99.遠い日⑥ -婚礼飾り-
読了目安 5~7分
※⚠️血液の描写があります⚠️
それ以外でも、人によってはメンタルを締め付けに来ます。ご注意ください。
山脈の向こうに日は落ちた。
モニススの詠唱で組まれた魔法式が彼女の〈提げ石〉に繋がり、揺らめく文字とともに周囲を照らす燐光を灯している。
夕の陽が潰れば、頬を撫でるエナタルの風も冷たくなる。走る師匠の腕の中で、フィーは父親がモニススとしていた短い会話を思い出していた。
タリケラスが言うには、あの妖獣はなんの前触れもなく森の陰からいきなり現れて、この村を襲ったのだという。
砦にかけられている妖獣避けの結界印も忌避せず砦を崩し、子供を含め、数人が食われた。その巨体が這いずり動くだけで、村砦の家々も破壊する。
それ以上の勝手を阻止すべく戦闘がはじまったが、わかったのはアレが不死身で、切っても刺しても再生するということ。さらに厄介なのは、胴体の部分にどう見ても致命傷になりそうな深手を負うと、そこから身体が分裂する、ということだった。
やって来た当初は一頭だったというのだ。
「切れた分、身体だけは短くなる。だが、かといって能力に弱体化が見えないのが厄介で――」
父親はモニススに語る。
「あの音の攻撃、己れもアレに耳を片方潰されました。音の圧が尋常ではなく、耳を塞いで多少マシといった程度です。
――しかしやはり生き物である以上、飢えや渇き、疲れからは逃げられないはず。瞬時の再生は厄介ですが、今のところはあれが勝手に動き回れぬよう人数と手数で抑え込みながら、ぬるい攻撃を続けるのが唯一の有効打と踏んでいます……」
つまり消耗戦なのだ。互いの体力を削り、フィーたちは何人もの戦士の命を削り、どちらが先に終わるかの根比べをしている。
「お師匠さま」
「なにかな」
「……父さまたち、大丈夫だよね? 勝てるよね?」
「どうだろうね。こういうものは、一瞬の判断が未来を大きく変える。
……けれども、タリケラスは吾を、まずはきみの無事を確保する方に充てた。まだ少し戦局に余裕があると踏んでいるのだろう。まあ、それでなくても」
「なくても?」
「吾がいる」
たった一言。
そうだった、フィーだって知っている。このエナタルの地で『お大師さま』として敬われてきたこの魔女は、とても強い。
不敵に笑うその切れ長のつり目を見るだけで、フィーはほんの少し、不安が和らぐ気がした。
「――さて着いたね、フィーゼィ」
避難壕は、フィーの家の目の前にある小さな丘の中腹にある。元は天然の洞窟だったところに鋼鉄の戸を立てて、万一のときの避難場所としての機能を持たせた場所だった。
丘には背の低い木々が十数本。その扉を隠すように生い茂り、普段は子供たちの遊び場になっている。屋敷を飛び出す時も、弟妹たちがここで木登りをして遊んでいるのをフィーは見かけていた。
しかし今、辺りの家々には窓明かり一つ灯らず、風と木の葉のささめき意外、誰の気配もない。
不気味なほど静やかな闇に包まれた避難壕の丘の麓で、フィーは地面に下ろされる。
入り口までは五、六メートルほど。
「さあ、確かに送り届けた。明かりを分けるよ。――〈別たれよ枝角〉」
モニススが、詠唱と共に胸に提がる〈提げ石〉に触れると、そこからふわりと新しい燐光が浮かび上がる。それはフィーの胸の前辺りまで降りてきて、あとは彼女の足元を照らすように浮いたまま静止する。
「一人で行けるね? 中に入れてもらえるまでは見ていてあげるから、早く母上たちも安心させてあげなさい。
吾はタリケラスのところに戻らなければね」
「ありがとうお師匠さま」
穏やかな声に背中を押され、フィーは壕へと続く二メートルほどの高低差はある土階段を上りはじめた。
一段駆け上がる度、青白い光が辺りを照らし、階段に光と影の縞模様を作る。
(心配かけてごめんなさいって、マァマにも謝らなきゃ……)
それにメーナィリタスにも、他の弟妹たちやおんじたちにも……、きっと心配させてしまった。みんなにも謝らなきゃ。
そんなことを思いながら、彼女が階段を上りきった時だった。
「あ、れ?」
フィーは違和感に気付いた。
壕への入り口は三メートル四方ほど。木立に囲まれたその奥で、観音開きの鉄の扉が片方半開きになっていたのだ。
その、入り口すぐ前に、女物の服が一揃え落ちている。それは畳まれているわけでも脱ぎ散らかされたわけでもなく、地面に伏した人の姿から、そのまま本人だけを抜きとったような不思議な姿勢にしてあった。
その一点へ釘付けになった瞳が無意識に踏み込むと、裸の肉球はぺちゃりと冷たく濡れた感触を踏む。地面に染み込み、水より黒い……良く見れば血泥だった。
