26.彼女の顔をかぶるもの⑦ ~謎の二人~
読了目安4~6分
「あ……」
だが一方では、ニカナグもそろそろいろんな意味で感覚が麻痺してきており、
(そうか、魔法だから、消すってそういうことになる、よね……?)
などと、ここまでの道連れが消滅してしまった事実を、割とすんなり受け入れてしまっている。それにこれで、ニカナグの秘密を知るものがこの場からはいなくなったことに安心していた……。
「すーーーーー……」
一方ではフィーを見つめる男の方は息を吸い上げながら側頭部を掴み、なぜか悩ましそうに頭を抱えていた。
だが直後窄めていた瞼を開くと、ホッと胸を撫で下ろしているニカナグをその鋭い瞳で覗き込……――いや、睨み付けていたかもしれない。
「……なあ客人、一応確認するが。アンタ、この辺の住人か? 見ない種族だが」
「あっ、はひ?! 違う、けれども……」
「……そうか、よそ者か……。ならいい」
(ならいい、って??)
ニカナグはついきょどきょどと目を游がせ、意味を噛み砕こうとする。だがそれよりも前に、二人のやり取りをみていたフィーがニコニコ笑いながら、
「んえ……? そうなの? お姉さんよその人なの? でもホントにみたことない種族だもんね? 髪の毛 綺麗だね? どこからきたのー?」
怒涛の疑問符の塊を投げつけてきた。語る内容だけ取り上げるなら、まるでナンパである。
当然ニカナグは、そちらにも意識を削がれる。
「へ? あ、ああ。ワタシはペリタ新皇――」
半分は考え事に意識を取られていたせいで、そのままバカ正直に自分の出身を口にしてしまった。ハッと気付き、途中から慌ててごまかしだす。
「――ペリタ新皇国、の隣の……、ク、クエディヤ自治領の方から来たんだ! ま、まあ あちらでもワタシはかなり珍しい種族にあたる、と思うよ?
狛晶族と言う種族なのだけど……とりあえず、噛みつきはしないから安心してほしい、かな。
名はカナイナという……よ、よろしくお願いするよ」
自然に繋げ、告げられたはずだ。
ちなみに名乗った名も、後から言い直した地名も、伝手から送って貰った偽造旅券に実際に記された呼称だった。特に名の方は、込められた意味も綺麗だから気に入ってはいる。
そうして上手く乗り切れたと思ったニカナグは、二人の反応を見た。しかし、
「ぺりた、しんこうこく……」
途端にあんなに笑顔だったフィーの表情が曇ったことは、予想外だった。
少し変わってはいることを感じ取っても、ここまではフィーが友好的な人物だと思っていたニカナグだった。
けれど実際のところどんな人間なのかは、考えてみればまだ全くわからない。それに自らと同じ顔をした得体のしれない『鏡写し』を、同じく魔法に埋め尽くされた得体の知れないこの家から寄越してきたのも、きっと確実にこの娘だ。
ゆえにこちらの発言に芳しくない反応をとられると、ニカナグもまた不安に駆られてしまうのだった。
(な、ななななんか指名手配犯ってばれちゃうような尻尾の出し方をしただろうか……!?)
