22.彼女の顔をかぶるもの③ ~信念と葛藤~
読了目安→3~5分
「待ってくれないか!」
とにかく他人に関心を持つこと。できうる限りは優しくすること。
それこそが、逃げてきたニカナグには安否すら当たり知らない彼らから、教えてもらったことのはずだった。
そしてなにより自身が『手伝う』と名乗りを上げることで、ニカナグはあの頃の、己のことしか見えていなかった罪深い自分とはもう決別したのだと、思いたかった。
――――いや……、思い、込みたかったのだ。
「……ご用でしょうか?」
「わた、ワタシは、熱冷ましのくすりならば、常備しているよっ。獣人種ではなく、ちゃんと亜人種向けの薬だ!」
だから振り向いた耳長の娘の無表情に向かって、彼女は必死にまくし立てる。ニカナグの声は、聞けばギリギリ女性であると解る程度の、落ち着いたハスキーボイスだった。
「せ、浅学ながら、医術系の魔法の知識もある! お子さんの容態しだいだけれども、ワタシでよければお役に……、立てるかもしれない……」
知らない人間とは話し慣れずいつもどもってしまうのだが、今は必死すぎてそれすら気にする余裕はなかった。
大局で見れば、きっとひたすらな自己満足でしかないのだろう。
けれど現状、追っ手に捕まるかどうかもわからない小さな危険性のために、見知らぬ誰かの不幸を見過ごしたとて、それで、
(……それでワタシが得るものは?
ただこの後ずっとふとした瞬間に、『あの時こうすれば良かった』と後味の悪い後悔を抱えるだけじゃないか……)
そんなのは、容易に想像がついた。だって今もニカナグは、見過ごして置きざりにしてきたものすべてに対して、後悔と罪悪感を引きずり続けていたから。
「助けてくださるのですか?」
すると耳長族の彼女はわずかに首をかしげて、やはり抑揚のない声で返した。
「あ、ああ……。やはり、その……、見過ごせなくて」
「そうですか。ありがとうございます。……では、車掌さん、この方の荷物を出していただけますか?」
「はいはい、おまかせくださいねー!」
話しかけられたとたん、車掌は気持ちのいい返事をした。そしてその動きは安運賃で客を乗せる輓獣車の乗員とは思えぬほどに迅速だった。
そのあとすぐ客車が小刻みに揺れ始めたのも、屋根の上に縛り付けてある荷物から車掌がニカナグのそれを探りだしているからだ。
あまりの素早さに戸惑うが、同時に『金の力は強いな』などとぼんやりと呆気にとられる。
「――――それからお嬢さんは、ちょっとこちらへ。わたくしの隣へ立っていただけますか?」
「ひえっ?!」
と、ニカナグの視線が天井を游いでいる間に、気付けば耳長族のその彼女は音もなく、ニカナグのすぐ傍に佇んでいた。人らしい気配すらしないことに驚いてしまう。武術のことはよくわからないが、何か特殊な訓練でも積んできたのだろうか。
ただ、背丈自体はニカナグより少し大きいくらいの、そう体格も変わらない小柄な上背である。種族値で見れば大きさはお互い平均くらいだろう。
顔立ちの威圧感すらそうでもないのに、それでも抑揚のない声にそう促されると、有無を言わさず従わなければならないような気にさせられる。
「えっ?! ああ、はい……」
言われるがまま立ち上がり、狭い通路に移動した。と、思った次の瞬間、ニカナグはまるで赤子でも抱くように彼女の杏色の両腕に抱き上げられている。
「あ? ええ?!」
不意を突かれすぎて驚く。が、この状況で暴れるわけにもいかない。
というかこの瞬間すでに、抱えられた拍子のニカナグの踵に、向かいの席に座る乗客がひとり頭を小突かれ、とても迷惑げに二人を見上げていたのだ。
「っ、おい! 痛ってえぞ」
「ひ、ひえっ、すいません……」
思わず身体を縮こめた。しがみつけるだけ精一杯、彼女の首回りに抱きついてしまう。女同士なので特に抵抗はない。
毛並みの手触りはすべすべ。……しかし不思議なぐらいなんの体臭もしないことに気付く。
(…………んん?)
思わず首を傾げる。しかし、
「では、わたくしの主さまの邸までご同行ねがいます。忘れ物はございませんね?」
「……はいはい、お客人、お荷物見つかりましたよー」
「えっ、あっ、え? ないっ、と、おもうが?!」
しかしその場では、それ以上考える余裕はなかった。俗にいう『お姫様抱っこ』をされたニカナグのお腹のうえには、さっさとニカナグの旅荷が押し付けられる。ずっしりと重いそれを、落とさないようアワアワと抱え直す。
「ご乗車、ありがとうございましたー!」
「では、お邪魔いたしました」
けれど同時に、ニカナグを抱く彼女の爪先は、重さなどないかのように軽やかに、トントンと客車の床を蹴りはじめた。
三歩。
出口で車掌がだしてきた昇降台を踏んでさらに一歩。
「う、うわぁあ?!」
そこから先はもう、ニカナグの身体は靴裏を地につけぬまま、道なき森のなかで風を切っていた。
「「――――お気をつけてー!」」
見送りの声すら木々に紛れてすぐに遠くなる。
けれど一方のニカナグは、誰かに抱き抱えられるなど子供のころ以来、まったく覚えがなかった。ゆえに、慣れていない事をさせられるのは、
「ちょ、これはさすがにこわいぃぃー――――!」
「ご安心ください。落としません」
「そ、そう言われても うひいぃぃ……!?!」
娘は素晴らしい速力で地をかけ、倒木の枝を蹴る。勢いが付ききると、ついには森の梢より高く跳ね上がりだした。
「ちょ、ちょっと待って待ってうわあぁぁああぁぁあああぁぁあ?!?!」
風を切りふわりと浮いては、荷物と自分の重さを感じさせられつつずしりと着地する。体験したことのない感覚にニカナグは悲鳴を上げながら、彼女の身体に必死にしがみつく他に、術がなかった。




