28.彼女の顔をかぶるもの⑨ ~迫るもの~
読了目安→4~6分
これでもう、少しばかり解析に夢中になってしまっても、その挙動を怪しまれることもない――――抑えがきかず好奇心の塊と成り果てたニカナグは、千載一遇のチャンスに もはや辛抱ならなかった。
(す、すべては、このハナトという子を助けるため、だし……! 単に視てみたい、とか、そんな浅慮な動機ではない、ぞ……?!)
――――そして、〈魔法族の眼〉は発動する。
とたん、今まで目にしていた世界に青にうっすら緑が混じり合う不可思議な模様が重なり、そこかしこをゆったりと揺蕩いはじめる。
「……う、わ……??」
ぐるりと切り替えてみれば、視界は始めに感じていた居心地の悪さとすら比較にもならないような、魔法と魔力の蠢きに満ちていた。
「うぅっ、……本当にわけがわからない、な……」
ニカナグは思わず、また拳で唇を触ってしまう。 ここに少し居座る間にだいぶ慣れてきたと思ったのに、彼女はまたも一気に頭の中身を揺らされるような目眩を覚えていた。
魂は白いが、そこから流れてくる力は、魔法として使われる時には基本は青い色をしている。
この色合いには個人差があるが、この魔力の持ち主は青と言うよりエメラルドブルーに近い、魔力としてはかなり変わった色をしていた。同時に、通常の魔法からは感じない、妙な気配も発している。
「か、鏡写しが『主』と話していた、この「お大師さま」とやらは、本当に何者なんだ……?」
なにせ目に映る魔法式のほとんどは『鏡写し』と同じく、やはり見たことも聞いたこともない、恐らくは古代文字の魔法記述でできている。
「――こんなの、あり得るだろうか? 知らない技法の魔法、ばかりだ……」
目に出来る何もかもがおかしく、理解できず、そして非常に興味深い。目眩に加えて吐き気すら覚えはじめながら、それでも気持ちが高揚してしまう。今すぐにでも、何もかも調べ尽くしたい。喉から手が出るほどの衝動に駆られる彼女だったが、
(む、ぐ、まて、ダメダメダメ抑えろ押さえるんだニカナグっ……!)
そう言い聞かせて本当に死ぬ気で気を逸らした。こんなのをもし本格的に調べ始めてしまったら、さすがに何日あっても足りない。
通りすがりの身で、これだけ視ればもう十分ではないか。大局を見失ってはならない。今、本当に必要なのは、ハナト自身の容態を診ること……。
そしてようやっと寝台へ意識を戻すニカナグである。だが、
「――――っ、なっ?!」
そこで眠るハナトを目にした彼女は、これにはこれで、一瞬で言葉を失ってしまった。
思わず見開かれた、偽りの薄紫をした瞳の先。
目にしたハナト、という少女の帯びる魔力と魂のその容は、ニカナグの想定をあまりに凌駕してそこにあった。
―~****~―
その兵団の先頭を歩く男は、名を小柄と言った。元の名前は知らない。褪せた茶髪をうなじで無造作に結わえ、痩せこけて、名前の通り人族にしては小柄な男だった。
元は狩人だと言うが、若いくせに寡黙でなにを考えているかも良くわからない、表情の薄い奴だ。
「どっちへいった?」
五分は小柄に問いかける。アレを見失ったのは、昨日の夜半過ぎからだ。
街道を少し外れた、エナタルの森のなかだった。
獣道すら踏まず、頭目を含め、武装した男どもが集団で落ち葉と下生えの茂みを踏みしだく。
異様な光景ではあるが、どこの所属かをあらわす記章は今は隠すよう命じてある。もし自分たちの素性を疑うような地元民に会っても、狩りにきた、などと適当に世間話をすれば、まぁ素人目くらいならば誤魔化せるだろう。
そう、五分は考えていた。
……それに実際、彼の率いるこの"群れ"は『狩り』をしているのだから、間違ってはいない。
そこへ、
「あっちです、五分さま」
昨日の雨上がりで湿った落ち葉に這いつくばり、まるで犬のように地面を見つめていた小柄が声を上げた。
