29.賢(さか)しい客人を森に埋めるかどうかについて① ~隠していた筈なのに~
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「ふゅへへ……」
片手に底の深い木皿を持ち、もぐもぐと口を動かすフィーは満足そうだった。
急に呼ぶのでイチヘイも何事かと聞けば、『くだもの剥いてくれるって、さっき言ってた!』と、食い意地の張ったリクエストをしに来ただけであった。
仕方ないので先日、村に買い出しに出た際 買ってきた、小ぶりな青林檎のような果物を切って出してやる。
「――――んえ、ねー、カナイナ先生もロゴ梨 食べる? 美味しいよぅ?」
そうしていま、イチヘイはフィーと共に花登を寝かせた部屋に戻ってきている。
重なりあう本やら箱やらを動かし、何とか作った狭い空間に計四人が押し込まれている形だ。ここは下の書斎に寝床を新調した結果、今や物置部屋と化した師匠の寝室だった。
すぐ隣まで歩み寄りに行ったフィーが器を差し出す先には、イチヘイ達にカナイナと名乗った、医者で獣人の女がいる。
イチヘイは彼女が家にきてから、この客人の動きを注意深く観察し続けていた。
カナイナは白い狼をやや人寄りの顔立ちにして、人間と同じように頭髪を生やした姿だ。
どう見ても獣人種なのだが、どうやら彼女には尻尾がない。着衣の尻の部分には尻尾通しの穴もなく、尾が生えている様子もない。
怪我で失くした、なども考えられるが、この世界で『一般に言う獣人種と亜人種の境目』が、まずは尻尾のあるなしによって区切られることを考えると、なかなか奇特な姿である。それに指先は毛皮で覆われているが、時々丈の長いチェニックの裾からちらと見える足首は、イチヘイや他の亜人種と同じ素肌だった。
『ハクショウ族』という種族自体も、イチヘイは聞き馴染みがない。
それでも、
(……少なくともヤブ医者、ではないのか……?)
そんな結論に達しようとしていた。何しろこの国には、医師に対する明確な免状のようなものが存在しない。つまり(よその国のことは知らないが)『自分は医者だ』と言い張る者の力量は、患者側が見極めるしかないのだ。
そんな中で幸いしたのは、イチヘイに『育ちの良い人間』と『そうでない者』、さらには『武人』の所作を見分けられる特技があることだった。護衛の仕事相手が貴族になる事が一度や二度ではなかったため、敵、味方、注意すべき人物の挙動に気を払う内、何となくでも学んでしまったのだ。
その上で彼に言わせれば、カナイナは歩く足の運び・立ち居振舞いが、上流階級で行儀作法を学んだことのある者のそれに近い。言葉づかいも、(時々どもるが)スラングなど混じらず上品ではある。つまり少なくとも平民の出ではない。
……となると、それなりに学を積んだ人物である可能性は高いが、それでも見知らぬ者を家に上げるのは、やはり警戒してしまう。
この男は、もとより少し疑り深いのだ。
(……後は本当に医者であればいいけどな……)
なんとなれば、医者を呼ぶのであれば彼もそれなりの礼金を出すつもりでいた。
先走るフィーが喚び出した鏡写しへ『何かあったとき用に』と心づけを渡したのもこの男だ。 ……下世話な話だが、金があれば人は動くのだ。
おそらく叩いたところで何も埃は出てこないだろうが、万一にも報酬に目がくらんだだけの変な奴を呼び寄せていたら困る。
イチヘイは雑談を装い、フィーから受け取ったロゴ梨を食べているカナイナに軽くカマをかけておくことにした。一挙手一投足、見逃さないように観察しながら声をかける……――ただそれだって、『念には念を』程度の軽い気持ちだった。
「……で、カナイナ先生。
ガキの容態はどうだ?」
「――ふぇ? っ、……そひぇ、は!」
もそもそと食べている物を飲み込もうとするカナイナ。
――――しかし次に口を開きだすその瞬間、不自然に――そして明らかにカナイナはイチヘイから目を逸らす。
(――――あ゛……!?)
「……その……、ただの……重い風邪のようだね。解熱剤を処方するから、使うといい」
声と表情がわずかに硬い。
「んえ、そうなの? イチぃ、良かったよぅー……」
「……。そうだな……」
フィーがほっと胸を撫で下ろし、振り向いてイチヘイに話しかけてくる。
カナイナはその横で、わずかに強ばらせたその表情のまま唇のすぐ上を触りはじめた。
こういうタイプはたまにいる。唇に限った話ではない。他にも鼻、目、首の後ろ……。とにかく人と話しながらとっさに肩より上を触る人間は、大体は不安な事から逃げたいか、――――あるいは嘘をついていることもある。
ただ、手の仕草だけなら単にイチヘイの態度にビビっているだけと済ませることもできた。
来たときから終始( なぜだかフィーにすら)ビクついているのは見るにつけ、そういう気質のようにも彼には思えていたのだ。
……しかし声や顔の仕草、さらには目線まで一緒に逸らされるとなると、一気に意味合いが変わってくる。幾つも重なるならば、それは確実に何か嘘を吐いている時の仕草となるのだ。
――――少なくとも、仮にも医者が診断の話をするときにするソレではないだろう。
(は? おいおい、まじか……??)
