れる。
「う? イチヘイさんはしらない、のか……?」
この珍しくもない病の名前を、自分よりよほど社会的に経験のありそうな年下の男から聞き返されること。思ったよりフィーがまともな受け答えをしてくること。
そのどちらもが、二人のことがまだよく分からないニカナグには未知のものだった。
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胞果熱。
知らない単語に、イチヘイは眉を潜める。
また内容をでっち上げている可能性も考えたが、一方で相棒のフィーの耳がぴょこんと跳ね、得意気にカナイナを見つめだす。
「んえ! しってるよー、胞果熱ね!」
本当にある病のようだ。
「……何だソレ」
「ああ、ええと……」
すると、カナイナはわずかに戸惑ったような表情を見せたが、すぐに説明を続けた。まず冒頭にはなぜか病以前の、とても基礎的なことを話される。
この世界には〈円環の河〉と呼ばれる力の流れが、万物の根底に流れている。この力を魔力として、魔法使いは魔法を使う。
また、『魔法を使える』・『使えない』は、この河の『水』をどれだけ自身の魂に引き込んで溜め込めるかで、ほぼ生まれつきの素質として決まる。
まとめるとそんなことを語ったあと、
「……で、要は、生き物の魂は、魔力を溜め込める柔らかい器のようなものなんだよ。
革の袋のようなものと考えてくれても構わないかな。魂は溜め込んだ力を身体に回して、身体を巡り回る以上に有り余る河の流れを持つ者は、成長と共に魔法が使えるようになる。……イチヘイさんは〈祝福持ち〉だから、ちょうどその中間に入るかな。
……まあ、この辺りは知らない人間はいないだろうとは思うけれど」
「まあ、そうだな」「ん、知ってるよう」
「――では一つ質問してみようかな。
フィーゼィくん、私たちはいつからこの〈円環の河〉と繋がっているか知っているかい?」
「んえ……!?」
途端に、フィーは困ったように首を傾げる。ちなみにここまで説明される間にフィーも、たまにカナイナに向かって普通に返事をしたりしていた。
お陰でまるで幼い振る舞いしかしないのに、きちんと論理的な思考も持つこの狂人のちぐはぐな知性を、どうやら初対面の客人も(意外に思いながらも)受け入れたようだった。
フィーは得意げだった耳を急に斜めにして首を傾げだす。
「んええ、そこまでは知らないよう……」
「ふふふ、そうかい? ……なら、イチヘイさんはどうかな?」
「……。は?」
フィーに慣れたからといって、いきなりこっちにまで自然な笑顔で話題を振ってくるとは思わなかったイチヘイである。
妙な切り替わり方だが、今のところ怪しい挙動はない。
一瞬戸惑ったように眉を下げるも、
「……フィーが知らねえのにオレが知るわけねえだろ」
ぶっきらぼうに目をそらす。カナイナは一瞬口を半開きにしてたじろいだようだったが、それでも続けた。
「う、その……。正解は生後1~2週間、だよ。新しくこの世に生を受けた人間はこの期間内に、別名では、『魂の川』とも呼ばれる〈円環の河〉と繋がり、世界に存在し続けるための形を得る」
「……。……んあ゛? 『形を得る』??」
一瞬、誰も語らない沈黙があったが、イチヘイはそのあとすぐ、彼女の言葉尻を拾って片眉を上げた。
「……それは、形にならなければ存在できねえみてえな言い方だな?」
「ふむ、イチヘイくんもご明察だね、なかなかだよ!」
するとまるで教師のするような口ぶりでスパンと返された。さらっと『くん』づけをされ始めたことに気付きながらもスルーする。ついでに、こんなことでおだてても何も変わらないぞ、とばかりにふん、と鼻を鳴らしておいた。
「……ま、まあ、要するに、だよ。イチヘイくんが問い返してくれた通りなんだけれど――――」
彼の反応に困ったような表情を浮かべながらも、カナイナは続けてこのような事を語りだす。
「この〈円環の河〉は魔力うんぬん以前に、この世界に肉体という形を保って存在するためには切っても切り離せないものでね――――」
『この世界に生まれた魂はその瞬間から〈円環の河〉と繋がろうとする』
『河の力は、その魂に引き寄せられるように勝手に繋がりにくる』
そんなことを言ったあと、カナイナはここでようやく本題について語りだした。
「……それでこれがやっと、胞果熱の話につながってくるのだけど」
ホントにやっとだなと、黙って聞いているイチヘイも腕を組み直す。
「この、魂が河とつながる過程で起きる変容は、物質的な存在である肉体の方にも多大な負荷をかけるのだよ。
魂が河と馴染むまでの間、身体のほうは高い発熱と長時間の意識の喪失、それから呼吸や心拍の低下などを引き起こすんだ。……私から言わせれば、これは病と言うよりは『生まれて初めてなる魔力障害』、に近いと思うのだけどね……」
「あ゛? 高熱を出して眠ったまま……? このガキもそうだったな?」
イチヘイはそこで、やっと点と点が繋がりだしたような気がした。
「そう! それで、この病は『胞果熱』と呼ばれているんだ。この世界に同"胞"として、新たに実った"果"実への洗礼のような"熱"病、という意味合いかな」
イチヘイは、フィーがこの事を知っていたことにも納得した。相棒は下に、弟妹が何人もいたと聞いたことがあったからだ。
しかし半分は納得しつつも、まだひとつ引っ掛かる。カナイナはさっき、『胞果熱は生まれたばかりの子供がなる病だ』と言っていた。
「……だが、アンタは今、赤ん坊でもないこのガキが胞果熱に罹ってるって言いてえんだよな? 何で胞果熱だと断定できる?」
「あ……、ああ! そうだね?!」
そこで急にカナイナの瞳が、再びきょろりと游ぎだした気が彼にはした。ついで回数の増えだす瞬き。
(――……は?)
ずっと彼女の挙動を監視していたイチヘイである。
正直に言えと脅しつけた手前、一度は気のせいかもしれないとも考える。鼻筋にシワを寄せつつじっと凝視してみるが、確実にそうではなかった。
「だからワタシも、はじめは何か新種の病気なのではと心配してしまったのだけど、……それよりは、まあ、まずはあり得る可能性から潰していくべきだよ。少し推し量れば判ることだから、ね……?」
カナイナはさらに、上唇のすぐ上へしきりに触れはじめる。
……さすがに分かり易すぎて、一周回って罠なのではとすら思えてくるが、彼女の話はまだ続く。




