21.彼女の顔をかぶるもの② ~『この中にお医者さまはいらっしゃいませんか?』~
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「あー、お客さんそこ開けないでくださいねー! まだ安全かどうか判らないですー!」
あまり緊迫感を感じない声で制止される。
ニカナグを止めたのは、客車に乗るときもやる気のなさそうに客に声かけをしていた人族の車掌だった。車掌の他に護衛も兼任しているというが、正直 声どころか顔つきも締まりがない、どうにものんびりした男である。
「まーね、開けたくなりますよねー、分かります分かります。俺でもやりますもーん、絶対」
ただそれが、今は車内の緊張感を良い感じにゆるめた。
「す、すいません……?」
「いやいや、いいんですよー。
……ただねー、乗車券も買ってないお客さんに、ソコから侵入されたら困るんでー。
このエナタルの森のあたり、出るってうわさは聞いたことなかったんですけどね、参りますよね、ホント。野盗なんてね、……ははは……」
……野盗。
しかしその言葉が放たれたとたん、ニカナグもそうだが、いったんは緩んだ客たちの雰囲気もまた不安げになる。
野盗どもは、武装し、目を付けた獲物に集団でおそいかかる。多くは殺して奪っていく。戦う術を持たない一般の旅客たちにとっては、非常に驚異となる存在だった。
一方、再びざわつき出した客たちに、さしもの車掌も慌てた様子である。鷹揚な態度は崩さぬまま、一段 声を張り上げて語りかけてきた。
「あー! 安心してください!? 仕事はしますよー?! そのために、車掌も御者も〈荒レ地ナラシ〉も武装してるってわけですしー?」
良く見れば窓枠の向こうで、車掌である彼の手は杖でもつくように長い槍を握りこんでいる。彼が着ている添乗員の制服も、半分は鎧のような造りだ。
それは〈荒レ地ナラシ〉に乗る御者も、輓獣車の後ろを騎獣にのって護衛している傭兵たち数人も変わらない。
「では、お客さまがた、また後ほどお会いしましょうねー!」
カタン、と車内の雰囲気を取り残して軽やかに閉まる窓。
しかしそれからさらに一分ほど後のことだった。ずっとうっすら聞こえていた、誰かが御者と話す声(〈荒レ地ナラシ〉に掛けていた声と同じだったため判りやすかった)が唐突に途切れ、
「――~~おい! おいっ、ちょっと待ちな?! お客への説明が先だっ!」
一つしかない輓獣車の前方の扉のすぐ前で、慌てたようなその声が今度ははっきり響く。
何事かとひりつく車内の空気。
一方で、御者の制止は届かなかったらしかった。扉はあえなく『バンッ!』と派手な音を立てて開き、
「?!」
状況が飲み込めないニカナグも、他の客たちも一瞬にして『ついに襲撃か』と縮み上がる。
「――……この中に、お医者さまはいらっしゃいませんか?」
しかし開口一番にそう声を張り上げ、乗り込んできたのはたった一人であった。
丸腰で、武装もしていない。
それは翠の瞳と杏子色の毛並みをした、耳長族の若い娘だった。
「……もう一度申します。お医者様はいらっしゃいませんか?」
しかしその抑揚のない話し方や浮かべている表情には、どうにも人らしさが感じられない。少し不気味だったが、翡翠色の瞳のほか、顔に嵌まるパーツ自体は可愛らしく、もし微笑んでいるのなら人好きのしそうな顔立ちではある。
長く揺らめくいくつものピアスのほかに首にチョーカーを付け、上着は青と緑を基調にした袖のない裾長の貫頭衣である。耳長族たちが好んで着る種族衣の一つだ。ただ、その下に重ねているのは女物のワンピースではなく、男が着るような水色の半袖シャツと膝丈のズボンだった。
また左眉の上には青色をした、目立つ刺青の三日月模様がある。
それは直感的には何かの魔法の契約紋のように見えて、専門家でもあるニカナグは、その見慣れなさにわずかに興味を引かれた。
と、その後ろで、御者台の窓が再びスッと開いた。さっきの車掌の顔が悠長にのぞき、
「あーね、皆さん、襲撃ではありませんでしたー。落ち着いてくださいねー」
「カーッ、勝手に乗り込んで! アンタねぇー、こまるんですわな! 急に目の前に出てきて! いっくらお大師さまのお使いといえどもねっ――――??」
そこに遅れて、客車に乗り込んできた娘を追うように縞尾族の御者も中に上がってくる。
御者の、思春期前の子供くらいしかない小柄な身体は全身武装で顔も見えない。だがその不機嫌な感情は、びたんびたんと床を殴り付ける縞柄の長い尻尾にすべて込められていた。きっと兜の下に収まった頬髭も三角の耳も、怒りに任せてツンケンしていることだろう。
けれど耳長族の娘は、小さい身体で相当な気迫を放つ彼女の怒りにも、一向にたじろぐ様子はない。
