20.彼女の顔をかぶるもの① ~彼女の旅~
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ガタゴトと揺れる客車内に据えられた椅子の座り心地は、まさに最悪だった。
目覚めた瞬間、藍色のフードを被るニカナグの腰には軋むような痛みがはしり、ずっと座っていた尻は痺れて感覚がなかった。
「んへあ?! ちょ、ヤザヘくん……ワタシのおしり無くなってないかい? 腰も痛いのだけど……ねえ、聞いてくれてる?! ヤザ……―――あ。」
寝言とは思えぬほどハッキリきっぱり話してしまってから、ニカナグは我にかえる。そして夢の中で名を呼んだ人間が、もう付いてきてはいないことを思い出した。
座席の劣悪さを眠ることでどうにか誤魔化していたが、こんなことを口走ってしまうなんて逆に仇になってしまったようだ。
この輓獣車は〈荒レ地ナラシ〉と呼ばれる、小山のような巨体に短くもじゃもじゃした毛を生やす焦げ茶色の獣に牽引されている。
少し耳を澄ませば、車外からは『ハイサ!』と〈荒レ地ナラシ〉に鞭打つ御者の、軽やかな掛け声がきこえる。どっしりした脚に生える分厚い蹄から、ゴツン、ゴツンと規則的に地面を蹴る豪快な音も聞こえてくる。
その度に揺れが、尻と腰に響く。
一度に大人数を運べるこの輓獣車という乗り物は、どの組合のものに乗っても全体的に安全性はあまり変わらない。だが、客を載せる箱の方の乗り心地だけは、運営している組合によって本当にまちまちだった。
乗り込んだこの客車は年季の入った木材の、甘く乾いた匂いに包まれている。甘い匂いがするのは少し埃っぽいせいである。窓の桟にも砂ぼこりが溜まり、あまり掃除は行き届いていない。
そのうえ窓はついていても硝子ではないため、ずっと閉めきられている。外の景色は気になるところではあるが、この季節の暖かい風でも、吹き込むそれにずっとあたっているとじわじわと身体を冷やされてしまうのだ。
ゆえにどの席の窓も開いてはおらず、その暗さを補うために灯される魔石の明かりも、どうにも黄色く居心地の悪い色をしていた。
そしてこの客車の最も最悪なところは、やはりこの、座席がクッションもないただの背もたれつきのベンチなことであろう。
確かに路銀は尽きかけており、ただ運賃が安いという理由だけでこの便を選んだ。けれど、流石に国境を越える長旅にコレは失敗してしまったとニカナグは後悔している。
そうして寝ぼけ眼を擦ったところで、彼女はふと周囲から視線を感じる。
顔を向けると周囲に座る乗客たちが、怪訝そうな目をニカナグに向けていた。どう考えても急にひとりで話し出したせいだろう。
けれどみな彼女と目が合うと、まるで見てはならないものでも目にしたように続々と視線を散らしていく。
…………正直、ニカナグが踏んできた経験の中で、こんな扱いをされたことはなかった。
それはニカナグの種族のせいなのか、ニカナグ自身の顔立ちを見ていたのか、とにかく今まではこういうことがあれば、例え知らない人だとしても苦笑しながら一人くらいは何か話しかけてくるものだった。
……しかし、『この顔』では無理もないのだろう。ニカナグは内心でため息をつく。
彼女はいま、おそらく世間のほとんどの人間は知ることのない、『狛晶族』と呼ばれる珍しい獣人種の姿をしていた。十代半ばほどの外見だ。
たおやかに長く先が尖る耳と、優美な鼻先。
毛皮は白い。皮膚を毛や鱗に被われる獣人種の別に入りながら、人族や魔法族と同様に頭髪もある。
腰まで届く、長い絹糸のような髪だ。
冬の日だまりのように優しく淡い金色をしたその髪はところどころで細く編まれ、編み目の中に青や赤の美しい模様をいれた細工ビーズを通していた。
また、淡い夕闇のような薄紫の瞳は切れ長ながらも優しいたれ目で、じっと見つめられると、全て見通されるような神秘性と儚さがあった。
ニカナグ自身は、これは自分なぞには烏滸がましいほどの美しい顔であると思っている。しかしどんなに美しくとも、狛晶族が先述のように非常に珍しい種族であることに変わりはなかった。
そうして回りに避けられているのは、間違いなくそのせいである。
というのも、ルマジアには多くの種族が棲み、種族ごとに固有の特性やステレオタイプがあるのだ。
耳長族は、普段は温厚だが本気で怒らせるとあとで面倒だとか。
人族は戦闘向けの種族ではないだとか。
