109.それが二人のためになるのなら② -異形、威容-
読了目安 4~7分
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『フィーの泣く声が煩くて隣室で寝るのが難しければ、師匠の部屋のベッドを使っていい』『あの部屋は少し特殊だから、部屋に入るときは絶対に入っていいか尋ねるか、ノックすることを忘れるな』『少し汚いが、今日のところは我慢しろ』
と言われて、その日はその通りに部屋を借りた花登だった。けれど結局は二人のことが気になって全然眠れないのだった。
仕方なく、少し早いけれど身を起こす。寝不足のせいか今は頭がふわふわする。
白み始めた外の光が部屋のなかを照らし始めると、お師匠さまのものだと言うこの部屋は、やはりものすごく汚なかった。
ごみだと思ったものを捨てたら研究に必要なメモだったり、うっかり動かした置物が呪いの道具だったりするので、寝床回り以外は下手に掃除が出来ないという。
昨日、イチヘイと話した時に彼とフィーを育ててくれたという、この部屋の主――『お師匠さま』のことも聞いた花登だった。
ただ、話を聞いても、こんな姿をしていると地味に上手い絵で示されても、花登にはどうしてもこの人が本当にいるという実感が湧かなかった。
フィーや、下の村で遊んだ獣人の子たちと同じだとも思えない。
なにせ『混ざり具合』からして違ったのだ。
(顔は人間……長くて黒い角……体はふさふさ……足はヒヅメ……イチ兄よりおっきくてすごい美人……。おとぎ話に出てくる生き物か妖精みたいだった……。普段は優しいけど多分人間じゃないって、イチ兄も言ってたし……)
ポリポリと、だらしなくお腹を掻きながら寝床を出る。
時間が早いので家の中はしんと静まり、キッチンを覗き込んでもまだ誰の影もない。外の森から早起きな鳥たちの鳴き声が響くだけだ。
ここ数日、この家で過ごして、花登は同居人ふたりの朝の習慣を何となく掴んできていた。今はたぶん、イチヘイは外の畑のそばにいる。フィーは、まだ部屋に籠っているはずだ。
そんな考えとともに花登は生あくびを噛み殺す。普段着に着替えようと二階の階段を上がりだした。
……ただ驚いたことに、階段を上がるにつれて見えてきたフィーの部屋の扉は、すでに開け放たれていた。
「ぬ……??」
中を覗き込んでみるけれど、誰もいない。少し不安になって、彼女は空き部屋や、ノックをしてイチヘイの部屋にも首を突っ込んでみた。
ついでに二階の窓から裏庭を覗くも、そこにすら誰の姿もなかった。
「…………ええ?」
不安になる。
――『今さら追い出したりなんかしない』
と、イチヘイが言っていたのを聞いたばかりだったのに、それでも起きたら誰も居ないことには、少し狼狽えてしまう。
(あたしの『帰る場所』、今はイチ兄とフィーゼの間にしかない……)
そんなことはきっとないはずなのに、なにか、置いていかれるような悪いことをしてしまっただろうかと考えてしまう。
ただ、とにかく一旦は着替えて、一階に降りなおした花登だった。それからはっと思い出して、どこか縋るように階段下の箱罠のなかを覗き込む。
ぐるるぷすーー……と図々しいいびきが聞こえた。
無意識に胸を撫で下ろしている。
良かった、さすがにコレは放ったらかしだ。
瓶洗いブラシのようにもさもふさふさした尻尾が、寝床からはみ出ていた。思えばフィーが泣いている間も、これは信じられないことに爆睡していたのだ。一度寝ると起きないタイプなのかもしれない。
「ね。ミミ!」
一本黒い筋の走る尾の真ん中辺りをつかみ、ぐいぐい引っ張る。
コレには優しくしなくていい、と昨晩イチヘイにも言われていたが、それでもちょっとは手加減したつもりだった。
「ギニャァッ!?」
ただ、人で例えれば背骨の延長を引っ張られたようなものである。
途端、ダミ声の〈刷毛尾猫〉は濁った悲鳴を上げながら飛び起き、ついでに箱罠の天井にゴン! と頭をぶつけた。
「――ぐぇっ! な、なんなんニャ! 敵襲かァ?! ニャ!」
寝ぼけ声でバッと寝床から飛び出してくる縞。
しかしすぐそばで、若干不安そうな顔をしてしゃがんでいる花登と目が合うと、一瞬でなんだお前か、とでもいいたげな迷惑そうな表情をしはじめた。
「ニャッ?! ったく、糞ガキがァ、こんな朝っぱらから何なンだニャ! 面白がってンなら後悔させてやンぞ、チビィ……ニャシャー!」
背中の毛を逆立てて威圧される。が、いまはそれどころではないのだ。花登は構わず猫に話しかけた。
「……ふたり、いない」
「……は? ニャァ?」
「しらな、い……?」
唐突に叩き起こされ、怒っても無視され、何もかも理解できないという顔をしていた縞である。だが、数拍おいてどうやら何となくでも状況を理解したらしい。
