12.世話係はそれを阻止したい③~〈稀人〉は迎えよ~
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舌打ちしながら、イチヘイはまた側頭部を掻きむしる。
(――クソ。このガキがなまじ〈稀人〉って存在なのが厄介なんだよ……)
ルマジアには多くの種族が暮らす。だがどの種族にも共通して知られる創世神話では、彼らはどれも大元を辿れば異界から来た〈稀人〉の血筋である、と口伝されている。
そのため〈稀人〉はこの世界の住人たちにとっては先祖の墓と同じく、彼らのルーツが確かに異界にあることを示す証とされてきた。
ゆえに『〈稀人〉は迎えよ』――――、フィー同様に多くのルマジアの者たちは言うのだ。
そしてイチヘイも、元は〈稀人〉だった。この子供と違い、拾い主のお師匠にはそれなりに大事にされた……少なくとも彼自身はそう思っている。彼には、この家に拾われた当初から半年程度の記憶が無いため、正確なことは分からないのだ。
それでも、『稀人は迎えよ』と、その思想を礎に育てて貰ったからこそ、あれから十年と少し経った今でも、彼は懐かしい古巣としてこの地に戻ってきているのだろう。
当時のことはほとんど思い出せなくとも、話を聞くに拾われたことは幸運としか言いようがない。生まれた本当の地より、今のイチヘイにとってはこのエナタルの森の家のほうがよほど故郷である。
(師匠の話からすれば死にかけてた、んだよな……おそらくだが……)
しかしそれより以前の、いま思い出してしまった『向こうにいた頃』の記憶となると、彼にはひたすら忌まわしいものしか残らない。
苦々しく顔をしかめる。
――――身体中に傷をつけられていた。
――――謝っても許されなかった。
言葉で語ることはしないが、なんならイチヘイは今もこの子供に対して、『できることならばどこかへ消えてほしい』と願っている。胸の奥底に埋め、忘れたつもりでいた嫌な過去を、顔と共に眼球まで固定して直視させられているような気持ちになるからだ。
もしこれが『普通』だったら、イチヘイも虐げられた彼女を、フィーのように可哀想だ、引き取りたいと思っていたのだろうか。
頭をひねる。しかし、いつもどうしても相棒のことにしか心を割けないイチヘイには、よく判らなかった。
ただ、もし仮に『普通』だったとしても、やはり彼は、この子供を家に引き入れる結論には至れなかっただろう。……それなのに、肝心のフィーはイチヘイのいうことを聞いてくれる気はないようだった。
「…………」「…………」
膠着状態をへて、イチヘイとフィーとの間に下りていた数秒の沈黙。そこに、むすりと拗ねて俯いていたフィーが、顔を上げてまた話しかけてくる。
「……ねえ、イチ」「なんだよ?」
「ほんとに、ダメ、なの……? あの家の敷地の中なら、お師匠さまの魔法で、違う国の言葉でも通じ合えたよね? イチヘイもそうやってここの言葉、覚えていたよね」
耳にしてから、イチヘイは思わず自分の手の甲へ伏せていた視線をフィーの睫毛へと跳ね上げた。話し方が、急にわずかに大人びた。
「……『稀人は迎えよ』っていうよね」
「フィー……」
けれど相棒のこの頑固さは、結局子供にじみた駄々をこねてもこねなくても何も変わらない。
けれど今イチヘイの前にいるフィーは、眉をハの字にして彼の瞳を覗き込んでいる。どう出れば解ってもらえるのだろうと、耳をそびやかしながら相手の反応を窺っているようだ。
『調子の悪いとき』には、絶対にしない表情だった。
「それは、そうかもしれないが……」
イチヘイは薄く唇を開いて答えながらも、思わずそんなフィーを見つめ返してしまう。
「だから、ねえお願いイチヘイ。ボクもこの子のこと、面倒見るからさ。イチにも協力してほしいの!」
――――しかし、返す答えは彼の方も何も変わらない。いくら願われようが、この子供はやはり引き取れない。
しかし、幼いフィーを相手にするよりは確実に話が通じそうではある。複雑な思いではあるが、ならば余計に態度を軟化させるときではないとイチヘイは感じる。
伝えて納得させるなら、おそらく今しかないのだろう。
ゆえに重ねてキッパリと否定してみせる。
「……ダメだ」
「……どうして? なんでダメなの?」
イチヘイは乾いたため息をついてから、首をかしげるフィーを余所に口を開く。今までよりずっと詳しく話す。ゆっくりした口調だった。
「――いいか、まずコイツの胸の焼き印……、見たよな? 覚えてるか」
「……覚えているよ」
二人揃ってチラと子供を見やる。
二人の身振り手振りから、さっきからどうやら自分が話題にされているらしいと悟る少女は、またきょどきょどと二人の間で視線を行き来させはじめた。
イチヘイは気にすることもなく、吐き捨てるように話し続ける。
「つまり、お前も言ってたようにこのガキはやっぱり奴隷だったわけだ。
奴隷には主人がいるもんだろ? 勝手に引き取って、後で飼い主が探しにでも来てみろよ……? ……面倒ごとはゴメンなんだよ、俺は」
「そんな、イチヘイ……」「あのなあフィー――――」
何回言えば分かってくれるのか。
どうしようもなくこんな口調になってしまうが、実際のところイチヘイは、ただ戦で傷ついた相棒との暮らしに、在って然るべき平穏を守りたいだけだった。
ついさっきは気狂いのままのフィーを心配させ、頭を撫でられてしまったイチヘイだ。
あの瞬間の決意を、もう本人からどう思われようが今の彼は貫くつもりだった。
「――――あのな、フィー。コレは捨て子を拾うのとは違う。
奴隷ってのは境遇が特殊だ。〈稀人〉だからだの、俺と故郷が同じだの、まだ小さいガキだから可哀想だの、もうそういうのとは別の次元の話なんだよ。
それにソイツは法的には人間じゃねえ。逃亡奴隷だとわかって匿うのは、普通に犯罪なんだぞ?
