102.遠い日⑨ -封滞-
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――「~~~~~~~~~~~~!?!?!?」
泣き声とも金切り声ともつかない音の消えた叫びが、夜を裂いた。
その、聞き慣れた輪郭を持つ絶叫に、モニススは一瞬意識をそがれる。
あまりの狂乱に、クスクスと笑いあっていた妖魔二匹までもがその笑みを止め、不思議そうにモニススの後ろを覗き込む。
よくもそんな余裕をかましていられるものだと、魔女は詠唱の予備動作に入る。と、その時だった。
耳に入るフィーの叫びが意味のある言葉を含んで、叫び始めるのだ。
よくも父さまを。よくもメーナィを。かあさまを。みんなを!!
父の血に濡れた小さな身体はそんなことを叫び、モニススの脇を抜けて駆け出そうとする。魔女は驚愕して、その背中をとっさに魔法の蔦で縛り上げた。
「フィーゼィ、フィーゼィ落ち着きなさい」
「~~~~~!!!」
抱きしめても、声は届かない。モニススは妖魔たちに意識を留めたまま、チラリと横たわるタリケラスに目を向けた。……既に魂が抜けている。
(――嗚呼、河の流れに還ってしまったのだね……)
故に一抹の哀れみと悲しみと共に見送った。タリケラスは娘と同じく、お人好しで勇敢な良い子であった。
その死を知ったのならば、フィーがこのようになってしまうことも仕方ない。この子も親戚縁者を残らず失い、取り残され、ずいぶん可哀想なことになってしまった。
この魔女には、生きとし生けるものの魔力の流れが――魂のかたちが、良く視える。そしてずっと見守ってきた。
定命の者たちの命と時はいつも儚い。皆、生きてすぐ死ぬ。それでも彼らは一生懸命、日々を生き、働き、子を成しては命を繋いでいく。
魔女は、自身を慕うそんな彼らを愛し、その儚さに常に敬意を払ってきた。
しかし妖魔や妖獣はそんな魂の巡りに横から割り込み、全て掠め取っていく。こいつらに口付けを受けて喰われると、魂も身体も、何一つ残らない。
「―――フィーゼィ、落ち着きなさい!!」
もう一度声をかけたが無駄だった。
(……ならば早くこの芥どもを片付けて、タリケラスの骸と共に此処を去った方が、きっとフィーのためになるだろうね)
このままでは、生きたままこの子の魂が壊れてしまう。
「あらあら、フィフィー? 怒ってるの」「本当だ、怒っているのね。でも、小さいから怖くないわね」「うふふ、怖くないわ」
「……少し黙って貰おうか」
振り向けば、二匹はまだ彼女の家族の顔と声をしてささめき、嗤い合っている。魔女は怒りを剥き出し、その提げ石に濁流の如く自らの魔力を込めはじめた。
◆
――夜の闇に、青い光が炸裂する。
直後、爆発と轟音が周囲に立つ民家の屋根を吹き飛ばし、宙に浮くモニススの下腹を揺さぶった。
手足を縛り上げたフィーを防御結界でかばいながら、吹きすさぶ衝撃波と熱風に目を細める。今の魔法は、この魔女にできうる最大火力の攻撃だった。家屋の破壊は最小限になるよう爆発の瞬間だけ家々にも結界を張ったが、何もしなければこの村砦丸ごと吹き飛ぶ程の威力である。
(さすがに爆心地には何も残らないだろうね……)
やがて立ち込める粉塵が冷たい風に流れて晴れ――――、しかしそこには妖獣の背の上で、ぴったりと寄り添い立つ二匹の妖魔が、未だこちらを凝視していた。わざとらしく頬を寄せ合い、モニススをあざ笑ってくる。
「痛いわ、助けて……」「嫌、殺さないで……」
(やはり駄目か……)
魔女は沈黙してしまった背後のフィーを気にしつつも、嫌悪に眉をしかめる。
戦ってみて幾つか判ったことがある。
まず、妖魔というのは妖獣と同じく魂の代わりに核を持ち、人を喰う忌まわしい存在だ。
