19.言葉の通じぬ獣たち③ ~『ごめんなさい』~
読了目安 4~6分
「ハナト、ちゃん…………だいじょうぶ?」
困ったように耳を倒しながらも、花登をいたわろうとするその面差し。
「も、もういいよ、もういいよぅ、わかったよ。怖かったの、わかったよ。もう書かなくてもいいよぅ、大丈夫だよぅ……」
しかし焦ったようにそう言うフィーが、その背にぴとりと手のひらを当てた途端、
「ひ、嫌ぁっ!」
「んえっ!?」
やはり花登は反射的にビクリと震えて、咄嗟にその手を振り払ってしまっていた。森の中で寝たふりをしてやり過ごそうとしたときと、何も変わらなかった。
花登自身も驚いて、思わず見開いた目でフィーを、それから咄嗟に、何も言わないイチヘイの表情を伺ってしまう。
一瞬で不安にかられる。やってしまったと思った。
花登はまだ非力で、ルマジアのことは何も知らない。守ってもらえなければ何も出来ない子供だ。
そんな中、せっかく「ここにいて良い」と言ってくれる二人ができたのだから、いい子にしなければいけないのに。
……それすらも今の花登には、上手には出来ないのだ……――――。
「っ、ごめん、なっ……ざっ……」
そう、押し寄せる感情に震えながら、声にならない声で精一杯の謝罪の言葉を口にした途端だった。
そんな花登の様子をずっと眺めていたイチヘイが、突如としてガタン!と立ち上がった。
ギギギ! と引かれた三本脚の椅子が、古い床と擦れあって乱雑な音を立てる。
急な動きに驚いた花登が見上げればその鋭い瞳は険しく、眉間の間には苦しそうな皺が寄っている。
彼は、黙ったままふーー、とひとつ絞り出すようなため息を吐くと、筋ばって古傷だらけの腕で、静かに額を覆う。
どうしてそんな怖い顔をするのだろう。花登にはその真意などわからない。濡れそぼった瞳の中には、とたんに不安の光が宿りだす。
(――――あたし、やっぱりダメだった? 泣いちゃダメだった?
ここには置いてもらえない……??)
この二人に出逢ってから、花登はずっと二人を観察していた。
頭を撫であったり、抱きしめあったり、フィーはとても『ジョウネツテキ』にイチヘイを見つめていたし、この二人は多分すごく仲が良いのだ。こっちの世界のことはまだよく解らないけど、人間とそれ以外で付き合うとかあるんだろうか? 戦っている間の息もぴったりで、正直少しカッコいいと思っていた。
信じられるかはまだよくわからない。でも、本当はすごくいい人たちなのかもしれないとも、花登は思っていた。だから良い子にしていれば、きっと花登にも優しくしてくれる……今はちょっと怖いけど、仲良くなったら、きっと大丈夫になるはずだと。
(だから、なんでも良いから私も、話さなきゃ……言い訳、して、それから)
(でも何を言えば良いの――――)
「……ごぇんな、さ……! ッ、ケホッ!」
「…………喋んな」
その間にイチヘイはもう、そんなことを言い捨てて部屋を去ろうとしている。
「あ、や、待ッ゛、っ、ケホケホッ……!」
「えっ、あれ?? イチ?! ちょ、ちょっと待ってようイチ……ねえ?!」
フィーの視線が、とたんに花登からイチヘイへと逸れた。ついで不安げな瞳で花登の顔と、去ろうとするイチヘイの背中を見比べはじめる。
そしてほんの一瞬だけ、最後に花登へ視線を戻すと、
「…………ねえ、あのね、ごめんねハナトちゃん、ちょっと、ここで待ってて……?」
「……あ……」
結局、フィーがそばにいるのを選んだのも、花登ではなくイチヘイであるようだった。ごめんね、待っててね、と繰り返しながら花登から離れていく。
でもそれも仕方ないことだ……。
(だっていまあたし、ふぃーぜりたすの手が怖くて、するつもりなかったのに手、振り払っちゃった……)
そう、自分に言い聞かせながらも花登は悲しくなる。廊下に消えかける尻尾を、花登は罪悪感に眉を下げながら見送る。
――――しかしその時であった。花登の視界が、唐突にぐらりと歪みだしたのは。
「んうぁっ……!?」
それは本当に強烈な眠気だった。意識を吸いとられるようにすら思える。
確かにお腹いっぱい食べさせて貰ったが、そんな、乳幼児でもあるまいし、こんな急に電池が切れるように眠くなるなんて、普段ないことだった。
それになんだか、酷いめまいもする。とても身体がだるいことにも気付く。
(え、なん、で……――――??)
