101.遠い日⑧ -とわに別たれ戻らず-
読了目安 6~10分
※今回ちょっと長いです。あと末尾に作品更新に関するお知らせ載せました。
小さい身体を抱く長身が、崩れゆく地獄の口から転び出てくる。石段を駆け下り、跳ね、民家の鱗屋根を擦って蹄の脚がそこに立つ。
フィーはその首にしがみつき、彼女と共に避難壕だった場所に視線を向ける。崩落した空間の分だけ地面は陥没し、その範囲は長屋敷の奥の敷地にまで及ぶ。その奥に眼をむけた刹那、家畜小屋だった残骸の辺りが、まるで間欠泉のように吹き上がり、周囲に岩と木っ端を撒き散らした。
顔めがけて迫ってくる岩片に思わず腕をかざしたが、それはモニススが展開した防御結界によって何事もなく弾かれる。
「そのまま埋もれていれば良いものを、ここからでも出てくるか……。嗚呼、吾の愛するこの地で、こうも好き勝手をしてくれようとは」
顔の脇でボソリと呟くモニススの声は驚嘆しつつも、触れれば切れる薄刃のごとき怒りに染められているように、フィーには聞こえた。
「お師匠……さま……?」
「ぬしたちは吾にとって意味のある命、意味のある場所だった。……可哀想な目に合ったね、フィーゼィ」
口調だけは飄々と慰められるも、見つめてくる夜の瞳にはフィーへの深い哀れみが宿る。初めて見るお師匠さまの真剣な顔に、フィーは戸惑った。
ただすぐに、モニススは赤く燃え立つ村砦の北側へと顔をむけるのだ。
「……行こうか。ここにいるよりは、タリケラスたちと合流した方が良いだろう」
「はい……」
しかし事実とは残酷である。
小さな聖堂前の広場を離れて、三十分程度。けれどフィーたちが駆けつけたとき、戦いの場所は広場から、村砦の中でも特に家々が密集する住宅地帯に移っていた。
――そして四体だったあの妖獣は、七体にまで殖えていた。
不死身だった妖獣はほぼ息絶え、崩れた家々の中で燃えていた。残った一、二体も、瀕死の状態にまで追い込まれている。時々びくびくと反射のように震えるも、もはや動けるほどの体力も無いようにみえる。
ただ、そこに勝利を祝う鬨の声はない。
――ほぼ全滅、だったのだ。
聞こえるのは燃え盛る炎のはぜる音と、村の異常事態にどこか遠くで騒ぎ鳴く、雪分ケや綿毛角たちの声だけ。妖獣に破砕された家々の隙間からは、押し潰された誰かの手。誰かの足。血。あたま。なかみ。からだ。
「そん、な……」
生存者がいないかと、モニススと共に確認して回ったが無駄だった。確かにわずかに生きているものもいたが、知識のないフィーにも解ってしまう程に瀕死であったり、助けて貰えるとわかって安心したとたん、事切れてしまうものばかりが横たわっていた。
それに彼女のお師匠さまも、毒と薬と医学に精通はするものの、昔から治癒系の魔法だけは使うことができなかった。それを、フィーも知っていた。
一体何をどこで間違って、こうなってしまったのだろう。
魔法が使えれば少しは違ったかもしれないが、もう……、と無念そうにモニススは目を背ける。
「……嗚呼、みんな……みんな駄目なんだね……」
しかし、その瞳は直ぐにフィーへと戻ってきた。たった一つ残った宝を包むように、冷たくて長い両指がフィーを包む。
「一度、山を降りようか。今はぬしの安全が優先だよ、そうしようね、フィーゼィ」
「で、も……」
でも。
それ以上の言葉はでない。瓦礫の散らばる道の真ん中、理解できてしまう惨状にフィーはへたり込んでしまう。目の前に、村砦の誰かのものだった女の子の人形が転がっている。
モニススがその小さい肩を支えた。
……ただ、その時である。
――――「フィーゼィ!?!」
路地の向こうから、野太い声が響いた。
あまりの驚きと喜びに、フィーの後ろ首と尻尾の毛はぶわりと膨らむ。それはこの場において、彼女にとっては千の救いに等しいような声だった。
「っ、父さま……!!!」
立ち上がって駆け寄る。彼もまた剣を腰に納め、片足を引きながら近付いてくる。血に染まった毛並みと、半月の瞳がフィーを迎えた。
