27.彼女の顔をかぶるもの⑧ ~絶好のチャンス~
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通されたのは上階にある部屋のうち、南西向きの小さな角部屋である。
扉をくぐって正面には明るい外の光をたたえた大きめの出窓が1つ。ただ部屋は物置なのか、生活感がなく埃っぽかった。
壁際には、人の通る隙間を圧迫しながら箱やら本やらガラクタが堆く山積みになっている。
変わったところで休ませているな、と、一時はぐるりと室内に視線を巡らせるニカナグ。
話に聞いていたその子供はそれら荷物を退かして、どうにか整えたと見える寝台のうえに寝かされていた。
薄くてくたびれた布団を被せられ、額の上には湿った布巾。
眠っているのか、部屋に人が入ってきても反応はないし、見ただけでわかる程度には顔が赤い。
黒髪の女児だった。――ただ、前髪が極端に短い。
「――これ……は……」
ニカナグの目が険しくなる。
「捕虜の子供……いや、こんなところにいるのだからもしや奴隷……、なのかい……?」
「……チッ。……そうだな、どうせ身体を診れば気付くだろうから言っとく。当たりだ」
渋々と言った体で肯定され、再び目を剥く。
(本当に奴隷……?)
敷地を包む異様な魔力の波長に加え、またしてもこんな片田舎の民家には縁遠そうな言葉が飛びでてきた。
しかし初めに険しい顔をしたのはそのせいではない。
それはこの奴隷の少女もまた、『魔法族の眼』でなにかしなくても感じ取れてしまう程度……つまりニカナグの中では『普通』とする以上の、強い魔力に包まれていることに気付いたからだ。
さらにニカナグはこの少女がまとう魔力自体にも、何か尋常ならざる『歪み』を覚えている。
…………ただ、しっかり探ってみなければ、この帯びている魔力さえも本人由来のものなのか、誰かに付与されたものなのかすら、詳細が掴めない。
(これ、も、『視る』べきなのだろうか……? また覚られるかもしれないのに?)
刹那、彼女は葛藤する。
その困惑の表情をどう受け取ったのか、鋭い目を不振そうに細めながらイチヘイがこちらを見据えてくる。
「あ゛? なにか文句でも?
――こっちはせっかく大枚叩いて買ったってのに、コイツには初日から倒れられて困ってんだ」
悪びれずへらりと、感情のこもらない笑みを見せるイチヘイ。それを目にしたニカナグは眉間に僅かに皺を寄せつつも、どうにか平静を装った。
(こんな、今すぐには労働力にもならない女児を、なんのために買ったっていうんだ……)
――子供の奴隷。
貴族や金持ちの家ならまあわかる。
ニカナグの実家でも、普通の使用人の他に奴隷は何人か囲っていたし、その中には子供もいた。奴隷同士の夫婦の子供だ。
ゆえに奴隷制度にどうこうと口を挟む発想など、そもそも彼女自身にはないが――、しかし労働力が必要であれば大人でこと足りる。なのに、見たところ一人しか家にいる様子のない高価な労働力に『わざわざこの女児を選んで買った』と話すのだ。
あるいはもし買い求めたのがこの男でなくて『お大師さま』とやらだとしても、どちらにせよ働き手が欲しくて買ったわけではなさそうだ。碌な『使い道』ではないかもしれない。
(うう、やはりとんでもないところに来てしまった……!)
