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1. 愛が消えた日

真っ暗な世界に、鈍い痛みが響いていた。

熱く、苦しく、どこが痛いのかもわからない。

だが確かに、身体が、心が、軋んでいる。


「……ぁ……けて……」

声にならない声を絞り出す。

誰かがいる。家族の声だ。

母の声、父の声、兄の声――懐かしい、愛しい、救いだと思ったのに。


「自業自得だ」

「見苦しい」

「早く消えてちょうだい」

音もなく地面が崩れ落ちるようだった。

なぜ?どうして?わたしが何をしたというの?どうして助けてくれないの?お願い――

心の叫びも届かず、声の主たちは遠ざかっていく。


涙も出ない。

目の前がぐらりと揺れて、世界が暗く、暗く沈んで――


*


「……変な夢」

ふと、目を開けた。

そこは暗い木の天井。埃の匂い、ひんやりとした石の床。

使い古された布の上に座る自分――エレノーラ・カーヴェルは、ぼんやりと首を傾げた。


あの夢は一体なんだったのだろうか。

不思議だなとぼんやりしていたらコンコン、と軽い音がして、扉がそっと開いた。


「おはよう、エレノーラ嬢。朝飯、置いてくよ。使用人に見つかるとやばいから、早めに食べて」

入ってきたのは、庭師の孫・リュカ。

年の割に落ち着いていて、無愛想だけど、優しい少年だ。

彼の手には包み布に包まれたパンと果実。

差し出されたそれを受け取り、エレノーラは静かに目を伏せた。


少しの沈黙のあと、彼女は言った。


「リュカ……お願い。わたしを、神殿へ連れていって」


唐突な願いにリュカは驚いたように目を見開いたが、彼女の瞳を見て、何も問わず、うなずいた。


*


エレノーラ・カーヴェル。

カーヴェル伯爵家の長女にして、かつては両親に深く愛されていた令嬢。

けれど今は、屋敷の端、納屋の一角にひっそりと住まわされる身。誰もがその存在を見ないふりをする。


どうしてこんなことになったのか――

それは、五年前に起きた「事件」から始まった。


その日は静かで、穏やかな朝だった。

リュカと共に庭の塀沿いを抜けていく途中、軽やかな笑い声が耳を打った。


「キャハハ、ジュリアン様ってば、お上手ですわ」

高く澄んだ笑い声。

彼女の名はマグリット。

五年前、事故で両親を亡くし行き場をなくした哀れな姿にエレノーラの父親が同情し引き取られた娘。

そして、その傍らには、エレノーラの許婚だったはずの男、ジュリアンが居た。

まるで恋人のように寄り添い、楽しげに朝の逢瀬を楽しんでいる。

リュカはすぐにエレノーラの視界を塞ぎ、小声で言った。


「……嫌な気持ちだろうけど、我慢してくれ」


けれどエレノーラはただ、静かに瞬きをした。

胸の奥に、何も感じなかった。

悔しさも、怒りも、悲しみも。彼に向けていた想いさえ、もう自分の中にはどこにもなかった。


そしてあと一歩で裏庭の門から出ようとした矢先ーー

邸の正面から、慌ただしく飛び出してきた三つの人影が目に入った。


「エレノーラ!どこだ!」

「お願い、返事をしてちょうだい……!」

「エリー!どこへ行った!」


父親が、母親が、兄が。

庭を走り回り、声を枯らして、必死に彼女の名を呼んでいた。

今にも泣き出しそうな顔で、かつてのようにーー

まるで心から彼女を心配しているかのように。


そっとエレノーラの顔を伺うリュカの瞳には、ほんのわずかにためらいが宿る。

けれど、エレノーラはただ、黙ってその光景を見つめていた。


遠くから自分の名を呼ぶ声に。

懇願するようなその響きに。


――何も、何一つ、感じなかった。


あの温かい手で、また抱きしめてくれたら。

そう願った記憶が、たしかにあったはずなのに。


愛しさも、怒りも、哀しみも、安堵も。

すべてが、まるで最初から存在しなかったかのように――


ただ一つ、確かなのは――

彼らは、もう自分の人生には必要のない人間になったということだけだった。


「……早く、行きましょう」

今、この場所に、自分の居場所などないのだから。


******

最後までお読みいただきありがとうございました。

エレノーラの今後も応援していただけるのでしたら、いいねや下の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎(全部入れると10pt)で評価していただけると、いろんな方に読んでいただけるようになるのですごく嬉しいです。

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