勝手に手元に置けば、泥棒と同じになる……しかも被害を主張してくるのは、かなりの確率でただの平民じゃない。……お前には、この意味が解らないか?」
あえて言葉を選ばすにいうならば、奴隷は「意志疎通のできる財産」である。主には土地や金のある貴族・金持ちが、屋敷や農園の管理のために飼う。
さまざまな理由で、自らの所有を自らの物としない、家畜と同等の人間や獣人たち。
その価値はピンキリだが、健康でよく働き、力のある奴隷ともなれば、一人頭で一掴みの黄金と同額にもなるという。庶民ならば家族四人、何不自由なく三月は食べていける額だ。
なのに、権力を持つ者が圧倒的な優位に立つ封建制度のこの国で、そんな者たちの財産をむやみに占有などすれば…――――下手すると騎獣や駄獣を盗むより、罪状ははるかに重くなる。
もしこれの主人がろくでもない権力者だったら、ソイツの胸先三寸で死罪すらあり得るのだ。
その事も踏まえて、きちんと言い含めるが、
「わか、るよ? で、も…………」
フィーの目はまだ游ぐ。おそらく本当に話自体の理解はできている。だが、
(納得するのとは、別かよ……)
多少まともに戻ったとて、やはりこの頑固さには辟易せざるえない。彼は暗い赤色の双眸を、当惑のかたちに歪める。
「……ごめんねイチ。言うこと聞けない。連れて帰りたい」「なあ、フィー……」
動かない現状に、募った困惑が眉間の皺のかたちになる。
「――……どうして解ってくれないんだよ……?」
バリバリと頭を掻きだす彼。吐き捨てるようなため息と共に、思わず訊いてしまう。
そしてイチヘイのその表情を見つめ、フィーは何を思ったのか。気づけば肉球の足で一歩、二歩と彼に近付いてきていた。
「でも、でもさ……」
「…………あ゛? ん、おい、フィー……?」
「――――このこ、本当にかわいそうだよ?
イチヘイはお師匠さまに助けてもらったのに、なんでこの子の事、イチヘイは許してくれないの……? どうして? 本当にダメ……?」
いつの間にか、その必死な言葉は彼の耳許で囁かれていた。すべらかな毛並みの両腕がイチヘイの背中と腰を引き寄せる。
それは実に唐突な――――彼が覚えている限りでも、互いに大人と呼べる年齢になってからは初めての抱擁だった。
(は? まじで急になにしてんだ……??)
「おおい、フィー、どうした……?」
ここで抱きつかれるような理由を思い付けず、驚いて目を瞠る。
……それでも彼女の暖かさ、首筋に触れる毛並みの滑らかさや柔らかさは居心地が良く、特に嫌だとは感じなかった。
(以前に比べたら、本当に良く触れ合うようになったな……)
とっさにそんなどうでも良いようなことを考えてしまう。彼女の匂いが、ほのかに獣臭さの混じった甘く芳ばしい香りが、イチヘイの鼻を掠めていく。
「…………あ゛……?」
と、そこで、彼はふと横から興味津々な視線を感じた。顔をむければ、なぜか少女は食いつくように二人の抱き合う様子を凝視していた。
目が合った途端、なぜか気まずそうに視線を逸らされる。
《あ゛? ……おい待てガキ、ソレ、どういう感情の顔だよ?》
思わず声をあげてしまう。しかしそこから先は――――
「…………ねえ、良いって言ってくれるなら、あとはボク、イチヘイに殺されてもいいんだよ? 本当になんでも、言うこと聞くから、さ……」
「は……?」
――――フィーが声を上げたそこから先は、すべて不意打ちだった。
『シャッ』と響く細い音。
横向きに着けた後ろ腰の鞘から、さっき仕舞ったばかりの短刀が引き抜かれる感触を、彼は遅れてとらえる。