抱き付くと汗と血と煙と土埃の臭いがして臭い、しかしそれよりフィーは、父がまだここに居ることの方が嬉しかった。
彼の腹に鼻先を押し当てて離れないフィーの後ろで、モニススが僅かに眉根を寄せる。
「タリケラス、その血は」
「……返り血です。己れは、少し足をひねったくらいで……。
……くそ、どうして。おめおめと独り、生き残ってしまった……」
タリケラスは憔悴しきった表情を隠すように開いた片手で顔を覆う。……ただ、連れていった筈のフィーがまだモニススの傍らにいることに違和感を覚えたのかもしれない、はたと面を上げた。
「先生……。……避難壕は、どうしました」
「……タリケラス、落ち着いて聞きなさい。妖魔だよ。
しかもかなり厄介な力を使う。ぬしたちの戦ったこの妖獣も、その使役獣のようだ」
話すモニススの声には、嫌悪が滲む。
「……眞に厭わしいものに目を付けられてしまったね。
あちらはもう、吾が来たときには残らず喰われてしまっていた……。……残ったのはフィーゼィだけだよ」
瞬間、タリケラスの全意識が壕のある方角に向くのが、耳と身体で見てとれる。しかしモニススの威圧とも言うべき鋭い態度が、それを止めた。
「――タリケラス、ここに護るべきものがまだ在るというのにぬしは死者を案じるのかな? いまだその元凶が、向こうを彷徨いているというのに」
それで彼は返す言葉を無くしたようだった。その、見たこともないような父のうつろな後ろ姿に、フィーはもはや不安を隠せなかった。思わず問いかけた声は、冷たく震えていた。
「ね、え、妖魔って……なんなの父さま……」
「すまないねフィーゼィ、説明は後だよ。
――とにかく、ぬしも、もうその身体では無理だろう。フィーゼィと共に山を降りなさい、この子の雪分ケが村砦の入り口にいるよ」
その言葉に、フィーは彼女を振り返る。
「お師匠さまはどうするの?」
「もちろん、吾とぬしたちの愛する地で好き勝手した落とし前を、アレらにきっちり付けさせるつもりだよ?」
そう話すモニススの口調は何時ものように穏やかだ。口許も優しく微笑んでいるが、しかし周囲に燃える焔の中、夜の瞳にだけは憎悪にすら近いような光が隠されている。
「フィーゼィ……とにかく今は、先生の言う通りここを離れよう。火の手も回ってきた。父も共に行く」
「う、ん……」
しかし、その刹那である。
「~~~~~~!」
声がした。
父娘の耳と顔が、信じがたい顔をして同時にその方向を向く。モニススが何ごとかと二人の変化をみつめる。それはフィーにとって、そしてきっと父タリケラスにとっても聞き間違えようのない声だった。
「たすけて! だれか! 父さま――!」
そこからは一瞬だった。タリケラスが風のように――ひねった足の事など忘れてしまったかのように、二人を残して猛然と駆け出していった。
「――父さま?!」「タリケラスお待ち!」
声は届かない。広い背中は見る間に遠くなる。
おいでフィーゼィ! と、乱雑に抱えられ、フィーもまたモニススと共に走り出した。父の背中を追う。しかし怪我をしていてもやはり士族長として鍛えた身体の速力は素晴らしく、モニススの脚ですら一瞬彼を見失う。
しかし声が、悲鳴が、タリケラスと、それを追うフィーを同じ場所に導き寄せる。
「――助けて、嫌! ぎゃあああ痛い、痛いよおおお――!!」
「お師匠さま、あっ、ち……」
途中から絶叫に変わったその声のありかを、フィーは恐怖に震えながら指差す。指差すことしか、無力なフィーにはできない。火の手を避け道を駆ける師の首に、彼女は祈るような気持ちでしがみつく。
けれど次の角を曲がる前に上がった父の悲痛な叫びは、モニススにもきっと聞こえた筈だった。
「――メーナィー……!!!」
遅れて二人が躍り出た、村砦のうねった太い道。
崩れ去った集会所の残骸の上に、あの醜悪な不死身の妖獣が横たわる。そして、その縞模様の毛が生えた触腕の中には、ぼとぼとと鮮血をこぼす小さな身体がある。もはや力もなく虚ろにこちらを見ている白黒の毛並みは――やはりフィーの双子の妹のメーナィリタスなのだった。
(――生きていたの、メーナィ!)
