97.遠い日④ -落日に崩れゆく-
読了目安 4~8分
二階の部屋は、空き部屋ばかりだった。
使わないと家が傷むといって、一部屋だけ寝室として使われていた場所に勝手に入り込み、フィーは窓の外を眺めていた。また時間が流れ、外の陽は微睡むように、ゆっくりと夕方の茜を纏おうとしていた。
するとそこへ、コツコツと階段を上がってくる彼女の気配がする。
「――ぬしという子は他人の家なのに、本当に遠慮がないねえ……」
ぼやくような諫めるような声は聞こえたけれど、責められる気配はない。彼女はそのまま部屋の入り口から、出窓に座り込んでいるフィーを楽しそうに眺めて話す。
「そういえば先日、フィーゼィの家を尋ねた折りにね、ぬしの家で料理番をしている子からサマロを貰ったのだけれど……食べるかい?」
聞いたとたん、フィーの子供らしい形の耳も尻尾もぴょんと跳ねた。
「んん! サマロ!」
それからフィーはお茶を入れて貰い、調理場のある部屋に入り込んで一緒にその特別な菓子を食べた。
「いつもは、自分のお誕生日の時にしか好きなだけ食べられないんだよ、コレ!」「うん? 他のきょうだいたちの誕生日ではどうなんだい?」「あのね、ひとり一個だけなの……」
小さな話題を重ねて笑う。しかし、そのうちモニススはふと調理台の前の大きな窓から外を眺め、
「――さて、フィーゼィ?」
と彼女を振り返った。
「今日は、もしかして吾のところに泊まっていくのかな? あまり帰りたいと言う顔をしているようには見えないしねえ。歓迎するよ」
その言葉に、フィーの顔はパッと輝く。けれど、次いで飛び出てきた言葉で、
「――もしそうするならば吾がタリケラスに文を飛ばそうねえ?」
フィーの顔は面白いくらい一瞬で曇った。
(家出、したこと、バラされちゃうんだ……)
ただ、その判りやすい顔の動きは、当然モニススにも読まれる。申し訳無さそうに苦笑された。その首には、いつのまにか"はけおねこ"が襟巻きのように丸まってくっついている。
「アビの士族はあまり格式にこだわらないけれどもね。それでもぬしは、仮にもあすこのお姫さまだ……。吾も、この地に身を置く身として、きみ達を愛するものとして、筋は通さねばなるまいよ」
そのあとに、特に特別な詠唱はなかった。ふたりがけの丸い食卓に座ったままモニススが指を振るうと、開け放した隣の書斎から紙が一枚、インク瓶がひと瓶、さらに羽根ペンが一本、ふわりと飛んでくる。
ただ、攻撃魔法以外で魔法を見たことのなかったフィーは、それだけで目を輝かせてその動きを追っている。
「お師匠さま、魔法でお手紙飛ばすの?? どうやるんですか!」
面白いものが見れるなら、お手紙を書かれてしまうのも良しとしようかな、とまで考えている。現金である。
「ん……? うんうん? ぬしは全く魔力の素養はないというのに、聞きたいのかい? そうかそうか、知見を広めたいだなんて、殊勝な心がけだね?」
……直後、やらかしてしまったのだとフィーは後悔した。
なにせその瞬間から異様なほどに目を輝かせ出したモニススが、(恐らくは)専門用語と説明全開で十分間にもわたる魔法理論の講義をやりだしたからだ。
終わったときには、幼いフィーの顔はスンとなっていた。
「うん? おやおやフィーゼィ、理解が難しかったかい? それならばもう一度、」
「ちゃ、ちゃんとわかったよ?!」
ひえっ、と慌てすぎて変な息を吸いながら、フィーは倒れていた両耳をお師匠さまへとむけた。
「――なんかえっとえっと、その水色の"提げ石"で魔法を込めて、特別な折り方で紙に路を教えて、それからえいって、あっちに投げたら鳥さんになるんでしょ!」
言いながら指差したのは、開け放たれた窓の外である。そこでフィーが違和感に気付いたのも、同じ窓の外だった。
モニススは初め、
「ちょっと理解が乱暴すぎるねえ、やっぱりはじめから――」
などと小さい食卓に身をのりだしていたが、すぐに、向かい合ったまま固まってしまったフィーの違和感に気づいたようだった。彼女もまた訝しげに、ゆっくりと視線を背後に向ける。
そうしてすぐフィーと同様に、住み慣れているはずの家から臨む景色の、ある一点に釘付けになってしまった。
◆
暮れ始めた橙色の日差しは、森の木立の中を仄暗く照らす。目前の木々が疾風のように後ろへ消えていく。
ハイ! ハイ! と声をあげながら愛獣に鞭を打ち、もっと早く走ってとお願いする。
フィーの後ろにはモニススが腰を据えている。
普段より重たいせいか、青毛の動きが鈍い。
「ごめんね青毛、頑張って――!」
二人が見たものは、煙だった。
モニススの暮らす森の家からフィーの暮らす村砦までは、〈雪分ケ〉ではじめから終わりまで駆け抜けさせても四十分程度はかかる。ただ、これは山道がつづら折りだったり、一部、崖道を通ったりの遠回りを繰り返すせいなだけであるため、直線距離だけならば十キロもない。
