25.彼女の顔をかぶるもの⑥ ~出迎え~
読了目安→4~7分
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「……ううっ、力では勝てない……。着いてしまった……」
最終的に暴れてみたりもしたニカナグだったが、やはり無駄な抵抗だった。
「ご同行、感謝いたします、お客さま。
我が主さまの邸にようこそいらっしゃいました」
――自律的に歩いて話して実体がある、耳長族の姿をした魔法的な何か。
正直そんなものが存在しただけでも、ニカナグには充分に驚愕すべきことである。なにしろ涼しい顔をしてニカナグの言葉は手玉にとるし、そんな歓迎の挨拶までしてくるのだ。
そうして抱えられるまま、石垣と素朴な木の門扉に区切られた、敷地の境界を越える。
……そこまでは、本当にただの古い家だと思っていたニカナグだった。
森の中に急に現れる、鼠色の尖り屋根である。
赤茶色の壁は漆喰でできており、経年でほんのりくすんでいる。
そんな中でも庭だけは広く、玄関の前庭には季節の花が植えられ、隅の方で庭を見守る樹木には古びたブランコがぶら下がっている。
運ばれるさなか敷地の外から垣間見た裏庭もよほど大きく、家自体の面積の二倍くらいはある広大な菜園と家禽小屋に納屋、それから風呂とトイレを離れに纏めた水小屋もあった。
森のなかにあること以外は、ごく普通――エナタル地方の、田舎の一軒家だ。
……しかし、踏み込んでわかった。普通なのは見た目だけであったのだ。家の敷地の中に入り込んだ、その瞬間。
「――っっ?!」
形容しがたい空気の変化に、マントの下で素肌がざわりと総毛立つ。
「な、なんなんだ、ここ……?」
おそらくニカナグにしか感じえない異様な空気の切り替わり方であっただろう。
それでもニカナグからみれば確実に、境界を越えたその瞬間から周囲を包む雰囲気が変化する。
普段ならばニカナグは、意識を注がなければそこに魔法がかけられていることを感じ取れない。ある程度強い使い手でなければ、魔力も同様にである。だがこの場はあまりにも発動している魔法の気配が多く、さらに込められている魔力も強すぎた。
特に注視する気はなくてもニカナグの意識に勝手に入り込んでくるそれらは、例えるならば味方かどうかもわからない、何をしてくるかも知れない魔法使いの群衆に、視界全てを囲まれているような感覚に近かった。
本格的に力を発動させてすらいないのに、すでにおびただしい数の魔法に周囲を囲われているのがわかる。得体の知れなさに不安を煽られる。
特にその魔法の中に染み付いた、使い手の魔力の波長自体も何だかニカナグの気持ちをざわつかせる。
この家の『主』が一体どういう人物なのか、―――人間ではなく喋る魔法に『魔法族の眼』を看破させるのだ――こうなるともう、その力量は想像もつかなかった。
そしてさしものニカナグも、相手の手の内が分からぬ内は能力の使用を自重せざるをえない。
(き、来てしまった以上は大人しくしていよう……)
ゴクリと生唾をのみ、彼女は思った。それから、
「――――ところで、あの、」
『帰れないならせめて訊きたい。子供は何処にいるのだろうか』
ニカナグはそう問おうとしていた。けれど具体的な単語を音にのせる前に、
――『~~~! ~~~~~~!!』
『がちゃんどすんばたん!!』
今度は目前の家の中、外壁一枚へだてた向こうから響いてきた派手な騒音に、思わず肩を竦めてしまう。
「な、なに……?!」
「……失礼いたしました。今の音は主さまの弟子のフィーゼィリタス様でございますね。
わたくし、あの方がお客様の到来で家を飛び出されないよう、イチヘイ様に命じられ、ここまで音と気配を隠しておりましたので……。ですが敷地に入りましたので、お気付きになられたようです」
「え?」
「~~~、~~!」
一方、家の中からは引き続き、複数の人物がゴニョゴニョワーワーと何か会話している声が耳に届く。
一人は男声。それからもう一人は、女声。
「ん? この、声??」
――あるべくもない。しかし何だか女の方は、ニカナグを連れてきた『彼女』と、声が同じな気がした。
(……いや、まさかそんな……?)
