第三章 学園と親友と救済記 その1
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目覚めの良い朝だった。使用人用ではあるが十分ふかふかなベッドは、目覚めた守哉にまた新たな眠気を誘う。だが、彼は寝ていられない。
神掛家から、自分の部屋としてこの二階使用人室の一室を頂いたのだが、これがほんと使用人用とは思えない華やかさだった。例えるなら、旅先の一流旅館の個室。とは言ってもワンルームなのだが。十六畳の部屋の中心にはソファとテーブルのセット。その前には四十インチの液晶テレビ。壁側には木目の模様には職人の趣が感じられるタンスとクローゼット、化粧棚。反対側にはシングルにしては大きめのベッドが。
何より目を引かれるのはベランダつきの窓から見える絶景である。都内の端にある住宅地とその先に広がる海は、都会ならではの美しさだ。
使用人用の部屋でこれだけの待遇。ならばゆんや彼女の両親の部屋はどんなものだろう。
両親、といえば、守哉はゆんの両親に一度も会っていない。爺やの話によれば、父親は会社の仕事で滅多に帰ってこないらしい。母親に関しては海外旅行に出掛けているそうだ。
守哉は壁に掛かった時計を見る。午前五時。この時間に起きているのはせめて朝食の準備に取り掛かる使用人ぐらいだろう。神掛ゆんは、まだベッドの中で寝息を立てていることと思う。だが、守哉は彼女が起きてくるまで待つ気はない。
さっきも言ったとおり、ここは都内でも端っこの方だ。都内の中心に行くまで、幾度も電車を乗り継ぎする必要がある。つまり、彼の通う茜音学園に遅刻しないように行くためには、いつもより早めにここを出ねばならない。この家は郊外のあの家より学園に遠い。
守哉は配布された寝巻きを脱ぎ、タンスからジーンズを取り出す。
「……あれ、何で蝉羽学園の制服が掛けてあんだ?」
Tシャツを取り出すために開いたクローゼットの中には、なぜか都内の私立蝉羽学園の男子用制服が夏服、冬服、合服と全てそろった状態で掛かっていた。
以前ここに住んでいた人の忘れ物だろうか。
守哉は不思議に思いながらも、Tシャツを取り、私服に着替えて部屋を出た。
「あら、守哉君。おはよう」
振り向くと、そこにはまだ寝巻きのままで、眠そうに目をこする明歌がいた。彼女とは部屋が隣なので、恐らくちょうど守哉と一緒のタイミングで部屋から出てきたのだろう。
「おはようございまっす、明歌さん」
守哉は笑顔で挨拶を返す。その後、明歌と一緒にダイニングへと向かった。
「守哉君って意外と早起きなんですね」
「うーん、そうすねえ。何気に規則正しい生活を送ってましたし。……それより、明歌さんはパジャマのままでいいんすか? 食事の準備とかしなくても……」
はっ、と気づいて、明歌は慌てて寝ぐせを手で押さえた。
「あ、あはは。ええとですね、一応私も学校に通っていますし、朝の仕事はナシってことになっているんです」
「え、大学生ですか?」
「大学ではないです。福祉系の専門学校です。ここの使用人を務めているのは、それの実地演習という意味合いもあるんです」
とは言っても、つまりはただのバイトなんですけどね、と明歌は笑う。へえ、と感心しながら、守哉は階段を降りる。
「そういえば、守哉君はなんで私服なんですか?」
「え……それは」
制服は駅のロッカーにぶち込まれてまーす、とか言えない。
「えっとですね……。……私服で寝たからですよ。きっと」
きっと、とか言ってしまった。自分のことなのに推測してしまった。あ、どうしよう。
「あ、そうですかー」
だが、明歌はごく普通に納得した。あ、この人天然だ。
「そ、そうなんですよ」
苦笑いでそう言って、守哉の頭に違和感がよぎった。あれ、なんでろう。さっきの会話、何かがおかしい気がする。
「守哉君? どうしたんですか」
「……。あ、いえ。何もないすよ」
そうお喋りを続けているうちに、守哉たちはダイニングへと辿り着いた。やはりそこにゆんやその両親の姿はなくて、爺やがテーブルの上に料理を並べていた。
「おや、明歌殿に守哉殿。おはようございます」
「おはようございます。爺や」
「おはようございまーす。おお、美味そうっ」
守哉はテーブルに並べられた料理を眺めながら、ヨダレを手で拭う。
朝食は豪華な食事ではなく、どちらかと言えば欧風の家庭料理に近いものだったが、それでも一品ひとつひとつが、普通の家庭ではメインを飾れるほどの輝きを持っていた。さすが料理長だ。守哉の脳内における物理法則を捻じ曲げただけのことはある。