「……。」
「フィーゼィ?」
急に立ち止まった彼女の後ろ姿を不審に思ったのだろう。後ろからモニススの声が響く。けれどフィーは何一つ理解できないまま、返事をするという概念を頭からすっぽぬかしていた。
ふらりと前に進んだ。
だってこの服を、フィーは幾度となく見てきた。記憶の中の、甘くて優しい匂いと結び付く。
ぺちゃぺちゃと血泥を踏んで、赤に沈むそれをそっと拾い上げる。やはり見間違いようがない。
今朝、フィーが朝食を家族と囲んだとき。フィーに晴れ着を着せてくれたとき――――。傍らで微笑んでいたフィーの母親が、朝からずっと着ていたものだった。
ちゃらり……。
直後、美しい深紅と金のきらめきを放ちながら、その懐から何かが細長く零れ落ちる。
「……婚礼、飾り」
フィーの母はアビ士族の生まれではなく、村砦生まれの女たちのように力もない。戦うこともできなかった。
そんな母に、タリケラスが『長の家に伝わる代々の宝だ』として贈り、フィーの母も『貴女の父上と共に、母がこの里を支えても良いという証』と頬擦りして、ずっと大事にしていたのだ。
アビの家の家宝だった。
『長になればこの飾りは貴女が継ぐことになるのだから、もし何かあった時には、母よりも、まずこれだけは持って逃げるのですよ』
下の広場で行われる大祭のたびに冗談めかして、しかし口酸っぱく言われていた言葉がフィーの頭を殴り倒す。
後ろでモニススがまだ彼女の後ろ姿に声をかけていたが、フィーの耳にはもう、なにも届いていなかった。
吸い寄せられるように独りで中に入る。押し寄せる不安を塗りつぶすように思考が止まらない。
(大丈夫、だってマァマの服だけだもの、マァマはここにはいないし、血も誰のものかわからないもの、マァマはどこ? みんなと一緒に中にいる……?)
半開いた扉の隙間はちょうど大人ひとり分。
滑り込むと、闇は燐光に照らされた。
そしてフィーの顔は引き攣る。
……血の海、だった。
入ったとたん、壕のなかには生臭さと鉄臭さと、僅かな甘さがただよい、むせかえるようだった。
けれどやはり、誰もいない。その最中に、やはり誰かの衣服だけが、気配のように何人分も転がっている。しかしその光景は不気味でありながらも、やはり今のフィーの、唯一の希望になっていた。誰もいないのなら、みんなどこか別の場所にいるのかもしれない。
「――……っうううぅ~……はっ、あっ……」
と、その時、避難壕の奥の方から、誰かが息も絶え絶えに呻く反響を、フィーは確かに耳にした。ピクリと耳が震える。
「――頑張って、もう少し、大丈夫よ、愛してる。ほら、いつもみたいに……」
同時にそんな、喘ぐ誰かを励ますような声も聞こえてくる。
「だ、れ……?」
訳のわからなさに、震えながら呟いた。でも、はあはあと響いてくる息は苦しそうで、
(……怪我をしているのかもしれない……)
そう思った時には、握りしめていた母の飾りを大事に前掛けの内ポッケにしまっていた。奥に向かって駆け出す。
元々洞窟だったここは、奥へ奥へと斜めに沈み込みながらも、幾部屋かの大部屋や小部屋に分かれ分岐していた。
けれどどの部屋を覗き込んでも、そこには、血濡れの服と靴ばかりが散乱する。
奥に行けば行くほど不安と恐怖は募り、しかし近くなる声の分だけ、誰かがいるという希望がフィーの胸を染めた。
もうだいぶ、声は近い。
どうしよう、苦しそう、助けてあげなければ――――。
「――~ゼィ?! どこだい?!」
そこでようやくフィーの耳には、自分を呼ぶモニススの叫び声が滑り込んでくる。フィーはハッとして、彼女に声を返した。
そうだ、お師匠さまならきっと助けてくれる。
「お師匠さま! こっち! 誰か怪我をしてるみたいなの!」
『あっ、ああああ゛あぁ゛ああ~~――――!!』
同時に喘ぎが絶叫に変わる。
フィーはあわてて、そのまま最後の通路を折れた。分かれ道の左側から、オレンジ色のランタンの明かりがもれはじめ、吸い寄せられるようにその光の方へ転がり込む。
「――ああ、っ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「えらいわ、えらいわ。良く頑張ったわねハリ」
「ありが、とう……、愛してるわジョセ……」
そこにいたのは、赤子ほどの大きさはある真っ白な卵を一つ抱いて、互いを愛おしそうに見つめ合う、魔法族の二人の少女だった。
講堂ほどの大きさの洞の中、最奥の壁際で寄り添いあう。フィーが駆け込んでくると、四つの瞳が一斉に彼女の姿を絡めとる。
その色が一瞬、血よりも鮮やかに輝いていた気もしたが、きっと光の加減に違いないとフィーは思い直すことにした。




