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第一章 天才児と問題児と奮闘記(前編) その1

            1



「……行き倒れというんだっけ。こーゆーのを」


「ふにゃ。行き倒れじゃなあいよう……。おなかが空いて道端に倒れちゃったんだよう」


「文字通りっすね」


 今、守哉かみやはファミリーレストランの入り口の前にいる。辺りはすっかり真っ暗で、彼としては空腹極まりないことだし、さっさと店に入ってお気に入りのメニューを注文したいところなのだが……。


 ぐぎゅるるる。


「ふにゅう。おなか虫が鳴いているよ~」


 その入り口の扉を封鎖している物体があるので、入るに入られず今に至る。


 その物体はどうやら人間らしい。どうやら、というのはそれが茶色の布を被せられた丸い物体にしか見えないからだ。だが、ぐでー、と布の外に伸ばされた細長い二本の腕を見ると、あっこれ人間じゃーん、と認識できる。腕しか見えないが、声色から考えても、小柄で、女の子だと推測できる。


「あんさ、そこどいてくんない?」


 守哉は彼女の前にしゃがみこむ。するとその少女はいきなり、がばっ! と頭を上げ、守哉の顔を見た。


「っ……!」


 血色の悪い、痩せぎすな感じの顔だろう、と守哉は失礼ながら思っていた。だが、彼の鼻先数センチにあるそれは予想を大幅に反して、とても可愛い顔立ちをしていた。


 摘みたての桃のような色をした瞳に、長いまつげのぱちくりと開いた双眸、うすいピンク色が艶を持つ唇、健康的で思わず触りたくなる肌。髪型はショートで、色鮮やかな紅の髪一本一本がしなやかに流れているのには目が奪われてしまいそうだ。


 意識をしなくても、守哉は思わず息を呑んでしまう。目の前の少女は、顔のパーツ一つ一つがまるで宝石のように輝いている。それこそ、守哉自身が彼女と見つめ合っていることが、ひどく場違いなように思えてしまうほどに。それぐらいに誰もが見惚れてしまうような、美しさと呼べる可愛さがあった。


 そんな人から話しかけられるなど、守哉がまともに対応できなくても誰も責めはしない。


「あのね。おなか虫が鳴いているの」


「え、あ、うん」


「でね。おなか虫はヤギちゃんが泣き止ませなきゃいけないって言ってたの」


「や、ヤギ?」


「だからお願いがあるの!」


 少女は身を乗り出して守哉に近寄り、瞳を輝かせて彼を見た。被さっていた布が飛んでいく。彼女は白いローブにベージュの短いプリーツスカートを着ていた。


 もうその姿は天使同然だ。ちなみにこの時、守哉の心拍数は人体の限界をぶち抜いて、判断力なんて皆無に等しくなっていたのだが、眼前の少女はそんなこと全く気づかない。


「あ、わ、わわ、ぬね、なの、なっ、ナニ?」


 必死に口から発した単語はカタコトだった。


「ごはんをごちそうさましていいかな! いいよね!」


「えあ、う、お、おうぁ!」


 最後で声が裏返ってしまった。とってもかっこ悪かった。


「あ、ありがとう! ほんとにありがとうね!」


 少女は満天の笑みを浮かべた。まさに天使の笑顔である。守哉は自分が何を聞いて、どう返事したのかは覚えてはいないが、この無垢な笑顔を見て、一生このままでも生きていけるかも、と本気で考えていたりした。


 数十分後に、一生あのままで生きていればよかった、と後悔することは見ず知らず。






「んん~! あまあい! このパフェおいしいよ!」


 ゆんと名乗る目の前の少女は、それはそれは幸せそうな表情を浮かべた。見るものを癒し、油断していたら昇天させられる程の可愛らしさである。


「……」


「むぐむぐ……。~っ! きーん、てきた!」


 彼女は次にパフェの下の方のかき氷を口に運び、心地よい頭痛を楽しんだ。そのしぐさは、天使のいたずらのように、見るものを惑わす。


「……あんさ」


「はむ? なに? かみやも食べたい?」


 守哉の問いに、ゆんはその潤いきった唇からスプーンを引き抜き、それにアイスを乗せ、無邪気な顔で「あーんしてー」と差し出した。そんなことをされれば、並の男は卒倒する。


「いや、ハンバーグ食べたからいい」


 守哉は手をひらひらさせてそれを拒んだ。む~、と声を唸らせて、スプーンはしぶしぶ戻っていく。


 守哉は右手に握った伝票を見る。注文の欄にあるのはデミグラスペッパーハンバーグ洋食セット一つとイチゴパフェ一つ、それだけだ。これだけ見ると、普通のファミレスでの食事に思える。だが、彼が見ているのはそこではない。伝票の一番下、合計額の欄だ。