それでも平地から平地なら、様子なんて伺い知れない距離だが、あいにく一方は山の上だ。朝晩には、煮炊きに上がる薄い煙の筋くらいは見える。今は時間的にも、どこの村落でも夕餉作りの煙がたちのぼりだす頃。
……しかし、二人が目にしたその煙の色は、どう見ても異常だった。黒く灰色を帯びた煙が、風に乗って太く、長く、不吉な予兆そのものの顔をして棚引く。
その光景を、モニススと二階の窓から改めて確認してしまったフィーの中からは、不安が消えてくれない。
何が起こっているのだろう。
普通に考えれば火事だ。けれどそれ以上の何かが起こっているような気もしてならない。
「 マァマ……メーナィ、トーラィ、ハザウ、ナリャン、アーリャ、モニにラニ……」
母と弟妹たちの名前を祈るように呟いて行く。そして当然のようにその名に連ねて「父さま……」と呟いてしまったとき、フィーの中では何かがかちんと音をたてた。父にたいして初めての罪悪感がわいてくる。
こんなときに心配してしまうのだ。なら、やっぱり、
「お師匠さま……。私、帰ったら謝らなきゃ……父さまのこと、きらいなんて言って、ごめんなさいって……」
茫様と、そんなことを呟き出す教え子の後ろ頭に、モニススの浅い夜色の瞳は一瞬言葉を失ったようにも見えた。
「そうだね、フィーゼィ」
◆
――しかし、村落前の分かれ道に辿り着いた瞬間。
「嘘……だよね……」
フィーは、そんな希望を抱いてしまった自分そのものに、薄く絶望を覚えている。
こんなこと、あっていいのだろうか。
なんとなれば、そこから見える村砦と跳ね橋の景色のなかで――――高さ十メートルはある堅牢な石組の砦の一部が、まるでバターでも抉るように根本から削られ、崩壊していたのだ。
壁の向こうで上がる火の手。風に乗って薄く煙の匂いがする。昼間、門番を飛び越えて出奔した跳ね橋には誰の姿もなく、中途半端な高さに上がったまま止まっている。
青毛から飛び降りると、フィーは一心不乱に駆け出していた。
「みんなぁーーっ!!」
「待ちなさいフィーゼィ!!」
しかしそれは後ろから追いかけてきたモニススに、乱暴に羽交い締めにされ、制止されてしまった。
「やだ! お師匠さま放して!!
マァマが! 父さまが!
メーナィ、トーラィにハザウ、ナリャン、アーリャ、それにモニとラニが!! モニとラニは、まだ赤ちゃんなの!! それに、おんじにばあや達も!!」
暴れる蛇のように腕のなかでうねる。フィーの体はしなやかで柔らかく、そしてアビ士族の生まれであるためか、子供ながらに力も強かった。
そのうねりにモニススは苦戦している様子だったが、やはり『落ち着きなさい』と言って放してくれない。
「~~ヴぅヴヴう!! 放っ、しえ!!」
頭に血が上っていた。なりふり構わず自分の首の下に回された腕にガブリと噛みつく。
「うっ!?」
驚いたモニススの力が緩む。その拘束を力ずくで抜け、また走り出そうとするフィーの背中に、
「フィーゼッ、待ちなさい! っ、この、うつけもの!
――〈おまえは吾が腕、銀の蔦〉ッ……!」
モニススの魔法が閃いた。彼女の首に提げられた六角柱の大きな水色の石が黄昏の暗さに淡く輝き、何処からかしゅるりと伸びてきた銀色の蔦がフィーの手首足首を拘束する。
フィーの喉から「ぴゃっ!」と上がる悲鳴。けれど前のめりに地面へ顔をぶつける前に、滑るように駆けてきたお師匠さまの長い腕に支えられる。
「落ち着きなさいフィーゼィ!」
「だっ、やだっ! はなして! お師匠さまの馬鹿アホ間抜けぇー!」
思い付く限りの罵詈雑言を言おうとして語彙がないことに気付くフィーを毅然と睨みつけ、
「何も行くなとは言っていないよ、危険だからひとりで行ってはダメだと言っているのだ!」
それでも覗き込んで来る彼女の声には、怒りよりもフィーを案じるような心配ばかりが浮かんでいた。
「そばを離れないと約束してくれるならば、立ち入りも許可できる。それができないなら、吾が様子を見てくるから、ここで縛られたまま大人しくしていなさい!」
「ん、う……」
フィーはまた泣きそうになる。けれど今、そんな暇はないのはフィーもよく分かっていた。甘えたままではいられない。
逆立っていた後ろ首の毛が、耳と一緒にスンと下がる。了承の代わりに、罪悪感を抱いてうなだれた。
「……噛んで、ごめんなさい」「よろしい」
それから拘束を解いたフィーを抱え、モニススはひと飛びに跳躍した。高低差は四メートル、斜めに開いたままの跳ね橋の端に、瞬時にたつ。
高くなった視界の中、段々畑の向こうが煌々と燃えて光っている。フィーは震えながら隣の長くてひんやりした指を握り、その渦中へ共に走り出して行った。




