第三章 学園と親友と救済記 その3
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「かみやっ。ここが蝉羽学園だよ!」
「へー。お前が通ってる学校にしちゃ、けっこう普通っぽいな」
私立蝉羽学園。都内でも端っこの方に位置するこの学園は、学業にしても部活動にしても特に光るところはなく、大会でもたまに優勝したりしなかったり、大体その成績は中の上。要はどこにでもあるような平凡で普っ通な高等学校である。と守哉は聞いていた。
こうして校門から見る限り、実際その通り。四階建て校舎が二つ、少し大きめの体育館。都内では珍しいが、まあ郊外近くだから不自然ではない普通サイズの運動場。噂に聞くとおりの普通の学校である。
今はホームルームの時間だと聞いた通り、そこらをうろつく生徒は一人も見当たらない。
ここで新しい学校生活が始まるというのに、かみやはワクワクもドキドキもしていなかった。なぜなら、ここでも守哉は「特例」の扱いを受けるかもしれないからだ。それは、彼が編入のテストもせずに転校できたことが物語っている。「特例」扱いは受けなければ守哉の経済力では学費を払っていけない。だが、それでも学校中で一人だけが特別扱いされるのは、他の生徒からしてみれば癪だろう。攻撃されるのは覚悟しなければいけない。
「かみや、こっちだよ」
ゆんに手を引かれて連れてこられたのは、校長室だった。豪勢なテーブルとソファ、棚には少しのトロフィーが豪華に飾られていて、壁には歴代学長達の写真が掛けてある。普通に、どこの高校のものと同じような部屋だった。だが、肝心の学長がいない。
「えっとね。先生に聞いたら、がくちょおじいちゃんはもう少しで来るそうだから、ここで待っててね」
「おう。お前はどうすんの?」
「えっへへー。ゆんは真面目だから、教室に行ってるよ」
彼女のステータスで唯一貧相な部分を堂々と張りながら、ゆんは鼻息を荒くして答えた。
「じゃあね、かみや。一緒のクラスになれるといいね」
そう言って、ゆんは校長室から出て行った。どうせ彼女と一緒のクラスにはなれないだろうな、と少々皮肉げに思いながら、守哉は学長の到着を待つ。
「じゃあ真堂君には、A組にいってもらおうかね。いつも賑やかで、いいクラスだ。すぐ慣れるだろう」
「……え?」
蝉羽胡蝶学園長の言葉に、守哉の口が不自然に動いた。ダンディな風貌を持つ胡蝶は、守哉の反応に不思議そうな顔を浮かべる。
「ん? どうしたのかね?」
「あ、いや……。なんつーか、その」
賑やか、ということはつまり一般的な普通のクラスになる。
上手く言葉をまとめきれず、守哉が戸惑っていると、胡蝶はこりゃまたダンディな笑顔を浮かべて、彼の肩を掴んだ。
「茜音学園ではつらかったろう。だが、もう心配しなくていい。誰がなんと言おうと、この私の手の届く場所では、君を偏見し、差別するなどということは絶対にさせはしない」
「なんでそれを……?」
胡蝶は守哉の肩から手を離し、テーブルの上に置いてあった封筒を手に取った。確か、脳木が書いてくれた内申の書類だ。
「これを見て、すぐに茜音学園へ抗議に行ったよ。おかげで君に会うのが遅くなってしまったが……。ああ、それにしても、君の前担任は素晴らしい教師だったようだね」
あの童顔教師が? 守哉は胡蝶が人違いしているのではないかと思った。
「「特例」扱い、それを妬む生徒による守哉君への陰湿な攻撃……。茜音学園での君の置かれた状況がどういうものか、詳しく書かれていたよ」
「童顔教師が……。そんなことを……」
「私はこんな悲劇は繰り返してはいけないと思った。授業の進みが遅いのなら、別の勉強に取り組んでくれていい。君は、もっと学校に通うことの楽しさを知らなければいけない。だから、一人孤独の「特例」クラスではなく、四十人の普通クラスに君を入れたんだ」
守哉は何も言えなかった。頭がいっぱいになったのか、それともすっきりしたのか、どっちなのか分からない。
胡蝶は再び笑顔を作って守哉を見た。
「希代の天才児ではなく、一人の高校生として、これに納得してくれるかね?」
また守哉は何も言えなかった。言葉が出ない。だから、ただ頷くことしかできなかった。
久しぶりに、涙がしょっぱいことを知った。
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守哉が立ち去った後、胡蝶はソファに腰掛け、テーブルに乗った封筒を手に取る。
胡蝶は封筒から一枚のメモ用紙を取り出すと、折り曲げられたそれを開いた。そこには、ある教師の筆跡でこう書かれていた。
『拝啓 蝉羽学園長 蝉羽胡蝶様
茜音学園からの異常なほどの待遇を受けたせいで、他の生徒から物理的、精神的な攻撃をぶつけられた彼は、その原因は全て自分にあると思い込んでしまっています。
自分が皆と違うから、自分が普通じゃないから。自分で自分を責めることの苦しさは、他にない苦しみだと思います。
ですので、蝉羽学園長殿にお願いがあります。そんな彼を救って欲しいのです。自分が他人から攻撃される原因は、自分にあるのではなく、茜音学園の「特例」扱いという過剰な待遇のせいだったのだと、気づかせて欲しいのです。
今後の彼に特別な待遇を与えるのではなく、一生徒として接して欲しいのです。たとえ天才的な頭脳を持っていたとしても、心は一介の高校生なのです。割り切っているつもりでも、心では底の見えないほどの闇を抱えているはずなのです。だから、だからこそ、
どうか彼に、自分が存在することの喜びを教え、心の闇から救ってあげてください。
彼を、心よりお願いいたします。 ―――敬具』
読み終えて、胡蝶はメモ用紙を閉じた。その顔は、まるで孫を見守る祖父のような優しい表情をしていた。
これを書いた教師は、たしか理系だと彼は聞いていた。