『計 九千円』




 最初、桁を数え間違えたかと思った。次に、小数点があるのかと探した。なかった。


 デミグラスペッパーハンバーグ洋食セットとイチゴパフェ、九千円するらしい。


 守哉は目の前にあるパフェを見る。普通サイズの、どこにでもありそうなパフェだ。それが八千四百円。残金、千円。一万円が、千円。二ヶ月分の生活費が、一週間分のそれに。


「いやああぁあ!!」


 守哉は頭を抱え込んで、テーブルにひれ伏した。


「えっ、ど、どうしたの!? おなか痛いの!?」


 ゆんはびっくりしてスプーンを落としてしまう。からん、と乾いた音が聞こえる。守哉はハッ、と取り乱していたことに気づき、冷静そうに見繕う。


「あ、いや。なんでもないんだ。気にせず食えよ」


「そ、そうなの? その割には、汗かいてるけど……」


「あー、熱帯夜だから」


「クーラー効いてるよ?」


「ハンバーグ食ったから」


「十分前に食べ終わったよね?」


「……むむ」


「かみや、ほんとに大丈夫? おなか痛いならトイレに行けばいいんだよ?」


 スプーンを拾ったゆんは心配そうな顔で守哉の顔を覗き込む。言えない。お前のせいで明日からの生活が危ういんだよ、とか絶対に言えない。


 それにしても、なぜ普通のパフェがこんなに高いのか。よく見ると高級そうな素材を使っているように見えなくもなくなくな……いのか? もしかしたら何かの間違いなのかもしれない、と守哉はメニューを手に取った。


『不況パフェ 八千四百円


      世の中の不景気に対する対策として、当店が行ったことは、逆に値上げしまくろう! という逆転の発想! ……ということで、チョコレートからカキ氷の氷、トッピングまで、超がつくほどの高級素材を使用! さあ、あなたもこれを食べて、不況を乗り越えよう!』


「逆に沈み込みまくるわあっ!!」


 守哉はメニューをテーブルに叩きつけた。ゆんが怯えたように体をビクッ! と震わす。


「か、みや? もしかして、おこってるの?」


「え!? あー、いや! ぜんぜんぜん怒ってないぜ!!」


 守哉は冷や汗の伝う頬を無理矢理に吊り上げて笑顔を作る。本当は今すぐにでも彼女を怒鳴り散らしたいところなのだが、こんな震える小動物のようなつぶらな瞳に見つめられて、誰が彼女を傷つけようと思う? 鬼でもきっと自分を殴りたくなってくる。


「そ、そう? ほんとに?」


「お、おうっ! 心配すんなっ」


 びしっ! と親指を突きたて、守哉は笑顔を崩さない。そんな彼をしばらく見つめていたゆんは、くすくす、と笑い出した。


「あははっ。かみやって何か可笑しいね。面白い」


「――……かはっ」


 砦は崩された。ゆんの笑顔、という名の核ミサイルは、守哉城の城壁に直撃。そこから爆風を撒き散らし、あらゆるものを薙ぎ倒していく。被害は深刻。どうやら『最心部』にまで到達した模様。資金的にも、その修理は不可能と思わ…………ん? 資金……? 異常事態発生。異常事態発生。『ラストハート』が自動的に修復を開始、ニュークリア・エンジェルの放射能に犯された部分が、何事も無かったかのように元通りに。


「ぶはあっ! もう少しでやられるところだったぜ!」


「えっ。何に?」


 紙一重の死闘を勝手に繰り広げた守哉は、現実では何もしていないくせに汗だくになっていた。しかも爆弾をぶち込んだ本人は、何事も無いようにパフェを頬張っている。


 守哉は「何でもっ」と彼女と目を合わせないように窓から景色を覗く。


「ふうん。……むむ、かみやー」


「おう、何だ」


 横顔で答える。


「食べ終わったから、おかわりしていい? あのう、店員さ」


「ダメ! ゼッタイダメ!」


 守哉はどっかのポスターのキャッチフレーズを叫びながら、ゆんの口を押さえた。


「む~! むあみや~!」


「よし、もうお腹いっぱいだよな? おなか虫は鳴き止んだよな? セレブなひとときを味わえたよな!? 満足だよな!?」


「むが~!」


 守哉は質問の嵐をゆんに浴びせるが、口を塞がれているので彼女は何も言えない。だが守哉にはそんなこと関係ない。


「よし、帰ろう! こんなクーラー効いてる場所にずっといたら夏バテしちゃうからな!」


 ゆんの口を押さえたまま、守哉は伝票を持ってレジに向かう。冗談じゃない。おかわりなんてされたら一週間分の生活費どころか、負の世界まで突っ込んでしまう。


 片手で少女を確保しながら、恨めしい目つきで店員を睨みながら伝票と一万円札をレジに叩きつける。「誘拐犯」、という言葉が恐ろしいほど似合う守哉君だった。






「ぷはっ! こほこほっ」


「あ、すまん。そんなに強く押さえてたっけ?」


「けほっ。レジでおつり、もらったときから息できなかったよう」


 そう言われれば、手持ちの金が十分の一になった時は狂ってしまいそうだった。なんか店員も可哀相な顔で千円札を渡してきたし。きっと『不況パフェ』は守哉たちが初めて注文したのだろう。彼は万人が承知で絶対に踏まない、脅威の地雷を踏んでしまったのだ。


