100.遠い日⑦ -新しい命-
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少女二人は、全く同じ顔をしていた。
おそらくは双子なのだろう。
ジョセと呼ばれた少女は、真っ直ぐで艶やかな灰髪を肩の高さで切り揃える。
もう独り、卵を抱く少女は、ジョセと同じ色の髪を編み、最後には二つ結びにして垂らしている。
人族よりやや小柄、耳がとがっているので魔法族に違いない。十代半ばほどに見える。
ただその膚は洞内を照らす魔石灯の、黄色い仄明かりの下にも明らかなほどに透き通って白かった。控えめで真っ赤な唇と、細くつり目の碧眼は、この辺りで見る魔法族たちとは系統が違う顔立ちだ。
それでも一言でまとめてしまうなら、とても美しい少女たちなのだった。見るものに一切の親しみを湧かせない、無機質な彫刻のような美しさがあった。
けれど、そんなことよりフィーは、自分たちの避難壕に縁もゆかりもなさそうな少女たちが紛れているという事実の方に、大きな戸惑いを覚えている。
「なに、してるの……大丈夫?」
問うも、見れば二人とも怪我をしている様子はない。しかし、ハリと呼ばれた少女は汗だくで、まだハアハアと息を荒げている。
その表情も、昨年の冬、フィーの母が双子のモニとラニを産んだ直後の、極度の疲弊と幸福の合わさった恍惚の表情にそっくりだった。
そしてなによりその腕が、大事そうに抱いた白いたまご。
(魔法族って、卵を産むのだっけ……?)
違う気がする。やはりわけがわからない。
フィーは混乱のまま目を円く見開いて、一歩二歩と彼女たちに近づいた。
「あな、たたち、だあれ……? どこからきたの?」
すると彼女たちは、まるで二人で一つの生き物のように揃いの視線でフィーを射抜く。かたかたと歯車で揃えているかのような、同じ笑みが同じ一瞬に浮かぶ。
「助けてっていったら、入れて貰えたわ」「ええ、ふふふ、簡単だったわ」
ぴったりと息を合わせて言葉を返してくる。
その異様なまでの揃い方にフィーがたじろいだとき、二人の唇はさらに信じられないような言葉を紡いでいく。
「……ねえ、でも、ぜんぶ食べちゃったと思っていたわハリ」
「ええ、まだ残っていたのねジョセ」
「でも、もうおなかいっぱいだから要らないわね」
「そうねえ、この子、命拾いしたわね」
(……え?)
聞き捨てることはできず、かといってその言葉だけでなにかを断じられるほど、フィーは賢くなかった。
いや、例え彼女たちが身体の下に巣のように丸めて埋もれいるものが、おそらくはこの村砦の誰かの衣服なのだとしても――そんなこと、信じられるはずもなかった。
だから震える声で、「あの、ねえ、ここにいた人たちは?」と問いをかさねたとき、
「――フィーゼィ、ここにいたのだね!」
背後から、安堵したようなモニススの声が駆け寄ってくる。振り向いたフィーは、思わずその長身の腹の辺りに飛び込み、再び二人へと視線を伸べる。
その間に、ジョセとハリはまた話し出している。
しかし今度はささめくように吟うように、互いを見つめ合っていた。その目と口許には、こちらのことなど眼中にないような情熱的な笑みが浮かんでいた。
『そうなのよ、私たちの王さまになってくれるかもしれない人が、この辺りにいるのよね』『そうね、気配がするの』
『どこからか匂いもするわ』『まだ弱い匂いだけど』
『見つけて、お迎えしなきゃ』『ええ、私たちを好きになってもらわなきゃ』
ジョセが言う。『ハリの、大事な王さま』
ハリが言う。『いいえ、ジョセの、愛しい王さま』
――『『だから、王様を迎えに行かなくちゃ』』
くすくす、くすくすくす……。
風も停滞する昏い穴蔵の底に、娼婦のように露出の高い、赤いドレスを身に纏った二人の笑い声が、響く。
全然話が通じない。
フィーは戸惑い、思わずお師匠さまを見上げる。
しかしてその視線の先にあったモニススの表情は、これ以上ないほどの嫌悪と軽蔑と警戒心とを浮かび上がらせていた。
「フィーゼィ、……これ以上コレらの言葉を聞くな」
どうしてそんなことを言うのだろう。
「お師匠さま、このお姉ちゃんたちは、いったい……」
至極当然の問いが、喉から零れる。
その刹那だった。二人の視線は再びスッと前を向き、フィーを抱くモニススを食い入るように見つめ出す。
「……あら、貴女、とても変わった見た目ね」「その魂もとても変わってる」
「「でも、大きくて美味しそうな魂ね……」」
その瞬間、洞内には震えて地を這うような声が響いた。
「――穢らわしい、忌むべきもの。
この地でこれ以上の狼藉は、吾の、そしてこの地を守護せしこの子らの誇りに懸けて許さぬ――!」
フィーが初めて目にする、モニススの激昂だった。フィーを背後に庇い、彼女は腕を一凪ぎする。