す、と、骨張った人差し指をのばして一方向を示す。
白い小花が咲き匂う茂みの周りを、しばらくぐるぐると調べまわったあとのことだった。
「……この茂みのなかで休んだ。それから耳長族の女に見つかった。……それから、その女と鬼ごっこを始めてやす」
「……は? ふざけて言ってんのかテメェ?」
睨んで圧をかけてみたが、わずかに首を振りながら静かに見つめ返してくる。
「……いえ。……耳長の女なんてどこにでも居やすでしょう」
「……ちっ。よくやった。引き続き追うぞ」
五分は、たるんで皺の寄りはじめた毛むくじゃらの口元をわずかに引き上げて返す。
この小さい男は、狩りで獲物の動物を追い詰める追跡術を買われてここにいる。
素人目には見当もつかないが、彼は森に入ると、落ち葉や土の面、草木に残る痕跡だけで、その場所をどんな生き物が通ったか、通過からどの程度 時間が経ったか、おおよそ見当がついてしまうらしかった。
「ですが、五分、さま……」
と、そこで小柄が、珍しく更に口を開いた。ただそれ以上は、なぜか言いにくそうに口ごもる。
五分はその鬱陶しさに白髪の混じる眉をしかめた。
新入りの序列は、いつでも一番下だ。本来は話など聞いてやる義理すらない。
「なんだ? 今度こそ冗談でも言うつもりか?」
「本当に、追いかけるので? アレは、『非合法』ですよね。それに――――」
「ふん? 大人しいやつだと思ってたが、今日はやけに舌が回るな? 俺の見当違いだったか?」
その言葉を聞いた小柄は急に緊張した面持ちになった。張りつめた沈黙が返ってくる。
「そうだ。それでいい。……小柄、これ以上頭目に反論する口はあるか?」
「いえ……」
五分は支給品の剣とは別に、腰に携えていた棒鞭を取り出した。
それを目にした小柄は諦めたように目を伏せ、近寄ってくる。
「……『お赦し』を、お願いします」
「"狗よ、その従順さを美徳とせり"」
"群れ"の訓戒と共に、願われるまま彼の横っ面をひっぱたく。
ばちん! と小気味の良い音がした。
力一杯ふるうと皮がめくれ血が出るので情けはかけてやる。
この鞭は今いる男たちの中で、彼らを束ねる五分だけが持つことを許された『頭』の証だった。
さらに顎をつかみ、この愚かな弱輩にも解るように彼は訓告してやる。
「……はっ、馬鹿が。
――――いいか? お前の言う『アレ』と引き換えにオレ達が得られるものがどれだけデカいか、目上に対しての口もまともに利けないお前も忘れたわけではなかろう?
それにお客も、あの『金のたまご』にゃよっぽどご執心だ。拠点で待ってりゃあいいのに、この追跡にも後から合流するってんだ。
……だからとっとと捕まえる。
この群れの中でのお前の役割は、獲物のにおいを追う猟犬だ。ろくに戦闘もできねえ無能が、今日も無事に飯を食いたければそれだけしてろ。……分かったな?」
「はい……」
諦観したような声。種族入り交じり、周囲でそれを見つめる男共も無感動に黙している。
それきり、小柄が何か言ってくることはなかった。おとなしく地面を見つめ、時に這いつくばり、痕跡を拾う作業に徹しだす。
逃げ出した『金のたまご』は、年端もいかない娘である。
五分もアレの顔はちゃんと覚えている。
榛色の瞳に、色素の薄い黒髪。気の利く眇目が『処理』まで済ませて"群れ"の塒に引きこんできた、特別な品だった。
五分はフン! と鼻を鳴らし、改めて手下たちに号令をかける。半分を失った尾と、やはり右耳が半分ない、長い立ち耳を力強くそびやかす。
「いいか! このまま、お前らもこの犬の後につづけ! 二度と逃がさん。必ず縄つけて引き戻すぞ!」
『『アイサ!!』』
彼に従う男たちが返す気勢が、エナタル山脈の森の外れに響く。
武装した六人の男たちの姿は、やがて森の奥へと吸い込まれていった。