守哉は急いで席に着くと、フォークとスプーンを手に握って、
「じゃあ、いただきま」
「あわわわわ! や、ヤギちゃん! たっ大変だよー!」
その時、ゆんが何やら慌てながら部屋に入ってきた。どうやら起きたばっかりらしく、その紅いショートヘアはくりん、と可愛くはねている。パジャマ姿も、うん、グッジョブ。
そんな間の抜けるような格好をした彼女は、すぐそこにいた明歌の袖を引っ張る。
「か、かみやが部屋にいないんだよう! 宇宙人に『あぶだくしゅん』されちゃったんだよきっと!」
アブダクション、といいたかったのだろうか。
え、あの、と明歌は言葉を詰まらせている。
「だって今日夢に宇宙人出てきたもん! そしてゆんが連れて行かれそうになったところをかみやが助けてくれたんだよ。そして、かみやはゆんの代わりに……」
何かゆんの顔が意味不明に険しくなった。
実際にそんなことが起こったら、ゆんを置いて全力疾走で逃げるだろうな、と心で思う守哉であった。ちなみに彼の存在は彼女に気づかれていないようだ。
「と、とにかく! 守哉を助け出さないと!……ん? ヤギちゃんどうしたの? ずっとあっちを指差して……」
やっと明歌の人差し指の先を見たゆんは、やっと守哉と顔を合わせた。
「あ……」
「おう。おはよ」
ゆんは守哉を見つめたまま突っ立っている。そして、やっと思考が追いついたらしく、口をゆっくりと開いた。
「すごいかみや! どうやってルパンの目を盗んで脱走したの!?」
「えええ!? 宇宙人の話は!?」
「……? なに言ってるのかみや? それは夢の話だよ」
「あれええ!? 俺の記憶が間違ってんの!?」
実際に間違えてはいないどころか、彼の記憶を疑う人間は脳科学界に一人もいない。だが、神掛ゆんという電波系ビビビ少女の前ではそんな理屈は通用しないのだ。
「? かみやが何をびっくりしているかは知らないけど、無事でよかったよ」
「いや、そもそも一歩間違えたら無事じゃ済まない事態すら遭遇してねーし」
いや、昨日遭遇してたな、と守哉は苦笑い。
「むむ、おなか虫が鳴きそうだよ! じいやん、ご飯食べるねっ」
ゆんはとてとてー、と歩いて守哉の隣に座ると、彼のほうを向いて天使のような笑顔を浮かべた。
「えへへ。かみやー、おはよう」
ここで守哉がフレンチトーストをくわえたまま、かっちーん、と硬直してしまっても、誰も彼を責めることはできない。
その笑顔に見つめられて、二十秒ほど経ったところで、ゆんに「どうしたの? トースト冷たかったの?」と心配そうに声を掛けられるまで守哉の思考は停止していた。
「はっ! お、俺は一体……!?」
現実に戻ってきた守哉は、なぜか汗だくだった。無理もない。彼の中ではニュークリア・エンジェルが、再びラストハートに侵入しかけていたからだ。
「くっ。一度ならず二度までも……!」
相変わらずゆんは不思議そうな表情で守哉を見ている。守哉のほうも、彼女にだけは絶対「変な人」だとか思われたくないので、「あっ、あははっ。おはよう! ゆん!」と壮絶な苦笑いで挨拶を返した。パッと見、変な人である。
「……むむ? 何でかみやは私服なの? 制服は?」
「いや、だから私服で寝たん……」
言いかけて、守哉はあることに気がついた。先ほどの違和感の正体だ。
そうだ。よく思えば、守哉は一度も、ゆんや神掛家使用人に自分の制服姿を見せてはいない。だから高校生だということも知らないはずだ。いや、外見から「だいたい高校生」と分かったとしても、この前ここに来た時、彼の荷物に制服はなかった。――つまり、守哉は制服を着ていなくて当たり前のはずだ。彼女達の言動は、それに矛盾している。
「……なあ、ゆん。何で俺が高校生って分かったんだ?」
え? とドーナツを食べる口が動きを止める。
「そして、俺に着替える制服はあったか?」
「――……っ!」
ゆんが目を見開く。ビンゴ。これは緻密に計画された、真堂守哉拉致事件だったの――。
「かみやー? 何言ってるの? 制服ならクローゼットの中にあるはずだよ?」
「ふん。そんなこと言っても無駄だぜ。なぜならな、クローゼットの中には俺のTシャツと蝉羽学園の男子用制服しか……」
……あれ。「男子用」制服……?
そういえば、ゆんの制服って確か、蝉羽学園の制服だったよな、と守哉は思い出す。
(あれえ? それって、もしかしてのもしかして?)
「そうだよ、ちゃんとあったでしょ? あれが今日から守哉の制服だよ」
ゆんは笑顔で答える。
なるほど。そうか。守哉は唐突に理解した。
自分が、ゆんの学校へ転校させられようとしていることを。