魔法族は魔法を使わせたら全種族中でも右に出るものはいないとか、知識オタクで本ばかり読んでいるから体力仕事には向かないとか、ほっとくと勝手にうろちょろするから現場では首に縄かけとけ、とか。……心外ではある。
まあ一部、自虐やら揶揄やら本当にひどい差別も混じることもある。ゆえに場合によっては色眼鏡で見られて苦しめられる場面がないわけでもないが、悔しいのは本質的にはこれが理にかなった配慮になる場合も多いことだった。
それは言い換えるなら、先に世間のほうが自分がどのような性質なのか、ある程度は勝手に知ってくれているということでもある。
だから人口比が高く、世間一般に知られている種族ほど、社会の中には受け入れられやすかった。
……つまり逆をいうならば、知名度がうすく、さらに狭い地域のド田舎に固まって暮らすような少数種族というのは――――都市部や農村の中でも人口の多い地域に住む人間たちからみれば―――――扱いも得体すらも知れない、まさに未確認生物のような謎めいた存在だった。
ゆえにいちおう人間として接されはすれど、その扱いはまるで腫れ物にでも触るようなぎこちなさになる。
……だから今、みな見たことのない種族であるニカナグを少し遠巻いているのだ。
解ってはいても、すこし寂しい気持ちにはなる。
(……けれど、ならば余計に、ワタシはこの待遇を甘んじて受け入れなければいけない、な……)
ぐ、と唇を引き結ぶ。
悲しいことに、ニカナグはいまや罪人だった。
それも国家をまたいで指名手配を受けるような大罪人だ。
それでも、本当の素性を隠して生まれた国を捨ててでも、彼女は生き延びなければならなかった。それだけの理由もあった。
(せめて、あの二人だけでも、今ごろ幸せに過ごせているだろうか……)
思わず、握った左手の人差し指を唇に押し当てて考えてしまう。何か思い詰めるととってしまうこの行動は、彼女の昔からの癖だった。
しかしその時だった。
外の御者が「うひゃああ!」 と悲鳴を上げたかと思うと、
「おいなにやってんだ! そこ退きなぁぁ!!」
という甲高い罵声と共に、輓獣車は
ギギギガタタッ!
と乱暴な軋みと横揺れをはじめた。
わあっ?! キャー! と悲鳴が上がる。
車体の緊急ブレーキがかかる。普段、輓獣車は〈荒レ地ナラシ〉の速度を操ってゆったり減速するゆえ、上手い御者に中ればブレーキなどほとんど使われることはない。
……やがて、車体は完全に停止した。乗り合わせた二十余人ほどの客たちが驚いた様子で騒つきはじめる。
ニカナグもまた前の座席に盛大に頭をぶつけ、
「~~~痛ったー……?」
と静かに身悶えている。
けれどその間に外からは、
―――「なんだ? 賊かい?!」「いやー、でも一人だけだし、わっかんないですねー」「やい! 後続隊、半陣形! 展開!!客車をまもる形に!!」
輓獣車を護衛していた旅客運輸組合の乗員たちが上げる号令が、不吉に客車の薄い壁を通り抜けてきた。騎獣の足音がドカドカと車両の脇を囲む。
さらにざわつく車内。
被っていた藍色のフードの下で、ニカナグの頭上に生える偽りの耳も、不安を感じて下がってしまう。また唇に握った指をあてる。
外の様子が気になった。
けれどとっさに横の窓を開けようとした瞬間、先に開いたのは客車前方にある御者用の小窓の方だった。
ガタンと横に滑り、外の光が漏れる。見たところ森の中のようだ。同時に薄く風が吹きこんで、木々と春の花の甘い匂いが入り込んでくる。
【アナウンス】
※ここからだいたい7話分(※ep.22~ep29。およそ2万5000字)は、視点の主軸は↑このお姉さん↑になります。ep.30からは主人公視点も戻りますが、ストーリーの深化に伴い切り替えが頻繁になり、気忙しくなってまいります。
ですが、視点切り替えに読み手さんがエネルギーを使うのは睦永も理解しておりますので、この先も視点切り替えはわかりやすく、また別に必要ないところではなるべーく主人公目線を貫いて参りますので、この先もお付き合いいただけると嬉しいです。
【つ、ついでに……!】
この作品は睦永が自分の癖に『なんかいい』『なんか好き』を混ぜてごった煮にしたものです。
面白い! すき! って思っていただけたらご評価くださると兎に角むちゃくちゃ喜びます。レビュー・感想も、誹謗中傷は嫌ですけど改善点などでしたら批評含めて大歓迎ですのでいつでもお待ちしてます。よろしくお願いいたします。




