16.世話係はそれを阻止したい⑦~花登~
読了目安 3~5分
「えへへ、この子のこと、ちゃんとお世話するよう……。だから、ごめんなさい、なの。あとはボクのこと、イチは好きにしていいから」
「へーへー……」
ごめんと謝られても、こんなことさえ平気で言い出すのだ。本当に反省しているのかはよく分からない。
それでも胸の内に感じたその体温に、イチヘイはフィーの生命の『確からしさ』を感じて、全部なんだか一気に力が抜けてしまう。
どんな形であれ大事な相棒が隣にいてくれるならば、今はこの男はそれでよかった。
深いため息を1つ吐く。ざらり。
《……………そういう訳だ》
それからイチヘイは、ここに来てようやく、自分を見上げる小さな子の瞳をはっきりと見つめ返す。どこか怯えたような双眸が、そこにある。
ただ、そんな顔をされても、丁寧に説明してやる気などここでは湧かない。とにかくは『そういう訳』ではあるためそのように言い置いてから、彼女に通じる言葉で問いかける。
《ガキ、お前の名は?》
すると少女は、なぜか困ったように両目を見開いた。数秒、何か焦って考えるような間が空いた後、
「……ぁ、あな゛、と」
自分を指さしてそう言う。
「あ゛ぁ? なんだ?」
そのかすれ声が聞き取れなかったことについ声を荒げてしまうイチヘイである。とたん今度は、びくりと少女が身を震わせた。
「……顔怖いよう? イチ」
「っ、うるせえ元々だ。というかお前こそ、その首の手当てをだな……」
しかし当のフィーは、イチヘイの言うことを聞く気などないようだった。子供っぽいが人好きのする笑みと共に、優しく少女へ話しかけはじめている。
「……ねえ今もしかして、お名前教えてくれたのー? よく聞こえなかったから、もう一回ボクにおしえてほしいよう?
あ、ボクはねぇ、フィーゼィリタス。ふぃ、ぜぃ、リ、タ、ス、だよぅ! この顔怖いおにーさんはイチヘイっていうのー!」
言語がちがうのだ、一見、何を言っているかわかったようには思えない。
ただ、フィーが立てる人差し指のジェスチャーと、困ったように首を捻る表情と、それから雑な二人の自己紹介で、何か気付くものはあったらしかった。数秒、答えるか迷うように目を游がせた後、また口を開く。
「……………は、んぁ、とっ、……はな、ッ、ゲホッ」
聞き取りづらい嗄れ声でゆっくり一音ずつ口にだそうとして、けれどやはり咳込んでしまう。
それを見たフィーは、不安げにイチヘイへ視線を合わせてきた。どう見ても少女の声の出し方が普通ではないことに、彼女も気づいたらしい。
「イチい。ねえ、もしかしてこのこ、話せないの……?」
(いや知るかよ)
イチヘイは微妙な表情で眉間にわずかに皺を寄せる。それでも最初に尋ねたのは彼自身だ。相棒にも訊かれた以上、嫌々でも確認はとる。
《……はなと? っていうんだな? おまえは……》
コクコクと返ってくる頷き。「……そうか」
ここまで彼女の名なぞ意地でも尋ねないようにしていたイチヘイだった。知ってしまったら、余計に拒否しづらくなる気がしていたからだ。
イチヘイの顔の真ん中に、深い皺が寄る。
ぜんぶ放りだしたくなりながらも、もう逃げることは叶わない。行き場のない思いと共に、彼はくるりと二人に背を向ける。
「……とりあえず家、帰るぞ……」
ふらりと、来た道を戻りだすイチヘイ。
《お前もついてこい、……はなと》《ぁ、い……》
するとフィーはパッと明るい笑みと共に、花登の榛色の双眸を覗き込みにいく。
「わ! ね、一緒にいこうよう、えっとえっと――」「はなと、だ」「――ハナトちゃん! 一緒にいこう!」
名前だけ伝えてまた先に去ってしまうイチヘイの背後で、もう一度 朗らかな笑顔が咲く。手をつなぎたかったのか、同時にピンクの肉球がついた手のひらが、幼女の目の前に差し出された。が、
「…………」
半歩たじろいだ花登がその手をとることはなかった。どうやらまだ全部の警戒を解いたわけではないらしい。
するとフィーの顔からは、スッと笑みが抜ける。
――――その一時、透き通る翠の両目には狂気ではなく、先ほどよりもよほど静かな知性が灯っているように見えた。心配そうに探るような表情をして、フィーは花登をじっと見る。
「……もしかしてハナトちゃん、ボクみたいな獣人種に、なにか怖いことをされたりしたのかな……? 話せないでいるのもそのせいだったりして……」
それはイチヘイに聞こえるわけではない、自問のように小さな少女への語りかけだった。
言葉が分からない花登は、ただただ首をかしげる。
と、そこに、一度は木々の陰に消えたイチヘイが戻ってきて、面倒な気持ちを隠す様子もなくフィーに声をかけた。
「おい」
「ん! なーに??」
「早くしろ。朝飯食うんだろ? ……というか、なあ、飯って、そいつの分も出すべきなんだよな……?」
「え、当たり前だよう? ほねつきにくのスープ美味しいもん! 一緒に食べようよぅー!」
そう楽しそうに笑って、フィーはまたぴょこぴょこと耳を揺らしながら歩きだす。そこにはもう、どこかネジが抜けたような無邪気なウサギが立っているだけだった。
「ほらほら、二人とも行こーようー?」
「…………。」
自分を追い越し、先に行ってしまう相棒を一瞬目で追ってから、今度はイチヘイが花登を振りかえる。ただでさえ目つきの悪い男からの棘のある視線に、小さな背がほんの一瞬立ちすくんだ。
そのオドオドと怯える姿に、イチヘイはやはり横髪を掻き上げながら軽く舌打ちする。
《……行くぞ、アイツも来いって言ってる》
絶対に間違った選択だ。それでも、もう受け入れるしかないのだろう。
(……だが、もしこれでフィーの傷が少しでも癒えるのなら……、それはそれで間違っていなかったと言える日が、いつかは来るのか……?)
こくりとハナトから返ってくる頷きを確認して、イチヘイはまた歩き出す。その後を追うように、ジャラジャラと鎖の音も鳴り出す。
その小さい歩幅が気安くこの二人の隣へ並ぶのは、おそらくもう少し、後の話になるのだろう。
【ちょっと区切りが良いとこメッセージ】
読んでいただいてありがとうございました。
いかがでしたでしょうか……。
ここまでのストーリーで刺さっていただけてましたら、多分この後もずっと楽しめると思います。次回は花登目線に切り替わって3話続きます。よろしくお願いいたします。