けれどそれ以上、彼女が自分の身に起こっている事へ疑問を挟む余地はなかった。
そのまま『ごとり』と額から机に突っ伏すと、もう花登の意識はここにない。
―~*✣*✣*~―
ごとん。
「ちょっとねえイチ―――――んえっ?」「あ゛……?」
その、頭を打ち付ける盛大な音は、部屋を出て廊下に立ったイチヘイの耳にもはっきりと届いていた。フィーは口をつぐみ、イチヘイも思わず振り向く。
戻ってきた二つの顔が、何事かと部屋の入り口からリビングダイニングを覗き込む。見れば花登はテーブルのうえに頭から突っ伏している。
次いで二人の眼前で花登の身体はバランスを崩し、背もたれのない椅子からぐらりと崩れ落ちはじめていた。
「んぇっ?! は、ハナトちゃん?!」
元から円らな目をさらに円くし、フィーが慌てて駆け寄っていく。倒れかかる小さい体をお腹で受け止め、胸の辺りで彼女の頭を手のひらに包み込んだ。
その様子の異様さに、今あったことも忘れてイチヘイは思わず室内に戻ってきてしまう。
「あ゛? なんなんだ急に……」
「――――い、イチ、イチヘイ……!」
その険しい面差しに、フィーがスッと視線を向けてきた。その表情には、誰にでも一目でわかる位の心配と困惑の色が浮かんでいる。首の後ろの毛も、焦りにかそこはかとなく逆立っている。
おそらく良くない事が起こっていると、イチヘイはその顔を見て察する。
「……ど、どうしよう、イチ。この子、すごい熱いよぅ……」
「は?」
「ねつ、あるみたい……それも、すごいねつ……」
それを耳にしたイチヘイの眉の間には、形容しがたい表情と共に、再び深いシワが刻まれていく。
なんなんだ。
彼は思う。
仕方ないと腹を括りつつ、嫌々家にあげたかと思ったら、こうしていま急に倒れられた。
食卓の上に散らばるのは、大きさの揃わない子供っぽい字が連なる幾枚もの紙。インクの壺。羽のペン。いちばん最初に渡した紙のいちばん上の行には、『椿 花登です』と、フルネームで書かれた自己紹介。
作った食事は半泣きになりながらも平らげていた。
妖獣の血まみれで泥だらけで小汚ないから風呂ぐらい入ってこいと言ったら喜んでいた。
そしてたびたび笑う。わざとらしく笑いかけてくる。イチヘイに向かってまるで諂うような、今のフィーよりよほど大人びた笑みだ。
それが彼には不愉快だった。しかしその理由も、不器用な彼には解らない。
それに彼女は話を聞く限り何かがあって、ろくに喋れない様子である。なのに、その出ない声を絞り出してまで家族を恋しがって泣いた。なんの心配もなく安穏と生きてこれた証拠だろう。
そのクセ、その声でさらに「ごめんなさい」と謝ろうとする。口にしても許されるかどうかもわからないその言葉を、イチヘイに向かって口にするのだ。
アレを聞いた瞬間イチヘイの中には何かが込み上げてきて、やはりこれ以上は、彼女の表情、息遣い、仕草、何もかも目にして居たく無くなってしまった。
だから衝動的に席を立った。
……そのはずだったのに、今は意識がない花登を前にして、今度はどうしてか動揺している。
(なんなんだよ、このガキは……)
客観的に見ても、状況からして間違いなく邪魔にしかならない、この奴隷の同胞。
こんな少女ひとりに対してどうしてこんなに感情を乱されなければならないのか、イチヘイはしばらくの間、戸惑い続けるしかなかった。
捕まっていた恐怖から解き放たれたロリ奴隷が、流す涙からしか得られない栄養というものがですね……(危険思想)