「申し訳ございません。『急ぎで』と、命じられたものですから。
……もし『迷惑料を』と仰るのでしたら、これでどうかお納めください」
とたん、どこから出現したのか彼女の手にはいつの間にか握りこぶしほどのちいさな革の袋が握られている。流れるような手付きで御者の鼻先に押し付けてくる。
入り口近く、彼らのすぐ傍の席に座っていたニカナグには、中のものがチャリ……、と金属音を立てるのが薄らに聞こえた。
「ああん?! ……へ? なに、重……」
一方、強がった様子をしながら反射的にソレを受け取ってしまった縞尾族の彼女も、中身を覗き込むと急に尻尾ごとおとなしくなる。
多分、銀貨かなにか渡したのだろう。
「さて……」
すると耳長族の娘は、再び客たちの方を振り向いた。
「お急ぎのところ、お騒がせして本当に申し訳ありません! どうかお聞きください、わたくしが守護する邸で急病人が出たのです。
小さな人族の子供なのですが、ひどい熱を出して苦しんでおります。今、我が主は不在です。何の病かわからず、家にいる者や薬だけでは対処しきれません。そこで通りがかりの皆様に、こうして無理を承知で訊きにあがった次第です。
ですので、もう一度申し上げます。
―――――この中に、医術の心得のある方はいらっしゃいませんか」
別の意味で、また客たちがざわつき出した。
素直に、『それはたいへんだ』『大丈夫かしら』と同情する声も聞こえたが、中には『そんなことで驚かせやがって』と愚痴る不満もあったし、この「使い」の身なりがなぜか男装であること、話し方の不気味さから、その身元を怪しむ者もいた。
「――――守護とか聞いたが、それは本当だかね? 信用ならねえ」
後ろの席の方から、鱗のある種族の客が声を張り上げる。
「……あー、けほんっ。それならあたしが保証するさね。あたしゃあこの辺の村の生まれだが、この人は確かにこの辺りじゃ有名な、『お大師さま』って魔法使いさまンとこの弟子だ」
一応、身元の保証は取れるようだ。
「お願いいたします。お礼もお出しできます」
さらにそう重ねて願われても……、――――ついでに、彼女の背後で、御者から渡された袋の中身を確認する車掌の表情が追加でほころぶのが目に入っても、やはり手を上げるものは誰もいなかった。
つまりここにいる皆、そのような知識や能力は持ち合わせていないのだ。
「……。そうですか……」
一通り見回して、娘は呟く。落胆ではない。最終確認のような、感情のない呟きだった。
「……邪魔をいたしました。よい旅を」
そしてくるりと返される踵と、長い尻尾。
「あ……」
けれどその去りゆく所作を目にして、実はたった一人、手を上げるべきか強い葛藤を抱えている人間がいた。
他でもない、ニカナグ自身である。
彼女には、医術的な魔法の知識があった。
……とは言ってもそれはどこかの師に仕えて学んだわけではないし、その知識の源も、幼いころ家の書庫にあった医術魔法の本 数冊を戯れに読んで、ただ記憶しているに過ぎない。別にこの分野を専門に食べてきたわけでもない。
それでも、記憶力と探求心だけなら同じ種族の者にもひけを取らないニカナグは、その本の中身を今でも一頁目から全て諳じられた。
ゆえに医術系の魔法も、弱いものなら幾つか使うことはできる。
……けれど一方で、罪人であるニカナグの首には、今や生けどりで一万エラもの懸賞金がかけられている。ずっと手を上げるのを尻込みしていたのも、そのせいだ。
本来ならば人との関わりなど避け、日陰者の暮らしをした方がいいに違いない。
それを、こんなところで下手に他人を助けて目立って、どこかでうっかり出した尻尾がもとで捕えられれば、まさに『間抜け』としか言い様がない。
ニカナグにとって、犯した罪の贖罪は捕まって罰を受けることではなく、生き延びて追手から逃げきる事だった。誰にどう思われようとそれは変わらない。それに、
(もし、コレのせいで私が捕まれば、きっと『彼ら』は今よりさらなる窮地に追い込まれてしまう……)
自白剤を飲まされズタボロになって狂い死ぬより、ニカナグにはそちらの方がよほど恐ろしいことにも思える。けれど、ここではそれだけが自理ではないような気もして、彼女は一瞬の内に深く葛藤していた。
(私、は……)
ニカナグはふとあの場所を――――草木が繁り、暖かい日差しの下に命があふれていたあの場所を思い出す。
――――ニカナグが助手のヤザヘと共に過ごしたあの山は、美しかった。あそこに住んでいた人たちも、ニカナグに良くしてくれた。
あの場所で頭に入れたのは知識だけではない。ニカナグはそれ以上のことを学んだはずだった。
「――――……ま、まって?!」
だから気づいたら立ち上がり、声を上げてしまっていた。