 守哉は自分の掌を見る。そこにあるのは一週間分の生活費。だが、ここまでくると生活費ではなく、食費である。目をつけていたあの洋服も諦めなければいけない。


 はあ、とため息をついて、守哉はその場にしゃがみこむ。運が悪かった、それだけで片付けるには、ダメージが大きすぎる。


「かみや? どしたの?」


 ゆんが守哉の隣にしゃがみこむ。


「は、はは。いや、いいんだ。不幸なんて慣れてるから」


 守哉がゆんを見ながらそう言うと、彼女は「ん?」と不思議そうに彼を見た。


「むむ、かみやの言いたいことは良く分からないけど……。とりあえず、ごちそうさまでした! とってもおいしかった!」


 ゆんは大げさに音を立てて手を合わせた。守哉が腕だけを高く上げて「おう~」と手をふらふらさせると、彼女は彼の手を握って、立ち上がった。


「ねっ。かみや」


「な、なんだよ」


 その綺麗な目に見つめられて、守哉は赤面してしまう。


「何かお礼がしたいの! ゆんにできることない?」


「ははっ。いいよいいよ」


 守哉は苦笑いを浮かべた。こんな空腹で道端に倒れてしまうほどお金も持っていないような少女に恩返しさせようなど、彼はこれっぽっちも考えていない。


「それに、久しぶりに誰かとメシ食えたしな。楽しかったよ」


「え? かみや、家族いないの? 一人暮らし?」


 ゆんの言葉に、一瞬守哉の頬が引きつった。


「……お、おう。一人暮らしだぜ」


 家族のことには、触れない。


 と、そういう守哉の事情など全く知らないゆんは、一人テンションを上げていく。


「へえ、すごいね! ゆん、絶対一人暮らしなんてできないよ。ヤギちゃんとかがいっぱいゆんのお世話してくれてるから」


「そ、そうか」


 なんだっけ、こういう意味不明なことを言う人を何て言うんだっけ。


 守哉は空を見上げた。星が見えない。曇っているわけではないが。視線を泳がすと、ビルのディスプレイに時計が表示されていた。


「もう十時か……」


「えっ! 十時!?」


 ゆんは今まで握っていた手を離し、あわあわと焦りだした。


「ヤギちゃんに怒られちゃう! 早く帰らなきゃ……」


 ゆんはちらっ、と守哉を見た。どうやら、何かしらお礼をしないと気が済まないらしい。


「もういいって。ほら、早く帰らないといけないんだろ?」


 守哉は笑顔で彼女を見送ろうとした。ゆんも諦めがついたらしく、とぼとぼと守哉に背を向けて歩き出した。数歩行ったところで、ゆんは振り返って守哉を見た。周りに通行人が多く、今すぐにでも彼女を見失ってしまいそうだ。


「かみやーっ! また、会えるよねー!?」


 人ごみから手を上げて、ゆんが叫ぶ。守哉も同じように叫び返す。


「おう! またな!」


「うん! 今度会ったとき、お礼するからーっ!」


 性格に合わない、あまりの律儀さに守哉は思わず笑ってしまう。


「楽しみにしてるからなー!」


 変事は返ってこなかった。もう手も見えなくなっていた。


 そして守哉も、きびすを返して歩き出した。






 守哉は郊外の道を歩いていた。昼間は通勤する自動車が良く走る道だが、この時間になるとそれが信じられなくなるほどに人気が無くなる。辺りは静まり返り、吹き抜ける風が寂しさを連れてくる。


 守哉は空を見る。星が煌いていた。


 今日、守哉は久しぶりに「楽しい」という感情を味わった。もう忘れかけていた感情だ。


「楽しみ」も作った。こちらはもっと久しい。


 どちらも、彼の胸に温かいものを運んできてくれる。これをなんと呼んだか。「幸せ」だ。長いこと忘れていた。とても心地の良い温度だ。あの少女には感謝しなければいけない。


『ゆん』住所も年齢も、苗字さえも知らない少女。彼女が守哉を楽しませ、未来の希望まで作ってくれた。彼女は「お礼がしたい」と言っていたが、それは守哉の台詞である。


 その時、足元でちりん、という音がした。視点を空から地面に移すと、百円玉が転がっていた。守哉のものではない。どうやら地面に落ちていたものを守哉が蹴ったらしい。


「おっ。ラッキー」


 守哉はそれを拾って、ポケットに入れる。今日一日で多大な出費をしてしまったが、考えてみると安いものだ。値段が付けられないほどの価値を持つものはたくさんある。彼は九千円でそれを買うことができたのだ。とてもお得な買い物だった、と今になって気づく。


 例え所持金が千円前後だとしても、彼は生きていける。否、生きていないと果たせない約束をしたから、絶対に生きていかなければいけない。洋服なんて要らない。


 そんなことを考えつつ、守哉は鼻歌を口ずさみながら帰路を進むのだった。


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