23.彼女の顔をかぶるもの④ ~逃亡者は魔法オタク~
読了目安→8~11分
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「う、ううう……」
それは永遠のようでもあったが、実際のところはあっという間だったのだろう。おそらく輓獣車から駆け出してそんなに経っていない。
それでも慣れとは恐ろしいものである。
先ほどはあれほど恐くて身を縮めていたのに、抱えられたまま数度 木々より高く跳ねられたところで、
『うひゃあああああ?!』
とあたりに木霊していたニカナグの悲鳴も、だいぶ落ち着いてきてしまった。もうあまり怖くない。
代わりにニカナグの興味は、だんだん自分を運んでいるこの耳長族の娘に移ってきていた。
「うう、あの……き、訊いてもいいかい?」
「なんでしょう」
返ってくるのは相変わらず冷たくも優しくもない、平板な言葉づかいだ。
「きみの名前、は……?」
「ありません」
「うん? ……ない?」
「はい。わたくしに正式な名前はございませんよ」
意味の分からない返答に横顔を凝視するニカナグに対し、彼女はまるでそれが真理でもあるかのように二回も否定を重ねてくる。
ない、とはどういう意味なのか。
そもそも訊いても良いことなのか。
あまり話が得意ではないニカナグはそこですでに気後れしてしまい、それ以上問い続けることは出来なくなってしまう。
(で、では何か、他のことを話した方がいい? のだろうか……?)
ニカナグは内心で静かに慌てる。大人数の人間を前に語るのなら常に堂々と話せたのに、慣れない人間と一対一になると、いつも途端にポンコツとなる自分の質を恨んだ。
気まずく思える沈黙のなか、長いマントと編まれた髪だけが、風にはためいてパタパタと音を立てる。
ニカナグは苦し紛れに、彼女の身なりへと目をむけた。
(そ、そうだ、雑談は、こういうところからも話題を見つけるものって本で読んだぞ……?)
そういえばこの耳長族の娘は、着衣が男物だった。
声つきや、ごく薄いが確かにある胸回りの柔らかさからどう考えても女子なのは明白なのに、なにか理由があるのだろうか……?
なのでそのことを尋ねてみる。けれど、
「わたくしには解りかねます」
と、そんなのニカナグにも解りかねる返答をされて一瞬で会話は終わってしまった。
(な、なにこれぇー……)
失礼なことを訊いてとぼけられてしまったのだろうか、とニカナグは肩をおとした。
(だめだ、これでもう万策尽きた……)
そもそも人見知りに万も策があるはずもないがとにかく尽きた。もはや気まずさは絶望レベルである。
(ううう~……。……うん?)
と、ここでニカナグは、娘が身につけているアクセサリーに、引き寄せられるように興味がむいた。
彼女が両耳につけているピアスは、エナタル山脈の山中に住む耳長族の一部族のみが身に付ける、伝統的な装身具である。
だが、問題はそちらではない、
「あ。これ、は……――!」
ニカナグの目についたのは、娘が首に巻いている革紐のチョーカーの方だ。一瞬で心を奪われてしまった。中央に、透き通った翠の石が嵌まっている。
(これはっ……これは、どうみても魔石具のアクセサリー、だ……!?)
気付いた瞬間、気後れて悄気ていた黒い尖り耳までもが興奮に立ち上がっている。
ニカナグが惹き付けられているのは、もちろんこの翠の石がついたチョーカーの台座の内側に、これが魔石具だと示す魔法式が明らかに透けて見えているからだった。
魔石具は使い手の魔力が弱くても強くても、(なんならいっそ魔力がなくても)誰でも均一に使えるよう作られている。
魔法使いたちが自分の魔力を流し込んで利用する魔石に、はじめから定量の魔力と共に、用途を限定する強固な魔法式がつなげてあるのだ。
ゆえに繋げる魔法を変えることで、理論上は無限の用途を見いだせるのだが、現状では使い捨てでまだまだ高価なため、市井ではめったに見かけない。
……しかしその上で彼女の着けているコレは、よく観察するとチョーカーのバンドの部分――つまり八ツ編みにされたひもベルトに、大小7つ通された小さな石にまで、ニカナグが知らない古代文字が刻まれている。
ニカナグにも、まったく未知の仕組みの魔石具であった。おそらくオーダーメイドだ。
(こ、このワタシが、見たことのない魔石具が、あったなんて……!)
じゅる、と、本物と見分けもつかない綺麗な仮面から垂れかけるヨダレを啜るニカナグ。彼女の本質を端的に言い表すならば、それは『どうしようもない魔法オタク』という言葉がふさわしかった。
ゆえに気づいてしまったその瞬間から、ニカナグは目の前の人間と会話を試みていたことすら忘れるほどに気持ちを高揚させている。
(ど、どんな魔法がかけられているか、解析してみよう……!)
狛晶族の娘に化けているが、ニカナグは本来、『魔法族』と呼ばれる種族の生まれである。〈円環の河〉に愛されたと言いしめられるほど、魔法使いの排出に特化した種族だ。
その中でもニカナグは生まれつき、モノや人にかけられた魔法や呪いを感じ取ることができた。これは本来、魔法をかけた者以外には絶対視ることは出来ない魔法の構築式を目にできる力だ。
知識をつければ干渉することさえ可能にし、本来秘術とされるような魔法の再現さえ夢で終わらせないこの能力は、彼女としてもただ一つ、自身が持って生まれた力として誇れるものであった。
(そういえばこの子の左眉についている、青い月の紋も、よくみると入れ墨というよりは契約紋みたいだ……?)
そうだ。こちらも気になる。全部見てしまえ。
抑えの利かない好奇心とともに、ニカナグは薄紫の瞳の底に本来在る、自身の蒼い眼を向ける。
「……え? まって? この、女……」
そしてニカナグがとある事実に気付くのと同時に、向こうの翠の両目がスッと、ニカナグへと焦点を合わせてくる。
「――――おや、お客様は、わたくしがなにであるかお視えになるのですね?」
「?!」
(――ど! どうしてみてるってバレて……?!)
「?! い、いえ!! なんのことだっ?」
ニカナグの背筋は凍りついた。のんでしまった息を吐き出すままに、とっさに否定までしてしまう。
しかし挙動が怪しすぎて、これでは子供すら騙せないことは誰の目にも明らかだった。
「そうですか……」
だがニカナグがそう答えると、絶対にその嘘には気付いたであろう翠の目は急にニカナグから逸らされていく。
――驚くほど簡単に、興味を失われてしまった。
「っ、~~~っ?!」
けれどその、内心ではどう思っているのか一切わからない淡白さが、逆にニカナグの精神をえぐっていく。心臓が、いくつあっても足りない位には弾け飛びそうになった。




