第一章 天才児と問題児と奮闘記(前編) その4
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「⑯番だあッ!」
ピンポンピンポーン!
『せェーッいィかい! 1906年にカミッロ・ゴルジと共にノーベル生理学・医学賞を受賞したのは⑯番「サンティアゴ・ラモン・イ・カハール」でしたー! ちなみにエントリーネーム「五十万は俺のもの!」さん、彼が唱えた学説は……?』
「んなもん『ニューロン説』に決まってるぜっ」
『さすがーッ!「五十万は俺のもの」さんは高校生のようですが、脳科学の方の大学を目指しているのかな?』
「えっ!? あ、ああ! そうっすね!」
守哉は今、『超難問! 東大生もさじを投げる二十択クイズ大会!』のステージの上に立っている。やはりその難しさと賞金の高額さもあってか、出場者も多く(ほとんど予選落ち)、また有名なテレビ局が主催しているだけあって、観客も多い。セットも豪華だ。
かなり順調だ。ついさっきの準決勝にて、教養のありそうなツルっぱげ大学教授を打ち負かしたところである。相手は舌打ちをし、恨めしそうに守哉を睨みながら退場していく。守哉はその背中にあかんべーをしながら、心の中で胸を撫で下ろした。
正直、危なかった。さっきは脳科学についての問題だったのだが、昨日までの守哉なら正解できなかった。今日、学校で脳木に叩き込まれた知識が、ここで役に立ったのだ。
「童顔教師にはあとで何かお礼しなきゃな……。たまたまだったけど」
そう呟いて、守哉は歓声に手を振りながら、控え室を目指す。後ろでもう一つの準決勝が始まっていたが、気に留めずに階段を降りた。相手がどんなやつだろうと関係ない。どうせ勝つのだから、顔を覚える必要もない。
守哉はステージ裏のコンテナの中で、椅子に座って邪魔者のいない冷房を満喫していた。
「ああ、やっぱ夏はこうあるべきだよな。あの童顔教師の感覚が異常なだけだよな~」
つい先ほどまで感謝していた担任の教師に、今度は悪口を垂れる生徒一人。
にしても、次で最後だ。このクイズ、「東大生もさじを投げる」とはよく言ったものだ。確かに難しい。いや、難しいというよりは「あらゆる分野を深く知り尽くす」ことが求められる。そして二十択。これは運などに頼れない、本当の意味での頭脳と頭脳の戦いだ。
きっと次の相手は準決勝のやつ以上にゴツいんだろうな、と相手の人相を予想する守哉。
「まさか、政治家とか出てくるんじゃねえかなー。いや、大臣とか……?」
想像をめぐらす守哉の背中に突然、わっ、という歓声が響いた。あまりにいきなりだったので、びっくりした守哉は椅子ごと前に倒れてしまった。
「あでっ! な、何だあ?」
その時、ドアが開けられ、大会スタッフが入ってきた。その顔はなぜか興奮気味である。
「『五十万は俺のもの!』さん! 決勝戦が始まります、さ、急いで!」
守哉はいそいそと動くスタッフに引っ張られるようにして、コンテナから出た。
「あ、あのっ、さっきの歓声は……!?」
「アレですか!? すごいですよ!『五十万は俺のもの!』さんも後に分かりますよ!」
言っている意味がいまいち分からなかった。という事はアレか? さっきの歓声を起こさせたやつが決勝戦の相手なのだろうか?
「その通りです! さあ、どうぞ!」
鼻息荒いスタッフに背中を押されて、まだ状況に思考が追いつかない守哉はふらふらと舞台へと姿を現した。真夏の太陽が照らすステージは、実際の気温より幾度か高く感じられるほど熱気に包まれている。
ステージ上には、派手な衣装の司会者、五十万と書かれた大きな板を持つお姉さん二人そして、スイッチのついた二つの台。そして、台の後ろに自信満々に立つ対戦相手。
「な……」
観客に手を振っていて、ちょうど守哉に背を向けて立っているその相手は、なんと女子高生だった。赤と白を基調にしたセーラー服、観客席からは下着が見えてしまうのではないかと心配させる紺色のミニスカート。確か蝉羽学園の制服だったと思う。そして、ファッションなのか、ピンクのキャップを被っていた。手には小さなポーチが提げられている。
まさか、子供だとは思わなかった。東大生でもさじを投げるほどの難問を潜り抜けることができるのは、せめて有名大学を卒業した知識人だと思っていたのに、今、守哉の目の前にいる少女は、大学生でもなければ、頭が良さそうにも見えない。
『さあさあさあ!「五十万は俺のもの!」さんも到着したことだし、このまま決勝戦へとうつっちゃうかーっい!』
うおお! と歓声がさらに大きくなった。
守哉の眼前の少女は、やっと彼の存在に気づいたらしく、ローファのつま先を軸にしてくるっ、と可愛らしく振り向いた。
露になった彼女の顔は、その首を傾げるしぐさが恐ろしく似合うほど可愛らしかった。吸い込まれそうなほど透き通った桃色の双眸、瞳とはまた違った味がある色の唇、肌理の細かい白い肌。それらで作り上げられた「儚い」というイメージを一変させる紅の短髪、それを際立たせるピンクのキャップ。彼女はまさに非の打ち所のない容姿を持っていた。