面倒なことに疑う余地ができてしまった。幸いなのは、どうやら彼女が嘘を吐き慣れていない様子なことだ。
……尋問しやすい。
イチヘイは目を細めながら試しにもう一つ、水面に石を投じるように問いかける。
「……なあ、ちょっと尋ねたいんだが。その薬、本当に効くのか?」
「……え? あ、ああ、疑う気持ちはわかるがそれは大丈夫だ。ちゃんと亜人種用のやつだよ」
――不思議なことにそれは嘘ではないらしい。
しかし一つ疑いだすと、全部が怪しく思えてくる。
彼女は明らかに教養のあるような身分のクセに、こちらが礼節のない態度で接しても、気分を害したような態度を取りだしたりしない。
さっき一度だけ、『ついに怒ったか?』と思う瞬間もあったが、べつに痛くも痒くもない嫌味を言われただけだった。嫌な奴ならこの辺りで明かした身分を笠にきてこちらを諌めにきてもおかしくない。……ということは、何か訳アリな人物の可能性も――。
(――いやいやいやさすがにそれは穿ち過ぎか。にしても、なら、何で今、あんなあからさまな嘘を……)
「ねえねえイチ……」
そこへフィーが隣まで戻ってくる。イチヘイは、丸椅子に座るカナイナとは寝台を挟んで反対側、壁際に置かれた大きい長持の上に座していた。その右隣が、フィーがさっきまで腰を下ろしていた場所だったのだ。
ストンとお尻と尻尾を彼の隣へ並べながら、じっとイチヘイの横顔を見つめだすフィー。
「……なんだよどうした?」 あまりに真っ直ぐ見つめてくるので落ち着かずチラリと横目を合わすと、彼の相棒は顔を近づけて不思議そうな声で囁いてくる。
「――イチ。カナイナ先生が、なんか嘘ついてると思ってるのよぅ?」
瞬間、空気はぎこちなく固まった。囁きといっても室内は狭いのだ。その程度の声の落とし方では、この距離では相手にも筒抜けだった。
「――っ、は? おいバカ……、」
「んえ? だって、すごい怖い顔でカナイナちゃんの事見てて……なんか怪しいって疑ってるのよねぇ?」
この耳長族との付き合いの長さがすべての仇である。普段、どうでもいい他人には見向きもしないイチヘイが必要以上に相手を見ている……それはつまり『そういう時』なのだと、思えばこの狂人うさぎは学習済みだった。
こんなことになると思わなかった以上 仕方の無い面もあるが、ここに幼い態度をとるフィーがいたことは失敗だったかもしれない。
イチヘイは咄嗟にカナイナに目を向けてしまう。
逸らされる薄紫の面差し。座ったままたじろぐ足先。
「……~っ! な、なんのことかな……?」
嘘だろうとも思うが、驚いたことにフィーの誤爆は、この胡乱な客に対しては大きな揺さぶりとなっていた。
その様子は、なんと形容するべきか。
あなたが犯人ですね? と推理小説で追い詰められた人間が、うろたえだす身動ぎを微塵も隠しきれていないような……、まさにそのような挙動をしている。
(……コイツさすがに嘘が下手すぎないか?)
しかし、ならばイチヘイも本腰を入れて彼女を問い詰めざるを得なくなる。
残念なことに、こちらを騙す者。裏切る者。――――黙って許容できるほど、彼は器が広くない。
イチヘイは静かにカナイナを睨みつけた。
「……なあ、医者、このガキがただの風邪ってのは嘘か? それとも『よく効く』って自信満々のその薬が、解熱剤ではない何かなのか? 俺たちに何を隠してる……?」
唐突な問い詰めに、さらに狼狽える彼女。
「へっ?! そっ、だ、だから、そんなの、何も隠してなんか……」
――黒。
ゆえに乾いたため息で指摘した。
「その発言も嘘だな? あんた、嘘が下手って言われないか? 分かり易すぎる。
正直に言った方が身のためだぞ――何を隠してる? ……悪いが、俺はよっぽど嘘つくのに慣れた詐欺師でなければ他人の嘘は見抜けるんだ。
……『ウチの奴隷に変な薬を飲ませようとした』って、村の警吏に突き出してもいいんだぞ。俺は下のニーム村じゃ顔が知れてるからな?」
そうしてニヤリと質の悪そうな笑顔を作りながら、焦りに焦った表情をする自称・医者の目を覗き込む。
「――……なあ、得体の知れない種族の余所者と俺、警吏はどっちの言葉を信じると思う……?」
するとその横でどうやら話を理解したフィーが、「イチヘイだねー……」と、ゆるく呟きながらまたもぐもぐとロゴ梨を齧った。横目でその頭をぽすぽすと撫でておく。
しかし本当はイチヘイも、花登の入手経路に関しては脛に傷のある身だ。実際に突きだせなど出来はしない。
「そっ、それはっ……――!」
けれどたとえハッタリでも、その恫喝は彼の目論見通りこの扱いやすい嘘つきには効果てきめんとなる。
「――わ、わかった、言う……、よ……」
ついには三角の耳と肩をしゅんと落とし、観念した様子になるカナイナ。ついで、何か腹に決めるように息を一つ吸って吐き出すと、口を開く。
――――しかし次に彼女が発したその問いに、イチヘイは全くの意表を突かれるのだ。
「――……この、ハナトという子。
『買った』とは聞いているけれど……。〈稀人〉……だろう?」
「?!」
彼がフィーと二人、揃って隠し通そうとしていた事実を暴かれる。その言葉はまるでカウンターパンチの殴打音のように、部屋の空気を震わせる。