「へ?? あ……ああ、なんでもない、よ。
本当にひどい熱のようで、可哀想になってしまってね……」
相手は子供なのだ。ニカナグが可哀想だと思うのも本心だ。ならば、せめて能力を使って視てやるべきか、視ざるべきか。
……考えても、結局、イチヘイの魔法的な力量をはかれないニカナグに結論は出せなかった。そうやって決めかねた末、
「……ちょっと、失礼するよ……」
すごすごと消極的な声をあげた。まずは簡単な魔法で脈や胸の音など調べながら、容態を診はじめる。するとやはり聞いていた通り熱が高いことはわかった。しかしそれに反して呼吸は驚くほど静かだ。
子ども本人の意識がないので、そのあとは彼女がこうなるまでの経緯も、口数も少なく目付きの悪い彼からおっかなびっくり聞き出してみる。
話をまとめると、子供は一時間ほど前に何の前触れもなく熱を出して倒れ、意識も一緒に失ったらしい。以降、呼びかけても揺すっても、何なら軽く頬を叩いてみても、いっさい目覚めなくなってしまったのだという。
名前はハナトだと教えられた。
「うんん? 熱は高いのに、息はむしろ普通に寝ているときより静かで……、そのうえどんなに刺激しても起きない、と??」
唇に指を添え、難しい思案顔をするニカナグ。
そこへ寝台を挟んで窓際に立ち、ニカナグを正面から見据える彼が声をかけてくる。
「あ゛? ヤバい病気なのか? 相棒が落ち込むから出来れば死なせたくないんだが」
「い、いや……? もう少し調べて見ないとわからない……」
しかし彼のその主張は、さっきから下で休ませているあの、フィーゼィリタスという娘主体の言葉である。
鏡写しでニカナグをこの家に呼んだのもフィーゼィリタスである様子だった。思うにこの子に情をかけているのはあの心を病んでいるという耳長族の娘だけであり、彼はその意思に付き合っているだけのようにも見える。
いまの発言もおよそ、ハナトの容態を純粋に心配しているようには聞こえなかった。
相変わらず怖いのでまともに目を合わせることすら出来ないでいるが、彼を横目に見るニカナグは、内心ではその言動をずいぶんと軽蔑してしまう。
子供は、可愛がるものではないのか。たとえ動物の仔にだって、ニカナグはもう少し優しくする。
「……ずいぶん粗野だね君は。何の仕事をしてるんだい?」
ゆえに『しまった』と口を押さえたときにはもう遅い。いつもこうだ。ハッと顔を上げると、イチヘイはなんだコイツ、という目でニカナグを睨んでいた。
「……元は傭兵をしてた。祝福持ちなんだ、俺は」
それでも、答えてはくれる。しかし一方のニカナグは、その言葉に思わず惹き込まれるように目を丸くしてしまった。
「――へっ?! イ、イチヘイさんは〈祝福もち〉、なのかい……!?」
「あ゛? 嗚呼……」
「め、珍しい……! ワタシもこれまで実際に〈祝福持ち〉と会ったことはなかったんだ! ど、どんな〈力〉の波長を回して動くんだい?! 後で見せて貰っても――――」
つい口をついて出た失礼な言葉をごまかすための、大袈裟なまでのリアクション。しかしもう半分は、本当に驚きと興味からだった。祝福持ちというのは、魔法使いからみてもよほど珍しい存在なのだ。
思わず前のめりになってニカナグは表情を輝かせてしまう。
しかし存外に過剰な反応が戻ってきたせいか、鋭い暗赤色の瞳が返したのは、距離感をつかめない相手に向けるような若干引いた視線だった。
「――――あ……、す、すまない」
ニカナグは、一瞬で我に返った……それに本当は今は、このように好奇心を振り回して遊んでいる場合ではない。
それでも収穫はあった。
(そうなのか、この青年は、魔法は使えないんだな……?)
少なくとも、〈祝福持ち〉は自分の身体強化にしか魔力を回せない存在だ。魔法は使えず、魔法使いのような能力は持たない。
つまり現時点で彼は、ニカナグに対する脅威からは外れた。ゆえにまたここで、ニカナグのいらぬ好奇心が頭をもたげだす。
そう、これでこの場では気兼ねなく〈魔法族の眼〉をつかえるのだ。視ればハナトが何の病気か、もしかしたらわかるかもしれない。病によっては、病気のある位置で魂から体へと巡る〈力〉が凝ったりすることもある。
ついでにニカナグがさっきから気になってしょうがない、このハナトに感じている「魔力」と「違和感」の正体も、理解できるだろう――――……いや、本当の事をいえば、むしろ彼女の好奇心は、この後者を確かめたいのが本命なのかもしれない。
と、ちょうどその時だ。
「――――ねえイチヘイ……? ボクそっち行っても怒んない?」
「んん?」
階下から、フィーの高く良く通る声が響いて来た。
ニカナグはドアの外に意識を向ける。一方イチヘイもその声を耳にした途端ほんの一瞥ニカナグにくれて、寄りかかっていた壁から動いた。
「……ちょっとそのまま待っててくれ」
ついでカチャリと開いて、ばたりと閉まる部屋のドア。
直後、『なんだどうした?』とくぐもった声と二人の会話が、ドア越しに聞こえはじめる。眠るハナトと二人きりになった。
「……絶好の、チャンスだね……?」
ニカナグは思わずそぞろに微笑んでしまった。