しかし妖獣と違い、食べたぶんの力を生命力、あるいは魔力として核に溜め込むことができる。そうして溜め込んだ分だけ生き長らえ、人を食った数だけ不死身になる。
モニススには今も、この二人の核がそれぞれ一人は右胸、一人は左胸に埋もれているのが視えているが、この二匹のそれは、モニススがこれまでに屠ってきたどの妖魔と比べてもかなり特殊だった。あろうことか二つで一つの繋がりを持ち、生命を共有している。
なんなら、向こうで死骸として転がっている妖魔が喰らった戦士たちの生命さえ、分け与えた魂の繋がりで上納させているのが見える。
それに加えて避難壕の中にいた子たちを食い尽くしたことで、こいつらは今や、そんな妖魔の『不死性』を忌憚なく発揮しているのだった。
おかげで今の爆発で膚を掠めた瓦礫のかすり傷程度では、今この瞬間、モニススが見ている最中にも瞬時に再生していく。
妖獣も同様に、受けた傷を見る間に塞いでいく。
……物理攻撃は、やはりダメだ。
故に、魔法攻撃はどうかと先程から色々試して来たのだが、魔法の斬擊、水、氷、灼熱、絶対零度、雷撃、火の玉、爆発、どれも利かない。
「でも、いまの、また貰っちゃったわねハリ」「そうね、この人の魔力、美味しいわねジョセ」「本体もきっと」「そうねきっと美味しいわ」
またくすくすと笑いながらモニススを見上げてくる。彼女は黙って二匹を睥睨し、観察する。
この二匹は、先刻の雷撃の時もそんなことを口走っていた。まさかと思い、火力を上げながら様子を視ていたが、今のでようやく確証が持てた。
どうやら二匹は、放った攻撃を純粋な魔力に戻すことで無効化し、さらにその魔力すら膚をとおして生命力として吸いこんでいるようだ。
最初の一撃だけは効果があったが、思えばあの瞬間に、モニススの魔力の波長を『理解』し、吸い込むための"水合わせ"を行っていたのだろう。
同様にジョセとハリに付き従うこの妖獣の方も、元から魔力に相当な耐性があるらしい。魔法を吸い込むまでいかずとも、親と同様無傷だ。
かといってそこら辺の岩を持ち上げて本気で潰しにかかれば分裂して数を増やし、その上でどうやら親が近くにいると、再び融合して任意に元に戻れるようだった。
ジョセが、薄ら笑いを浮かべながら言う。
「……ねえ魔女、そろそろ諦めてくれない?」
ハリも、首を傾げながら言う。
「そうよ、私たち、王さまを迎えに行かなきゃならないの」
「ジョセもハリも、二人でつくる卵じゃなくて」「ええ、王さまの赤ちゃんを産みたいの」「迎えにいかなきゃ」「育てなきゃ」
くすくす。くすくす。
モニススは黙って目を細める。その声も、見た目も、醜悪すぎて耳目が腐りそうだった。
「ふふふ、それにねえ」
余程、彼女を圧倒できて調子に乗っているのか、ジョセはいっそうキャイキャイとはしゃぎながら続ける。
「この子も、さっきハリがたくさん食べてから産んだから、さっきジョセが産んであなたたちに殺されちゃった子より、丈夫ないい子なのよ!」
「ええ、あなたなんかじゃ、ハリの産んだ子の相手になんかならないわ」
モニススは思わず、百年ぶりくらいに舌打ちをした。確かに二匹の魂は醜悪にぶくぶくと膨れ上がっている。
ただ余裕綽々にせせら笑われても、論理的に語るならば、倒せはする。
しかし、今この場で、モニスス一人でとなると難しい。魔力も半分程度は使ってしまった。
今のところ唯一、束縛の蔦だけは通じるのは分かっている。モニススが唯一操れる、使う魔力の色味が神力に近い魔法だからかもしれない。こいつらの動きは素早いが、うまく誘導して、引きちぎられぬよう全力で抑えれば捕縛だけは可能になる。
故に狩るならばその状態で山ほど人手を借りて、魔法に頼らぬ物理攻撃を執拗に当て続ける。今、爆発に巻き込まれて散った瓦礫で傷をつけたように、何度も何度も。
(だが、それに一体、何日必要になるだろう……?)