モニススは強い。
村の戦士たちは、みんな彼女に鍛えられて育つ。フィーもそれを横で良く眺めていた。
本来でも多少の詠唱は必要な筈の攻撃魔法も、彼女は時に一切の言葉を省いて放つ。
それは時に妖獣の斬擊をまね、鋭い牙を模倣した。
放ったその斬擊も四、五メートルほどの距離を一直線に疾走り、寄り添い合う二人の真ん中を正確に抉った。
「「ギャァァアアアアアァァァーーー!!!!!」」
それは、人の悲鳴以上のなにか――獣のような咆哮を帯び、次の一瞬で二人は傷口を抑え、痛みに身悶えている。
しかし、切断された腕から吹き零れるそれは、まるきり妖獣の蒼血と同じ色だった。その上、流血は見る間に止まり、盛り上がりだした傷口からは元と同じ形の腕が生え揃う。
同時に、二人の側頭部からは黒く蜷局を巻く片角が、まるで不可視のベールを剥がされたかのように出現した。何かの魔法をかけていたのかもしれない。瞳の碧も見る間に剥げ、血より赤く輝き出す。
「大丈夫ハリ?」「……ジョセぇ、アイツ酷いわ!」「ええ、酷いわ酷いわ! 頑張ったハリをこんな目に!」
「正体を表したな妖魔め……!」
取り落とした卵を拾い、抱き合う二人。
一方モニススは唾棄すべきものを目の当たりにするかのように、その睦まじさに嫌悪の眼差しを向け続ける。声が震えている。
「どれだけ喰えばそこまで再生する? 奪ったものも、全て削ぎ落として呉れよう……!」
モニススの激情に呼応するかのように、〈提げ石〉が淡い光を放ち出す。直後始まるモニススの詠唱に併せて、眼前には深山鹿の枝角と花の紋様で象られた魔法式の円陣が出現する。
〈夜に堕ちて染まらじ 火影に堕ちて燃えじ
貫き白、灰より出れば――〉
しかしそのわずかの詠唱の隙に、ジョセとハリは顔を見合わせている。フィーはそれを、モニススの陰から緊迫した眼差しでじっと伺う。
「いいえいいえ、邪魔はさせないわ、王様を育てて、もっとたくさん食べて、ジョセもハリも王さまの子を産むのだもの」
ジョセがお師匠さまを鋭く睨みだす。
その隣でハリが白い卵に頬を寄せ、何事か囁きだした。
「いい子、いい子よ、……さあ、母たちの望む姿で出ておいで。可愛い可愛い私たちの子」
直後、だった。
卵にぴしりと亀裂が入る。その罅は一瞬で広がり、中から
《キャーーイ、キャーーイ!》
と産声を上げるものがある。元の卵の大きさすら無視して、その巨体は見る間に狭い穴蔵を埋め始めた。
それは、身体の置き場を求めるようにギャギャギャギャ――と上げ出した音波で天井を――いや、避難壕全体を削り取るように、揺らしだした。
モニススはハッとして詠唱を中断し、足元のフィーを抱え上げる。
「崩れるかもしれない! フィーゼィ行くよ!」
地響きが足元から腹までを揺らす。その響きに、あの妖獣の喉から生まれる、割れるような重低音が共鳴する。
「お師匠さま、まって、まだみんなが……」
「舌を噛むから黙っておいで!! 耳も塞ぎなさい!!」
その腕に担がれ、フィーの身体は風のように疾り抜ける。穴蔵の闇の中、二人の胸の燐光に照らされて浮き彫りにされるものが、改めてフィーの心に入り込む。
服。服。血の海。血の臭い。服。服。血の海。靴。血の臭い。服。虚無。血の海。服。血の海。臭い。虚無。血の海。虚無。服。靴。虚無。虚無。服。虚無。服。虚無。虚無。虚無。虚無。虚無。虚無。虚無。虚無。虚無。虚無。虚無。虚無――。
(――そう、か。もうここには、誰もいないんだ……)
流れ去っていく衣服の中にフィーは一瞬見知った人の、あるいは友人のものを見た気がした。
幻だったのかもしれない。あるいはそうでなかったのかも知らない。
けれどその瞬間、翠の瞳は全てを腹に落とした…………いいや、落としてしまったのだ。
先ほどのあの双子の言葉が。
『どれだけ喰えば――』と激怒していたモニススの言葉が。
妖魔が何かを、フィーはよく知らない。
それでも、ずっと理解を拒んだ言葉たちが、ぐらついて固まることもなかった彼女の中の『真実』に楔として、あるいは鎹として、打ち込まれはじめる。
――そうか、ここにいるみんな、死んでしまったのだ。
――二度とかえらない。
――死んでしまったのだ。
ついに耐えきれなくなった地下壕の天井から、バラバラと岩が崩れ落ちはじめる。
防御結界とおぼしき魔法で、モニススが自分とフィーを覆いはじめる。
真っ白な砂ぼこりと瓦礫に覆われる。崩れる。消える。何も見えなくなる。
見えなくなる。
ここに命があった痕跡も。大事な人たちの生きた証も。全部、ぜんぶ――――。
涙も忘れていた。
その瞬間、フィーが懐に固く握りしめていたものは、こんなかたちで母から受け継いでしまった、「たからもの」の頭飾り一つなのだった。




