13.世話係はそれを阻止したい④ ~此処に契らん~
読了目安→4~6分
「っ?!」
身体に染み付いた反射でとっさに跳び退ろうとした。しかしそれよりも速く、刃を奪ったフィーは左手でイチヘイの右手首を掴んでくる。
左腰にさした長剣を引き抜ける方の利き手である。次手を封じられた形だ。
「っ、おい、フィー……?!」
さらにその手を払おうとした反動を巧みに利用されたイチヘイは、容易くフィーの近くまで引き戻されてしまう。簡単には振りほどけない。耳長族であるフィーの膂力は、持久力こそなくとも瞬発的にはイチヘイの力を越えるのだ。
奪われた短剣はそのままフィーゼィリタスの華麗な指捌きでくるりと回転し、切っ先が短刀を奪った本人に向けられた。
「なっ?!」
ついで、予想外の襲撃に判断が遅れた彼の掌にその柄を握らせたフィーは、それを自身の両手でさらに上から握りこんでくる。
イチヘイがさらなる抵抗のために左手を重ねたときには、もう既に渡り四十センチはある刃がフィーの喉に突きつけられていた。
すべて一瞬だった。
イチヘイの視界の中央では、激情にも似た苛烈な火を灯す翡翠の瞳が、まっすぐに彼の両目を射抜いている。切っ先は白く短い喉元の毛の中にまで埋もれていた。同時に毛皮を纏う五指が片方だけ滑り、心臓の上でフィーの衣服を乱暴に掴んでいた。
彼が目に映さない視界の端でも、少女が呆気にとられて立ちすくんでいる。
「……フィー、大人しく手を離せ?」
イチヘイはそこでようやく穏やかな声で説得を試みた。けれどまたもその言葉がフィーに届くことはないようだった。
フィーはじっと真剣な顔でイチヘイを見て、
「――――イチがそういうなら、ボクももう、『神名と祖に誓って』、こうするしかないんだよ……」
そこまで呟かれてから、イチヘイははたと、今の語彙とフィーがしている仕草に既視感があると思い至る。
薄い毛皮の手のひらが相棒の心臓の上を掴んでいること、だけではない。気づけば長い尾は、ぐるりとフィーの脚を一巻きしている。
(……『誠実の誓い』、をしているのか……?)
尾の長い獣人は、おのれの言葉に偽りなしと誓うとき、だいたいこれと似たような仕草をする。
これは魔力を伴わない略式の行為だが、特に耳長族のするこの誓いは、本来ならもっと儀式的な場で使う、神聖な仕草だった。
ゆえに例えどんな軽薄な態度で行っていたとしても、ごまかしや悪ふざけでやるようなジェスチャーではないと、イチヘイは知っている。
なんなら(トルタンダからの帰還以降を含めて)この誓いをする相棒の言動が嘘やおふざけだったところを、イチヘイは一度も見たことがない。逆につまみ食いをして疑惑を向けられた際のフィーがこの誓いをするところも、彼はみたことがない。
何を言わんとしているのかはわからなくても、逆説的に本気なことだけはわかる。
だが流石に、こんな風に自らに刃を向けてまでする誓いなど、イチヘイは知らなかった。
(……それに、いまのコレも何を誓おうとしてる? そもそも何をしようとしてる??)
しょせんは狂人の戯れ言にすぎないのだろうか。
それでもなにやら、胸騒ぎが止まらないイチヘイだった。ゆえに余計に、この喉元の刃だけは早く退かさなければならないと焦る。
けれどその瞬間である。
――――『僕、天祖アリゼリラスの御前に白さく、』
フィーの声が唐突に、なにかを朗々と謳いはじめた。
(コイツ、急になにを……)
喋りだしたんだ、と思ったときには、二人の周りの地面には蔦と何かの文字を具象化したような、古めかしい紋様の魔方陣が広がっていく。
《……?!》
傍らに立っていた少女が突然のことに驚いて、足下を這いだす白い光が届かないところまで後退りしだす。
陣は広がるごとに幾重にも重なって少しずつ地面から剥がれ、さながら輝く白い花が閉じるように、イチヘイとフィーを内側に包み込んでいく。
目を丸くした少女の顎が上がり、高さ二メートルを越える半球形の光の蕾を見上げる。
その中では翠の両目に天を映したフィーが、まだ詠唱を続けている。
イチヘイは突然のことに、小刻みな首の動きで周囲を見回した。
『僕と朋の誉
朋と祖の血
尊き縁に心命賭し……』
そして続く詠唱を耳にしながら、イチヘイはようやく察せるのだ。
これは耳長族たちに伝わる『誠実の誓い』の大元……、略式ではない方の誓いの儀式。
――――〈耳長族の神への聖宣〉という儀式魔法だと。
しかし白い光の籠に閉じ込められたようなこの状態に、さしもの彼も今は戸惑いの方が勝ってしまっている。謳われる内容も、おそらくはかつての耳長族に使われたのであろう古い言葉が占め、さすがに彼も半分以上は意味がわからない。
ゆえにこの瞬間には、イチヘイは気付けなかった。
フィーがなにを誓おうとしていたのか。その内側になにを想っていたのか。
フィーの手は、なぜかだんだん震え出している。イチヘイの肌も、強く握ってくるフィーの手のひらに妙な熱と湿り気を感じている。
ふわりと逆立ちだす首回りの毛は、耳長族の相棒が戦闘時と同様に、相当な興奮状態になりかけていることを示していた。よく聞けば、詠唱の声すらわずかに戦慄いている。
『譬え血族の命、尽きんとも、
僕、この者と共に在りて
望む誓いを果たし徹さん
御名に依りて今、此処に契らん』
「……フィー……? お前、なにしようとしてる……?」
そこでようやく我を取り戻したイチヘイは口を開く。
その声につられるように、上を向いていたフィーの眼差しが彼の顔まで降りてくる。その翠の瞳に秘められた感情は苛烈であり、覚悟と決意を秘めたかのような強い光を宿していた。
目が合った瞬間、確固たる何かの意思とともに、フィーはイチヘイの視線をそっと絡めとってくる。
――――彼は、己の顔を映すドングリ眼の奥に潜むソレが本当に気狂いの意思であるのか、またほんの一瞬判らなくなってしまった。
「……ボクの願い事、きいて?」
……
「……おま、え……?」
「……イチ、ボクね、イチになら本当に何されてもいいんだよ……。なんでも言うこと聞かせて? イチが望むなら、今ここで殺されて毛皮の敷物にされてもいいから……命令されたら逆らわないし、ほんとに何でもする、から……言うこと何でもきくから――――」
「なに、を、言って……」
「――だから代わりに、この子をボクのそばに置かせてください。この子のお世話、ボク、ちゃんとするから……」
(っ、待てっ、……『コレ』は神に誓う儀式だよな……?!)
嫌な予感が走る。そんなもの、イチヘイは望まない。
「おいフィー、自分が何してるか解っ……」
――――『僕、希くば、天祖よ、聽き届けよ、見届けよ!』
そう言うが早く、片手だけでも充分強いフィーの膂力が、尖った切っ先をイチヘイの腕ごと更に喉へと引き寄せだす。
刹那、目にした喉元の白毛に赤い色が滲みだせば、彼ももはや内容を問うどころではなくなった。背筋が一瞬にして粟立つ。
どうしてさっき一瞬でも、『正気での発言なのかもしれない』などと思ったのだろう。やはり相棒は、狂ったままだ――――。