抜剣した父が、一心不乱に駆け寄って行く。その一時、父の向こうにいる見慣れた片割れの姿に気付いたのだろう、彼女の首が、僅かに動く。
三十メートルほど離れていても、目があう。
その一瞬は、気が遠くなるほど長かった。
囁くような唇が、彼女を捉えて「ふぃふぃ――――」と言葉の形を作る。そうして直後、メーナィは上から覆い被さってきた妖獣の裂けた口に顔を塞がれ――――そして霧散した。
骨も毛皮も、それ以上の血も残さず、文字通り霧のように跡形もなかった。彼女の着ていた衣服が――フィーの晴れ着と色ちがいの血濡れの服が――、バサリと捨てられ下の血だまりに沈む。
「あ、……あ……」
しかしフィーが片割れの死を死と認識しきる前に、さらに彼女の父にも不穏な影がにじり寄ってくる。
「あらぁ? あはは!! しってる! 貴方タリケラスね?」「さっき入り口を開けてくれた人が、死に際に考えてた人だわ! あはははは!」
妖獣の後ろから現れた、あの双子。
娘のため、妖獣に限界まで接近していたタリケラスに肉薄する。
二人は剣を構える彼を覗き込み、刹那ハリの顔が、蜃気楼に呑まれるかのようにぐにゃりと歪む。
現れたのは長い耳。黒地の毛皮に、鼻筋にのみ通る白。それはフィーの母、タリケラスの妻、二人の最愛の家族の顔だった。
タリケラスの表情が、固まる。
『タリケラス、助けて……どうか、どうか気付いて……』
吐き出してくる声まで同じだった。同時にジョセの顔もぐにゃりと変わり、母に良く似た顔立ちをした、耳長族の少女になる。
『父さま、たすけて。フィフィー、逃げて……』
フィーは胸の芯が震え、こみ上げる吐き気に言葉が出なかった。その刹那、モニススはフィーがへたり込むのも構わず地面に下ろし、
「タリケラス! 幻だよ、気をしっかり持つんだ!!」
呼び掛けにハッとする彼のもとへ飛び出して行く。
その時にはもう、全てが手遅れだった。
傷ついた脚で敵と距離を取ろうとする父の動きも、彼を救いだそうと師から繰り出された銀の蔦も嘲笑い、双子はそれぞれの片手をタリケラスに突き刺す。
虫の脚のように刺刺しい黒刃が、彼の背を突き破る。引き抜かれると、それが二人の手先が、そのまま変形した何かなのだとわかった。
「タリケラス!!」
「父……さま――?! うそ、嫌、やだ……!」
モニススは|崩折れるその身体に魔法の蔦を巻き付け、見知った二人の顔で微笑む妖魔から引き剥がす。
フィーは生ぬるい赤に染まっていく父に駆け寄って、激痛に身をよじる彼にすがり付いた。
血が、血が止まらない。
モニススは彼をフィーのそばに横たえ、『とうさま、とうさま』と顔を覗き込む彼女に苦しそうに言う。
「……。フィー、ゼィ……、さっきもそうだったけれども、吾はなにもしてやれないのだよ。……せめて側にいておやり」
それから優しく、鋭く、フィーの父にも呼び掛けた。
「――タリケラス、タリケラス! お聞き。この子のことは吾が面倒を見るからね?」
連なるその言葉の羅列は水面の上からぼやりと響くようで、聞こえているのにフィーの心はその意味を拒む。父が僅かに頷く意味さえ、考えたくなどなかった。
強くてなんでもできる、彼女のお師匠さま。
意味のある命と、ない命を区別するお師匠さま。
瀕死の人にしてあげられることは何もないのだと、首を振っていた師匠さま。
そんなモニススが、いまはもう痛みに呻くタリケラスに背を向け、守護者のようにふたりと双子妖魔の間に立ちふさがっている。
――それは、つまり、父さまは。
両手で傷口を押さえてもなお小さい手では足りず――あふれていく父の血のぬるさに染まりながら、フィーはこのまま時間が止まって欲しいと願った。
「いや、いや。とうさま……」
頭をふって、時を恨む。
その、瞬間だった。
「ふぃふぃー……」
ずっと浅く早い呼吸を繰り返し、震えながら苦悶していたタリケラスの表情がふと和らぎ、半月の瞳が虚ろにフィーを見た。
「ふぃふぃ、不甲斐ない父を、許せ……」
「父さま……、怒ってないよ、私、なにも」
「生きろ……自分を責めるな。お前は、優しい子だから、」
そうしてスゥー、と苦しそうに深く吸った息。
「……父、さま?」
それが吐き出されると……――もう、続きの言葉はなかった。次の呼吸も、なかった。
あっけなかった。それが彼女の父の最期だった。
その夜、エナタルの空に登った月は二つ。
一つは三日月に欠け、蒼く、閉じられた目蓋のようにどこか切ない弧を描いていた。
魂が欠け落ちるような苦しみと共に振り仰いだその月が、フィーの心に満ちる日は、今も訪れてはいない。
【お知らせ】
誠に勝手なのですが、本話をもちまして本作は9日間の休載に入らせていただきます。
あっ、ご安心ください! 「続き書くの疲れたー」とか、「もうネタがないぃ」とかではないです。
わたくし、主にX(旧Twitter)で自作の情報発信をしているのですが、本作、"終わりの始まりの日、魔女は『この子を愛してはならない』と言った。"は、この話を入れてあと5話でタイトル回収に入るのです。
で、せっかくなので、そのタイトル回収前に、Xに載せる本作の紹介漫画を描き上げたいなと……思いまして……モジモジ(。_。*)))
……そして、そう思いましたんですが、思いつくのが遅かったんですよね。
なので簡潔にまとめますと、
『作者の要領が信じられないほど悪く、いい感じのタイミングにプロモーションを間に合わせられなかったため、本編を止めてまでプロモーションをやりたいと言い出している』
というのが事由になります。
馬鹿なことしてますねー! 滅茶苦茶だァ! 睦永もそう思います。
でも描きたいんです……申し訳ございません……。
その代わり、ほんと、ちゃんと戻ってきますので、大変申し訳ないのですが次の更新までお待ちいただけると嬉しいです<(_ _*)>
ということで、勝手ながら次の更新は
2026年 2月8日(日) 22:10〜22:20の間くらい
になります。よろしくお願いいたします。
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