2.狂人うさぎは幼女をうちの子にしたい① ‐君に向ける後悔‐
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木々の隙からひかりが射し込む、古い木造の家だった。
キッチンに面する大きい窓と庭との間には、古ぼけてやや朽ちはじめている木製のバルコニーがある。
一方で、その向こうに広がる広い畑と裏庭はよく手入れがされ、菜園には薬草と、とりどりの野菜の緑が鮮やかに列をなしていた。
そして庭の隅の囲いには〈青頭巾〉と呼ばれる家禽が十数羽ほど放し飼いにされている。青く円筒形をした山高帽のようなトサカと、トサカと同じ色の鮮やかな羽根を頭部に被る、食用の鳥である。時折『ケッケギョーギョル-!』と一羽が鳴くと全員が一斉に呼応し、にわかに辺りが騒がしくなる。
それは、あの忌まわしい雪の果てからは気候すら切り替わるほど遠く西に聳えるエナタル山脈の麓。とある民家の庭先の光景だった。
森の縁に建つこの家は、魔女の持ち家である。しかしそんな家の中で鋭い横顔をうつむかせるイチヘイは、いつの間にかまた相棒と自分のことについて考えている。
イチヘイはこの家の家主に拾われ、九歳のころからフィーと共におよそ五年をこの家で暮らしてきた。十五の頃からは、みずから望んで傭兵という職で飯を食ってきた。
一緒に育った相棒のフィーもまた、イチヘイを追いかけるように後ろをついてきて、ずっと同じ仕事をしてきたのである。
「…………」
目前には、桶に汲んだ冷ややかな井戸水。スープに入れる青菜の土を落としながら、彼は心健やかだったころの、相棒の笑顔と言葉を思い出してしまう。
杏色の毛並みに、長い耳をもつ獣人種――彼の相棒、耳長族のフィーゼィリタス。
――――『ボクは戦うのは好きだから。イチの背中を守れるのは、光栄だと思ってるよ』
思い返してみても、当時のフィーは確かにそう言って笑っていたし、イチヘイもそれを止めなかった。
それに、エナタルの山中に集落を作る耳長族たちは、『耳長族』という種族のくくりのなかでも際立った戦闘部族だった。その資質は血に刻まれ、末裔であるフィーもまた戦士としては格別に強かったのである。
隣にいてくれるならば大変に心強かった。
だからいつでも犬みたいに後ろをついてくる穏やかで勇敢なこの獣人を、彼は実の家族など比べるべくもないほどには信頼した。死地に立てば、彼の命と背中は必ずその相棒にのみ預けられてきた。
金をもらっては共に人やモノを護衛し、時に襲ってくる盗賊どもと武器を交える。そんな仕事をずっとしてきた。
そのうち二人が腕前にも覚えをもつようになると、依頼を探さなくても名指しで仕事をしてくれないかと頼まれるようになる。大きな隊商の護衛でも稼ぐようになった。
相棒と仕事をする内には、戦いの果てに『敵』を殺してしまうことだって何度かあった。
けれどあの頃のフィーは、あまり殺しに抵抗を持っているようには見えなかった。ただ、『生き残れたことはエナタルの戦士であるボクにとっての誉だから』と前向きで、殺してしまった相手に対しても常に敬意を払っていた。
そうした生活の中で、戦場は金になる、と誰かから聞いたのだ。
――……その、流れ着いた結果が、あの雪の果て。
トルタンダの山地で二人が関わってしまった、原住民族に対する殲滅作戦だった。
菜を洗う水の冷たさに、あの山にふりしきっていた雪の冷たさを重ね、イチヘイの目がふと険しく細まる。
「…………。」
普通の戦争では、主戦場には兵士ばかりが集う。最低限でも戦う意思と、殺し、殺される覚悟を持ったものたち。
けれどあの場所は違った。
少なくとも二人が紛れ込んだそこには、戦士も兵士もいなかった。敵など、もしかしたら初めからいなかったのかもしれない。
そこから、フィーの様子が明らかにおかしい。
そしてイチヘイも、彼らの命を奪って何とも思えなかった自身の中身について、今は後悔と疑念を抱きつづけている。
まな板にのせた菜を刻むと、ざくり、ざくり、と部屋中に音が広がる。その響きと感触に煽られるように、イチヘイの思考は止まらなかった。
もし自分が『こう』でなければ。
大切な相棒に、取るに足らない言葉しかかけてやれなかったこの結末を、別のものにできていたかもしれない、と悔いる。
相棒はああなった。
しかし自分はならなかった。
それが何故だったのか、最近は気付くと考えてしまう。
確かにイチヘイには人として何かが欠けている。彼自身にもそんな自覚はずっとあった。今感じる後悔すら、やはり殺してしまったトルタンダの人々の命を想って悔いるものではない。それ自体が、その最たる証になってしまう。
けれどその『欠け』が、まさかこんな形でフィーへと牙を剥く日がくるとは彼は思わなかった。だから余計に考えてしまう。もし自身がこうでなければ、この結末は変わっていたのではないか、と。
あの日、焼け落ちた村の端でフィーと交わした会話も、イチヘイは全部思い出せる。だが、
「――――……だめだ……」
彼は額を押さえた。そもそも、どう後ろを振り返ったとて、起きたことはもう何一つ変えられはしないのを、彼だって理解はしているのだ。
身内以外の命と心をどうとも思えない鉛のような自らの感性に嫌気がさす。それでも、欠けた彼自身にはどう動かすこともできない。
――――カタガタカタッ!
