17.言葉の通じぬ獣たち① ~記される声~
読了目安→3~5分
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友達と別れていつも通る角を曲がったら、もう全く見覚えのない場所にいる。
そんなことがあるなんて、花登は考えもしなかった。
たどり着いた場所の時刻はたぶん、友達と別れた時と同じく夕方の少し前。
場所はポツポツと生える木々の隙間に、何かの建物の名残のように石の土台や壁だけが残る、遺跡みたいな所だった。
振り向けば、すぐ後ろにはまるで美術館で見る彫刻作品のような、平屋の高さくらいある白いアーチ門が聳えていた。蔦と花の意匠に覆われ、上の方には幾何学模様の透かし窓が入っている。綺麗だった。
『ここは、どこ……?』
友人に手を振って、一歩踏み出して、気付いたら独りでそこに立っていたのだ。戸惑うのも当然だった。
父親が買ってくれて、首から提げていたスマホも圏外だったが、このときはまだ家に帰れると花登は思っていた。
しかし歩き回るうちに暮れかけた空は薄闇に覆われていく。一時間か二時間くらいは経っただろう。
気付くと彼女は粗末な小屋が立ち並ぶ、村とも言えぬようなおんぼろの集落のなかに迷い込んでいた。
道沿いの溝からは、下水の嫌な悪臭が立ち上り鼻を刺す。
通りすぎる小屋の壁一枚向こうから、時折どよめきのように聞こえる不気味な笑い声。どこからか響く女の、妙に甘ったるくて甲高い叫び声。
濁った目をして時折 道端でたむろしているのも、汚くてつぎはぎだらけの服を着た人間たちだった。その衣服もどうみても花登が知る『洋服』という括りの衣装ではない。着物と洋服の中間のような、知らない国の民族衣装みたいな服だった。
毛皮や鱗を纏う二足歩行の生き物たちも、服を着たり着なかったりしてそこら辺を彷徨いている。
人間もそうじゃない生き物も、通り過がる彼女をじろじろと無遠慮な視線で見つめてくる。
花登は、本能的に自分はここに居てはいけない気がした。汚れひとつない綺麗な洋服を切る彼女の姿は、その場において完全に浮いていたからだ。
焦ってその場を立ち去ろうとした矢先、彼女の知らない言語で話す壮年の男に声をかけられる。
言葉が通じないことにもまず驚いたが、その男が花登を捕まえようと追いかけてきたことにも背筋が凍った。
どうにか逃げようとするも結局逃げられず、男の仲間らしき片目のうさぎにも追い立てられ、気付けば袋小路に追い詰められていた。
後退りする腕を、三日月のようなニヤニヤ笑いとともにがしりと捕まれる。何事か嬉しそうに呟いている。
泣いて、叫んで、『だれか助けて!』『離して!』と暴れたが、結局グーで殴られ一発で気を失ってしまった。
……その次に目覚めたらどういうわけか、もう声は今のようにほとんど出なくなっていたのである。
そうしてその時、花登の持ち物は衣服ごとすべて取り上げられ、代わりにさっき、〈虚棲ミ〉に裂かれてしまったあのボロ布のような服を着せられた。そして押し込められたのは、半地下の薄暗い牢屋。
見張りに立っているらしい優しそうな顔立ちの痩せて小柄な男に『助けて』と話しかけるも、目を逸らしながら無視され、花登は落ち込んだ。
――そうして次の、朝早く。
急に牢の鍵が開き、入ってきたのは二足歩行の蜥蜴のような生き物と、昨日見た片目のうさぎ。それから片耳と尻尾の先が半分しかないうさぎだった。
まだ明けぬ空の下、連れていかれたのはレンガ造りの、熱気のこもる暗い部屋である。
大鍋のような鉄の竈には炭がくべられ、目の前で赤々と炎を上げていた。
そのまま後ろから二人がかりで羽交い締めにされ、その竈の中から一本、赤く焼けた鉄の棒を一瞬はだけた胸に押し当てられる。
そこから数えて九日日ほど――それらは花登にとって陰惨な日々であった。
半地下の牢屋に、花登の他に捕まっている人間は居ないようだったが、時々『イヘヘヘヘヘ!』とどこからか下卑た笑い声が響いてくるのは不気味だった。
やる気がないのか良く目を離す見張りの隙をついて何回か逃げようともした。けれど結局は捕まり、鞭で叩かれ、殴られ、しまいには足枷と紐で繋がれてしまった。
身体中のこの傷跡も、半分はそのときのものだ。
……そういえば一度だけ、すごく豪華で身なりの良い服を着る、狐目の人間の男の前に引き出されたこともあった。
狐目の男は手に持っている水晶のようなものがハマった器具を花登にかざした後、目を輝かせながら花登を指差し、何かしきりに隣に立つ耳の欠けたうさぎに話しかけていた。
『お金みたいな金色のコインを、なんでか分かんないけど耳のないうさぎに見せていました』
『それから、』
――――……人型のあのうさぎたちには、思い出すのすら憚られるような目にも、遭わされた。
(――それ……から…………)
「…………」
テーブルの向かいに座るイチヘイとフィーの前で、しばらく回想と共に文字を綴っていた花登の手は、そこではたりと止まった。
庭の見える、一階の広い部屋だ。
広くて古ぼけたテーブルの端には、さっき食べ終わったばかりの皿が三人分、まだ重ねたまま隅に追いやられている。
吐き気が込み上げてきていた。
けれど、まともな食事なんて久しぶりに食べさせてもらえたのに、ここで吐いてしまうなんてもったいない。それにあまりに申し訳ないとも思った。
さっき裏庭の外れに建つ離れのお風呂に入れさせてもらって、フィーゼィリタスの着替えまで貸してもらった花登だった。
相変わらず大人の服だから袖も裾もぶかぶかだけど、二枚重ね着できたからもう肌寒くもない。今のところ脚の鎖はそのままだが、それも鍵がないのだから仕方ないことだ。
ちゃんと優しくしてもらったと、彼女は思っている。……それにさっき、花登にここに居てもいいと、二人は言ってくれた。
「――ハナトちゃん、だいじょうぶ……?」
「あ゛? 続けないのか……?」
――そしていま向かい合うテーブルの向こうから、目付きの鋭い男と長い耳をかしげる翠の目の生物が、背中を丸めてしまった花登を見つめている。
(だめ。ちゃんとして、あたし。続きを……続きを話さなきゃ……)
何とか顔を上げた。フィーゼィリタスが心配そうな顔で立ち上がる素振りを見せたため、花登はふるふると首を降って大丈夫だと伝える。
申し訳ないとは思う。でも花登はやはり、フィーゼィリタスが少し怖い。