そうやって起こること全てに戸惑っている内に、気付けばニカナグの靴の裏は、玄関の上がり框へスッと下される。それと同時に玄関の観音扉が、これ以上ないほど勢い良くバン! と内側に開いた。
「うわー、待ってたよう! いらっしゃいお医者さま!」
「わっ!?」
ニカナグは一瞬、自分の目を疑った。
扉を開け、出迎えたのはニカナグをここまで運んできた『彼女』と全く同じ顔、同じ衣服、そしてやはり同じ声をした耳長族の娘だったからだ。
見た目の違いといえば、ニカナグを運んできた『彼女』とこの彼女で、左右非対称についているピアスや月の紋の位置がすべて鏡写しなことぐらいだ。また、声の使い方や表情などの所作もまるきり正反対なため、はっきりとした個性の違いだけは感じられる。
そうやって客人が驚く間に、出迎えたほうの耳長族の娘はものすごく朗らかに、彼女に向かって歓迎の笑みを向けた。……元気すぎて、ニカナグには何やらギラついているようにさえ見える翠の瞳である。
「お姉さんがお医者さま? こんにちは! 来てくれてありがとうございます! ボクはフィーゼィリタス・アビっていうの! 好きなものはイチヘイの作ってくれる〈青頭巾〉の骨付き肉のスープとサマロです!! 将来の夢は死ぬことです!
お医者さま、すっごく美人さんだね! 羨ましい!! ねえ、お医者さまのお名前は?!」
立て板に水を流すようにまくし立ててくる。個性的な自己紹介である。
しかしここ十五分以内にあったことで既に受け止めきれる情報の許容範囲などとうに越えていたニカナグは、さすがにその彼女が見せる異常性にまでは意識を向けられなかった。
「…………あっ、え……フィーゼィリタス、さん? ……さっき聞いた名前……」
なんならポカンと口を半開きにしたまま、まともな返しをするところから忘れている。それにはさすがのフィーも、困惑した様子で長い耳を倒した。
「ん、ええ? お名前教えてくれないの……? なんのはなし……?」
と、そこに、
「――……あ゛ぁー、クソ、遅かったか……」
ドアに手を掛けたフィーの後ろから、さっき聞こえた男の声の方の主が姿を現す。悔しそうな口調だった。ニカナグより頭一個半ぶんは高い背丈でのしのしと廊下の奥から近付いてくる。
フィーゼィリタスという名前は出たから、消去法で行くなら彼がイチヘイと言うのかもしれないとニカナグは思う。
だがこの男もこの男で、顔には一目で分かるような目立つ傷があり、どうしても堅気には思えない。二十歳前後ほどの若い人族だが、その猛獣を思わせるゆったりとした気迫のある歩き方や、鋭い双眸から滲み出す雰囲気が、ニカナグを余計に身構えさせる。
そこに立つだけで、彼の威圧感は相当だった。
じろり、と三白眼を向けられる。良く見ると左眉の端、こめかみのあたりには親指の爪程の、緑の円い模様があった。少し警戒されているような声で話しかけられる。
「……来たな、医者」
「ヒッ……」
怖がりなニカナグはまた思わず変な息を吸ってしまう。声も深みがあって怖い。もしここではなく街でこの男とすれ違っていたら、きっとビビって目を合わそうともせず関わるのを避けたはずだ。
「うん、来てくれたよイチ!」
「来てくれた、じゃねえよ……」
その間に彼はフィーのすぐ斜め後ろまでやってきて、脱力したように肩を落とした。ドア枠に切り取られた日差しからは外れた位置で、苦渋の表情を浮かべる彼の顔。
「……フィーあのなあ……。
先に鏡写しを消してから客を家にあげろって言ってただろ? もう遅いが。たのむから、話きいてくれ……」
(け、消す……?)
「だ、だってだって、ハナトちゃんが! ハナトちゃんが大変なんだよイチ……!」
「だー、それは分かってるから落ち着けって」
「……なら……ならじゃあっ、鏡写しさん消せばお医者さま お家に入れていいんだね?」
「は、バカそういうことじゃ――――」
言うが早いか、フィーは彼がそれ以上止めに入るより先に、パッとニカナグに向き直る――――いや、見ていたのはそのすぐ隣に立っていた、フィーそっくりの『彼女』の方だった。
「鏡写しちゃん、ボクのお願い聞いてくれてありがと!
〈帰しませ木偶よ〉っ!」
「……ご命令に、従っただけのことでございます」
途端、すわりと風が流れた。
「お客さま、あとはよろしくお願いいたします――――」
慇懃に鳩尾へ手を当てる、礼の姿勢。そしてその言葉を最後に、ニカナグをここまで運んできた『彼女』は消えてなくなった。




