その言葉の残酷さ
読了目安→2~3分
血潮を湧かし、背中を預け、修羅場を共に駆けてきたイチヘイの相棒は、どうやら気が狂れてしまったらしかった。
そのきっかけを、作ってしまったのは自分である。少なくともイチヘイはそう思っている。
それは吐く息は白く、流れた血も凍るような、清冽な雪の果てのことだった。
大地を覆う白銀は、黒い空に浮かぶ二つの月を反射して白々と辺りを照らす。
凍って澄みきった夜は、焼け落ちてもなお燃えさかるちいさな村の赤々しさと、立ちのぼる灰と煙の焦げ臭さをいよいよ際立たせていた。
その頃にはもう、二人のもつ剣と槍、それからその手と身体には、この地で殺した多くの者たちの血が染み付いていた。
それは喩えでもあり、同時にこの瞬間の二人のすがたそのものでもあった。
けれどイチヘイにとっては、そんなのはずっとなんとも思えないような些細なことであった。
だって生きるためには、糧が必要だ。
だからその糧を得るために何かを護り、あるいは傷付けるのは、彼のなかでは当たり前の事だった。
そうして明日も、彼は何事もなく息をする……その隣で、共に育った相棒も同じように笑っていてくれれば、イチヘイはそれだけで良かった。
――――けれどその、トルタンダの月と雪の夜のなか。
揺れる炎と熱に横顔を照らされながら、艶やかな毛並みに覆われた彼の相棒、フィーゼィリタスは悲しげに笑い、泣き濡れた瞳でイチヘイを見つめてきたのである。
ボクはもう、ただの人殺しだよ。
けどもう、だれも殺したくない。
おかしいよね。今さらだよね。
でもボク、もうここにはいたくないんだ……。
……許して、くれないかな……?
涙と共に歪みそうになる表情を精一杯の笑顔で塗りつぶし、こちらを振り向く優しげで円らな翠の瞳。その瞳の奥に、ひび割れて今にも崩れそうなガラス細工の悼ましさが在るのを、イチヘイはただ感じ取ることしかできなかった。
絞り出すように浮かばせたその悲痛な笑みに、なんと声をかけてやれたのか……イチヘイには覚えがない。
――いいや本当は、咄嗟にはなにも、なにも気のきいたことは言ってやれなかったのだ。
同じ時を多く過ごし、些末な冗談も良く言いあったし、食べるものが少ないときは何時だって分けあった。
フィーが喜んだり悲しんだり、その感情と共に流される涙も幾度となく見てきたはずなのに。
それでも相棒のこんな、今にも消え入りそうな表情を初めて目にする彼は、どうしようもなく不器用だった。
『心に傷を負った相棒を慰めるため、魔法のような言葉を口にする』――――そんな、誰もが心動かされるような劇的なドラマは、剣士としては屈強なこの男がいくら刃を振るおうとも、けして生み出せはしない類いのものだった。
だから人の悲しみを前にして踏み込めず、どうしたらよいか判らず固まるこの不器用な青年が、その一瞬にして生まれ変わることなどなかったのである。
『……そうか』
武人としての才ならばいくらでも持つと言うのに、その瞬間、彼は本当に空虚な言葉しか唇の間から滑り落としてやれなかった。
…………だから、きっとそれが原因だったのだ。
それから傷付いた相棒はだんだんゆっくりと、滑り落ちるようにどこかおかしくなっていった。あの日瞳の奥にみたガラス細工の破片を、一つずつどこかに落として失くしていくようだった。
その苦々しさを、イチヘイは忘れられない。
それが、今から二ヶ月と十日は前の話になる。あれから彼は、ずっと悔いている。
たとえ相棒が人間ではないのだとしても、そんなことは関係ない。
フィーが血を分けた家族より深く寄り添い、命すら預け合ってきた大切な『相棒』であることは、これまでと同じく、何一つ変わることはなかったのだから……。
※本作では各話ごとに、『1分間に800~500字読み上げ』の計算で大まかにではありますが読了目安を記載しております。必要に応じて参考になさってください。