「アン? 居ねェ? あの二人? ニャ……オイラには関係ねェにゃ!」
しかし変わらずそっけない態度をされる。
(今は、優しくしてほしいのに……)
ちょっと泣きそうになったが、花登はめげなかった。幸いにもこれが、文句たらたらの割には脅すと従順になるということを、花登は既に学習住みである。昨日、この猫とそれなりの時間を一緒に過ごしたお陰である。
だからじいっと見る。
「な、何だニャ……」
「……ごはん、抜き……?」
「ぐっ!?」
この家で出るごはんは、どれも美味しい。花登は好きだ。
なら、この猫もそうに違いないと思ってちらつかせてみたが、思ったよりずっと効いたようだった。
「よ、要求は何だニャァ……」
「外、さが、してき……っ、ケホッ」
途端、なぜかスン、という顔をされる。
「……オマエぇ、言うこと聞くフリだけして、オイラがサボるとか逃げるとか思わねェのかニャあ?」
……何で急にそんなことを言い出すのだろう。昨日だって、『命令』したらちゃんと手伝ってくれたのに、と花登は首をひねる。
昨日の『命令』は、あのままお茶会にコレをおいておいたら、イチヘイに本当に殺されてしまいそうだったから、あの場から連れ出すための口実だった。
結果的には、文句タラタラの猫にこうして自分の寝床を作るのを手伝わせたり、散歩に付き合わせたりしだけだったが、ちゃんと言う事は聞いてくれた。ちょっと口は悪かったが、『静かにして』と言ったら黙ったし、別に嫌なこともされなかった。
「……? なん、で?」
「なんでって……ニャ」
傾ぐ首とともに見つめ返す。
それはある意味では相手を信頼しきった、純朴な問いであった。そのまっすぐさに、縞の目が戸惑ったように游ぐ。けれどすぐに根負けしたように、後足でバリバリと耳の裏を掻きはじめた。
「ニャッ……ああああクソにゃァ!! この家の奴らはどいつもこいつもニャ! 行けばいいんにゃろ! 行けば!! ニャ!」
全員イカれてる! お人好しどもめ! などとニャーニャー悪態をつきつつ、するりと花登の脇をぬける。書斎の扉も平然とすり抜けていった。
一度呪いにかかると、もうこの扉は平気であるらしい。
それから部屋の中ほどに埋め込まれた暖炉から、煙突の穴を駆け上って消えていった。
……一人になった。
けれど、頼れる『家来』がいることに、少し安堵している花登だった。
二人が帰ってくるかもしれないので、そのまま待つことに決める。迷子のときだって、その場から動いてはダメなのだ。
少しだけ緊張が解けて、喉が乾いてしまった花登は立ち上がった。
(お水、飲もう……)
しかしそれは数歩で廊下を抜け、食卓のある部屋に入ったときである。
彼女の心臓は、殴られたようにひとつ跳ねた。
なぜならそこには、全く知らない人物が一人――、夜明け前の仄明かりの中へ沈むように立っていたからだ。
(え? こんな人……、……人? さっきまで居なかったのに……)
凍りつく。
遠巻きに見上げた。
とても背が高い。イチヘイより高い。
髪は灰色の長髪。前髪の生え際から二本、滑らかに捻れて長い、黒い角を生やしているようだった。
腕は人間よりちょっと長い。
青と緑と赤を基調にした、細丸いシルエットの長衣を着て、上から着物の被布のような、白い前垂れをつけている。
……良く見ると、裾から覗く脚には緑の鱗が生え、足先は山羊の蹄のよう。
(……んん? あれ? これって……)
いったんは怯えた花登だったが、昨日の夜イチヘイから聞いた話の中に、確かにこの人は居たのを思い出す。なんならさっきも思い出していた。
警戒しながらも、花登はおずおずと近寄ってみる。
「おし、しょうさま……」
本名は、聞いていたのに忘れてしまった。
それでもくるりと降り向く、その異形の長身。オレンジ色をして丸っこい大きな石がひとつ、豊かな胸の間で揺れた。
『おやおや? おかしいねえ、吾の家の中へ、こんな時間にお客様が来ているとは思わなかったねえ』
ふわりと細まる、浅い夜色をした瞳はアーモンド型だ。
『……それにしてもずいぶん小さくて可愛らしいお客さまだ。……どこから入ってきたのかな?』
言いながら歩み寄ってくる、彼女。
目の前にしゃがまれる。なのに蹄の足音どころか、衣擦れの音一つすらしなかった。
『それにその呼び名……。吾を師というのは今は、あの二人だけだと思っていたのだけれどね……』
「あ……」
喉の奥を強張らせ、花登は焦る。焦る。
……ただ、その時である、魔女に近づかれて、花登はふと気付いた。
良く見ると、彼女は向こう側が透けて見えていた。
(え……)
別の意味で目を丸くする。
(おば、け? ってこと……??)