故にこの現状では、実現性は薄い。
それに、と、彼女はちらりとまた背中を気遣う。それからまた、前の二匹を憎々しげに睨む。
……あの二匹はあれからも変わらず、フィーの母と妹の顔を真似ていた。
いままでの会話も、全てそうだったのだ。その声を、表情を、フィーはずっと見聞きさせられている。
あんなに泣き叫んでいたのに、この子は途中から何も言わなくなってしまった。やむを得ないとはいえ、共にタリケラスの骸を運んでいるのもきっと良くない。彼女の精神は、モニススから見てももはや限界に思える。
気づけばニムドゥーラ湖の向こうにも、僅かに薄明の気配がある。これ以上の不毛な戦いに巻き込めば、疲弊して命果ててしまうのではないか。心は思うより命に直結している。
定命の命の儚さが、モニススに一抹、不安を過らせた。
「すまないね、フィーゼィ……」
話し掛けると、微かに耳だけが反応する。それに少し安堵し、モニススは決意を固める。
「あと少し待っておいで。やり方を変えることにしよう」
モニススは浮遊をやめ、近場の丸くて大きな岩の上に静かに着地した。すぐ隣には小さな岩積みの祠。
この祠はモニススの感覚でもかなり以前にこの村砦に生まれ、戦士としてではなく魔法使いとして、彼女の弟子となった子が遺していったものだ。
耳長族のくせに魔法使いの素質持ち。なかなか珍しい子だった。なのに、名前も顔も忘れてしまった事が少し哀しい。
それでも彼が砦にかけて行った妖獣避けの結界式を、モニススは綻びが出ぬよう大切に管理していた。
「さあ、少しぬしの魔法式を借りるよ……」
この結界式は地面の下に張った脈を伝って、村砦じゅうに張り巡さられている。この式自体はもう、目の前のコイツらの侵入時に破られてしまって役に立たないが、基礎の「脈」は使えた。
――〈お前は吾が腕 銀の蔦――
ふたえ みえ とえ 重ねり 埋めり
吾が道 塞するもの 除き、
吾が足 纏わるもの 縛れ……〉
耳障りな薄笑をやめない妖魔。
「ジョセ、視えるわね」「そうね、ハリにも視えるわ」
煽るように、まるでわざとらしく話している。この二匹は、生来の天賜として〈魔法族の眼〉が使えたのだろう。
故に今もこの四つの赤い目は、おそらくモニススの詠唱で揺らぎ、動き出した魔力の流れを見ている。
全くつけあがっている。目障りでしかない。
しかしいくら魔力が視えようと、モニススが隠した『流れ』までを感じ取れなければ、意味がない。
そしてその刹那―――、幽く空を照らしていた星と月明かりが、消えた。
モニススが自らの魔力で繋げて浮かせた、家々の瓦礫、山々の岩……――数多の、魔法に頼らずこの世界に存在する物質に覆い隠されたのだ。
その暗さに気付いた二匹が顎を上げた時にはもう遅い。
「残念だね? 詠唱はお前らの注意を引くための張り子――いや、二段階目に必要な工程のものでね……」
言うが早いが、まるで磁石に吸い寄せられる鉄のように、無数の質量を持った塊が妖魔どもに降り注ぐ。
避ける術などない。岩塊は「脈」を伝って集められ、村砦全ての天を埋めている。
岩の雨が降り注ぐ轟音と砂塵が視界を埋め、モニススはその一番の中心に、妖魔と妖獣、三つ分の核が光り続けるのを透かし視る。
全ての岩塊が降り注ぎきるや否や、モニススは叫んだ。先程唱えていた詠唱の、最後を塞ぐ、その一言。
〈―――縛固!〉
瞬間、大地のそこかしこを割り、太く細く銀の蔦がうねり上がる。
薄明も近い空の下、木の根が岩に根ざすように、岩塊を這い、隙間を塞ぎ、互いに絡み合いながら二重に三重に巨大な岩塚を縛り上げていく。
その封印が頂点に達する時、モニススはさらに弟子の遺した脈に力を流し、この蔦が消えず永久にこの地に留まるよう、内なる邪を決して外に逃がさぬよう、最後の詠唱をはじめる。
〈内なるものは逆棘、聲塞ぎ 氣塞ぎ 刻塞ぐものを乞いて――――》
夜明け前――動き出した大気の冷たさが、見るも無惨に崩れ去った、アビ士族の砦に朝の風を呼ぶ。
しかしこの地に目覚める者は、既に亡い。
魔女の長い長い詠唱が終わる時、その地は昨日までは確かにあった温もりを全て失い、永遠の静寂と封印の墓碑を抱いて、永眠りについたのだった。