脳木遙、という美人、と呼ぶよりは別の魅力を持つ童顔女教師とのコミュニケーションを通し、ちょっとそこらの可愛い女の子には耐性のある守哉でさえも、これには勝てない。初めてこんなレベルの高い子に見つめられたなら、彼でも恋に落ちてしまう。
だが、残念なことに、守哉は彼女に初めて見つめられたわけではなかった。
「あっ。かみやだ」
「お前……! ゆん!? なんでこんなとこに!?」
予想外の出来事に、守哉だけでなく、会場も凍りつく。
「むっ。それはこっちのセリフ、ってやつだよ? なんでかみやがこんな頭良い人ばっかり集まるとこにいるの?」
遠回しに「お前、見るからに頭悪そうに見えんだけど?」と言われている。
「いやいやいや! 場違いなのはお前だよ! お前見た目も中身も馬鹿じゃん!」
「うっ。ひどいかみやっ! なにもそこまで言わなくてもいいじゃあんっ!」
ゆんが叫ぶと、会場全体からも守哉目掛けてブーイングが鳴った。もはや、観客は全員ゆんの虜になっている。さすがに言い過ぎたかな、と守哉も謝ろうとするが……。
「むう、さすがにさっきのは酷かったよな。ご」
「もう怒った! 守哉がそんな人だったなんて思わなかったよう! こうなったら、かみやを『ごーほーてき』にめっためたにしちゃうんだから! 司会のしかちゃん!」
『はっ、はひ!』
いきなりゆんの勢いに巻き込まれて、肩をビクッと震わせた司会もといしかちゃんは、「な、なんでしょう……?」となぜか腰を低くして答えた。
「問題を始めて! ゆんがかみやをけちょんけちょんにしちゃうからっ!」
『ははいっ! ……ええと、決勝戦も今まで同様、二十択クイズです。えと、何度でも答えることが可能で、先に正解した方が勝者ですっ』
テンパりながらもカンペを読んで説明をする司会者の後ろでは、対戦者同士のけなし合い(口ゲンカ)が始まっていた。
「かちーん。人が下手に出てりゃ好き勝手言ってくれんじゃねーか……!」
「ふんだっ。かみやだってゆんにバカって言ったもん。おあいこだもん」
「おあいこじゃねーよ。俺は一回しか言ってないのにお前は二回も言ったじゃんか。そ・れ・も、すごいお馬鹿さんの使うような擬音語でぇ」
「むむむ~! すっごいイライラするっ! もうかみやなんてだいっ嫌い! かみやなんてくっくさんにズタズタにされちゃえ!」
「はん。だから……」
『……あの~? もうそろそろ始めてもよろしいでしょうか……?』
「「早く始め」」「ろよ!」「てよ!」
『はいぃ! そうさせていただきますッ!』
なかなか息の合った二人の言葉と迫力に、やっぱ何も言わなきゃよかった、と思いながら、しかちゃんは問題を読み始めた。会場が静まり返る。
いける、と守哉は確信した。ゆんがどうやってここまで上り詰めてきたのかは知らないが、こんなにある意味語彙が豊かな女子高生だ。絶対に負けるわけがない。というか負けたら自分の中にある、何か大切なものが大崩壊してしまう気がする。
『問題です。こ』
「①ばんだあ!」
「ええええ!?」
スイッチを押したゆんの姿は、思わず尊敬してしまうぐらいに意味不明な自信に満ち溢れていた。守哉は唖然として、彼女を眺めていたが、はっと気づいた。
(――……! なるほど、こいつ、勘か。俺に勝てないと分かってて、運に身を委ねたのか……。へっ。しかも①番かよっ。テキトーにするなら、それはそれでもうちょいひねった所を取れよな。……残念だがゆん、この勝負、ヤケになった方が負)
『正解ッ!!』
ピンポンピンポーン!
「やったあ!」
どっ、と歓声が沸き起こった。誰もが彼女の勝利を望んでいたかのような称賛の規模である。その中で守哉だけが「えええええ!?」と絶叫していた。
「『こ』!? 問題『こ』しか読まれてないよ!?『こ』で全てが分かったの!? 千里眼!?」
「ふふふ。かみや~。見苦しいよ~?」
崩れ落ちる守哉の前に、ゆんが立ちはだかった。
「ゆん……。お前、何をした……?」
守哉は頭を上げて、彼女を見た。その時に彼女のスカートの中身が見えていたのだが、今の守哉にはそんなこと枝葉同然だった。
ゆんはその質問を待ってましたのごとく、しかちゃんのマイクを取り上げると、後にある偉人の名言として未来の教科書に載るセリフ(本人談)を笑顔で叫んだ。
「どんなに難しい問題にも、必ず答えはあるんだよ! だからそれを勘で当てれば良いわけ! 答えなんて電波が運んできてくれたりするものだよ!」
びしい! と親指を突き立てるゆん。
守哉の視界が、揺れた。あまりに意味不明で、あまりに突拍子のない……そう、思い出したぞ。こういうやつのことを、電波系っていうんだ。深夜のラジオで言ってた。
「こ、いつ……。なんてラッキー野郎だ」
歓声がワールドカップ並みに熱した会場で、一人の少年の偉大な頭脳は、生まれて始めてパンクした。