「ふぃ、フィーゼィリタス、さん? だったかなっ!? どうしたんだい、ペリタ新皇国になにか――――?」
「おい――」
しかしそれ以上の会話は横から割り込んできた男の、ややもすれば棘がある、ひどく頑なな声に遮られた。
「――アンタ医者なんだろ? ならそれ以上はやめろ。こいつの傷に響く」
「へ? き、傷……?」
今度は確実に睨まれた。
その昏い赤色の瞳は、そのまま目前のフィーに向けて下がる。かと思えばその面差しからは、別人かと思うほどに険が消えていた。
「……おい、フィー、大丈夫か? とりあえず中入るぞ。後で果物でも剥いてやろうか……? な?」
「――う……あう、うん……。……食べる……」
返ってくる言葉に、彼はホッと胸を撫で下ろしたようだった。それから杏子色の被毛に、青と緑が基調の衣装を纏う背を支え、手早く家の奥に引っ込んでいく。
「え、あ、あの……」
「――――あ゛? ……嗚呼、入っていいぞ医者」
一瞬、存在を忘れられたような間が空いてからの返事。
ニカナグはたじろいでしまう。
「……うちの相棒はすこし病んでるんだ」
背を見せたまま話しながら、彼はトントンと自分の胸をつつく。この状況では肺や心臓ではないだろうから、多分、心。
「ちょっと変わってるが気にするな。――――ただ、話を聞きたいなら後にしろ、今はほっといてくれ。……あと、ドアは閉めろ」
「は、はひ……」
それでようやく、フィーの様子のおかしさに納得のいくニカナグである。しかし一方この雰囲気では、『正確には医者ではない』などとは言えそうにもない。
だから黙って、指示された通りにドアの取っ手に手をかけた。と、その直後、やはりニカナグに背を向けたままイチヘイがチラリと視線だけをこちらに寄越し、
「……あ゛ー、それと俺はイチヘイだ」
この段になってようやく、これ以上ないおざなりな自己紹介をしてきた。発言が一瞬すぎて、ニカナグにはすぐには名乗られていると判らなかった。
「は、へっ? イチヘイ、さん? よ、よろしくお願いする……」
そしてようやく、ニカナグははっきりと確信が持てる。
(……もしかしなくてもこの男、客人の扱い雑すぎないか???)
フィーとの温度差に風邪を引きそうだった。そこへまた、視線の主が声をかけてくる。
「ところで医者、話は鏡写しからきいてるな?」
「ひぇ?! あっ、ああ、そうだね一応……」
「なら案内するから、とりあえずガキを診てくれ」
「……了解、した……」
ギイイイ、ガチャンと、自らドアを閉めきるニカナグ。
(ああああー!? もしかしなくても、自分からとんでもない事情に首を突っ込んでしまったかもしれないぞ……?)
内心で頭を抱えてしまう彼女。しかし、病気の子供をどうにか助けてほしいというのだ。今さら暇乞いをすることもできないだろう。あと普通に目付きの鋭い人族の彼が怖い。
ニカナグが思い悩む間に、イチヘイは一度、客人を待たせてリビングに入り、フィーだけを奥のソファに座らせ出す。
『どこ行くの?』『二階。ちょっと休んでろ』
と会話をする二人を、ニカナグは部屋の入り口から観察した。
『相棒』と呼んでいたゆえ夫婦や恋人ではない…………その割には親密なこの二人の関係性が、ニカナグには気になって仕方ない。
それもこれも、この二人がこんな奇妙な家に住んでいるせいだ。
(輓獣車の御者や鏡写しの話からすれば、フィーゼィリタスさんの方は「お大師さま」の弟子みたいだけれど、……ならイチヘイさんはこの家の主人のなんなのだろう?
まさか「お大師さま」……? いや、でも、強い魔力は全く感じないし、『鏡写し』のあの子の態度をみていた様子でもおそらく違う……。
どうして二人とも、主が魔法使いのこんな変わった家に……?)
――――彼らが求めた助けに自ら応じたとはいえ、ここに来てしまった後悔と危機感は、確実にある。なのに胸の底には、それでも気付いたら頭をもたげようとするニカナグの好奇心がこびりついて落ちない汚れのようにあった。
(こ、この二人も魔法が使えるのかな……? ちょ、ちょちょちょっとくらいなら彼らの魔力の波長を視てみても……)
しかしそこでニカナグははたと我に返り、二人からは見えない薄暗い廊下の陰でぶんぶんと頭を振る。何とかその思いを振り切る。
確かにここにくる前に、人に興味を持つことも大事にしなければとは思った。
(け、けれど流石に……こんな得体のしれない彼らに深く関わっても、良いことなどないはず……ワタシの人をみる目のなさは、壊滅的だからな……)
それに例え覗き視たところで、この二人の魔力やこの家の魔法について深く訊ねようと思ったら、この逃亡者は結局、自身のもつ《魔法族の眼》についてまで二人に明かさなければならなくなるのだ。
悪手、でしかない。
「――……待たせた。来てくれ客人」
「っ!? わ、わかった……」
ニカナグは戻ってきたイチヘイの影にビクつき、黒い三角耳と顔を上げる。そうして案内されるまま、彼女は彼の後ろを追い、この家の二階へと足を踏み入れていくのだった。