その時、鍋の蓋が鳴った。グラグラと音を立てはじめた目の前の鍋と吹き出す蒸気に、イチヘイはフッと意識を引き戻される。
気付けば、菜を切る腕さえ止まってしまっていた。
中身が噴き上がりだす前に素早く蓋をあける。湯気の立つ小鍋からは煮え上がった〈青頭巾〉の骨付き肉と、野菜と香草の良い香りが立ちのぼってくる。
イチヘイは気を取り直して最後まで菜を刻みきると、湯気の沸く鍋の中にそれを入れた。少し煮えるのをまってから、玉杓子ですくって味を見る。
肉の脂に素材の旨味が混じりあい、作った本人でも思わず笑ってしまう程度には美味しかった。そろそろ火も止めた方が良いかもしれない。
(結局いまの俺には、アイツに旨い飯を食わせてやるくらいしか、できることは無いんだろうな……)
後ろ向きな思考であることは彼だって承知の上ではある。
「おいフィー、飯できたぞ、お前の好物の……」
顔を上げて振り向いた。
低いのに凛と響く、それでいて少し喉にかかるような深い声だった。
そこで、ふと気付く。フィーがいないということに。
薄闇を血に染めたような、暗く鮮烈な双眸が辺りを探る。
イチヘイの立つ調理台の後ろには、大きな楕円のダイニングテーブルと三ツ脚の椅子が四脚。その向こう側の壁ぎわには、ひとりがけのソファが三つ、ローテーブルを囲んでおかれていた。
この家にいる時は、小さな頃から自然とこの部屋に集まってみんなで団らんしていた。久しぶりに帰ってきても、それは変わっていなかった。
ついさっきまでフィーも確かにそのソファで、壁際に置かれた背の高い棚から、装丁の崩れた古い物語の本を引っ張りだして読んでいたと思ったのだ。
「----あ゛? おいフィー?」
彼の声は普通に話していてもそれなりには通る。張り上げれば、こんな古い木造の家ならばどこにでも届くだろう。この家には二階もある。確かに広い家だが、金持ちの屋敷のような広さがあるわけでもない。
だが返事が、ない。
姿もない。
四角いつり目の精悍な顔立ちが、その目付きの悪さには似合わぬ戸惑いの色にわずかに揺れた。
「なあフィーゼィリタスどこいった……!? ……あー、くそ!」
困った顔をして首を傾げる彼。
耳の上の髪に、筋張った指先を埋めてグリグリと混ぜる。まるで烏の羽のように青みがかった黒い短髪である。
その動きに合わせ左耳でだけ、赤い房飾りのついた魔除けのピアスが揺れた。
とりあえず、魔石具から鍋におくっていた熱を忘れないうちに切る。
(どこまで遊びにいったんだ……?)
部屋から廊下に出ると、突き当たりにある窓から森の緑に染まった光がそっと差し込んでくる。ひやりと涼しく、やわらかに薄暗い、狭い廊下だった。
板張りの通路を挟んで向かい側には、この家の主である魔女の──彼が『お師匠』と呼ぶ人物の──研究室と書斎と寝室をかねた部屋がある。イチヘイは、そこにかけられている魔法のことなどすっかり忘れ、ドアノブに手をかけてしまった。
……とたん、深みがあり優しく中性的な声に、
『イチヘイ、ノックをおし』
と、元でその行いを窘められる。
「っ!?」
ほんのわずか驚いて固まった。
しかしこの声の主は――――イチヘイを拾い育ててくれたお師匠は――――二人が久しぶりに帰ってきたその日から、既にこの家に姿がなかった。
もともと放蕩癖のある師ではあったからあまり気にしてはいないが、それから半月程たってもまだ一度も姿を見かけていない。
ゆえにここに居るはずもなかったし、実際振り返ってみたところで背後には何の気配もなかった。




