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第二章 電波と龍と遭難記 その4



            4



「かみやー。ここどこー?」


 雪を掻き分け進む守哉に、後ろを歩くゆんが叫ぶ。


「……やべえ。遭難した……! 本気でやべえぞ。今日の食事のメニューから考えて、何もしなくてもあと一時間分のエネルギーしかねえ」


 守哉の顔は真っ青だった。あの後、雪の上に不時着した守哉とゆんだが、お互いケガはなく、それはそれで安心した。だが、そんな彼らに新たな問題が訪れた。


「かーみやー。ねえー、ここどこー?」


「知るか。分かるのは、ヒマラヤ山脈のどっか、ってところだけだな」


「えー。じゃあ、どうやったら帰れるのー?」


 守哉に追いついたゆんが、彼の横に並んで歩く。


「さあな。こうやって下ってりゃ、すぐ帰れるさ」


 と心配させないように言ってはみたが、正直、帰られる可能性は低い。何たって世界一の標高を誇る山脈の積雪部だ。季節を考えても、相当高い場所にいることは確かだ。日が暮れる前に帰るのは不可能と思われる。


「……かみやー。待ってよー」


 振り返ると、ゆんは結構後ろの方で立ち止まっていた。そこまで行ってやるのも面倒なので、守哉はその場で停止する。


「どうしたー? 早く来いよ。待っててやるから」


「もう歩けないー。寒いよお」


 そう、守哉たちが着ている服は夏物だ。マイナス二十度を下回る場所で歩き続けるには、あまりに無謀な装備である。


 はあ、とため息をついて、守哉はゆんの元へと走る。そして自分のカッターシャツを彼女の肩に被せた。


「かみや……」


「ごめんな。万一のことを考えて、耐寒用の服も持ってくるべきだったのに。全然効果ないけど、それで我慢してくれ。ほら、行こうぜ」


 上半身がインナーだけになった守哉は、身震いもせずにゆんの手を引く。






「あいたっ」


 声と共に、ゆんの足が止まり、守哉の手が引っ張られた。前屈みの彼女の足を見ると、サンダルから露出した指が赤く腫れてしまっていた。


「かみやー。いたいよー」


「ずっと雪にあたってからな。……よし」


 守哉はゆんの手を離し、その場にしゃがみ込んだ。


「それじゃ歩けないだろ? ほら、乗れよ」


「え、でも。それじゃかみやが辛い……」


 いいから、と守哉は背中をゆんに向けた。彼女がしぶしぶ彼の背中に乗ると、守哉はばっ! と唐突に立ち上がった。


「わあっ!」


 背中のゆんが思わず可愛らしい声を上げる。


「へっへー。びっくりしただろ?」


 守哉は笑顔をゆんに向ける。もう、と思いながら、ゆんはふとあることに気づく。


「かみや……、体、すっごい冷たいよ?」


「あー。大丈夫だいじょーぶ」


 あることを悟られないように、守哉はゆんと顔を合わせずに答える。






 守哉たちは黙々と進み続けているが、未だに雪の中。吹雪も止む気配がない。


(……そろそろ、ヤバくなってきたかな)


 守哉は虚ろな目をこする。彼の計算していたエネルギーはもうとっくに枯れ果てているはずである。つまり、いつ倒れてもおかしくない状態なのだ。


 ふいに、背負っているゆんが体を起こした。


「あ、あれ何かな。かみや」


 彼女は守哉の背中から降りて、吹雪の中を小走りで進んでいく。


「あんまり遠くに行くなよー」


「うん、すぐそこだから!……あっ、かみやーっ! 食べ物落ちてたよー!」


「こんな雪山に!?」


 ゆんは小さな箱を持って帰ってきた。パッケージには英語しか書かれていないが、スプーンのイラストがついているから、彼女は食べ物と認識したらしい。守哉は、この箱の正体を知っていた。


「箱に入ってるから、お菓子だと思うけど……」


「ああ、これな、レーションて言って、非常食みたいなもんだ。たぶんパトロールしている警備員か登山客が落としたんだろう」


「へー。れーしょんっていうんだ。おいしい?」


「いや、非常食だからそんなに期待はできないな。……でも、お前すげえな! よくこんなもの見つけたよ!」


「え、えへへ~。かみやの役に立てて嬉しいな……」


 ゆんは頬を赤らめながら、下を向いて呟くように言った。


 それに気づかない守哉は、さっさと箱を開け、中身を取り出す。よくダイエット食品として売っているスティック状の食べ物だった。


「よし。そのままでも食べられるタイプだから、座れる場所で食べよう」


 守哉がおんぶしようとしゃがみ込むと、ゆんは胸を張り「大丈夫」と言って歩き出した。






 守哉とゆんは小さな洞窟にいた。


 ゆんが意味不明な自信を持って守哉の手を引いていったところ、ここに辿り着いたのだ。本当に、恐ろしいほどの強運である。


 それにしてもここは良い環境だった。入り口は風上だから中に冷たい空気が流れ込むことはなく、誰の落し物かライターがあったので、それを使って焚き火をすることができた。


 食事を終えた二人は、吹雪が止んだら麓を目指そう、と今はここに駐留している。


 守哉は少ない焚き木を、無駄遣いしないように細かく折ってから火に抛る。それを見て、焚き火を中心に向かい合って座っているゆんが彼に話しかけた。


「……かみや、ごめんなさい」


「あん? 何がだよ」


 守哉はそこらに転がっている石を焚き火の周りに置きながら答える。


「ゆんの所為で、こんなことになっちゃって」


 守哉はゆんを見る。被っている守哉のカッターシャツの袖を握り締めながらうずくまる体は震えていて、俯いた顔は今にでも泣き出しそうだった。


「ゆんが、わがまま言ったから。それで、かみやが辛い思いして……」


 頭がいっぱいになって、上手く言葉にできないでいるようだ。


 守哉は本日一番重いため息をついた。なんだこれは。こんなの、こいつらしくないだろ。


「ていっ」


「あたっ」


 ムカつくから木の枝で頭をこちん、と叩いてやった。


 ゆんは呆気にとられた顔で守哉を見た。その桃色の瞳は充血し腫れていて、艶のある綺麗な肌の頬は赤くなっている。これが、あの日あの時出会った少女だとは、全然思えない。


 あのな、守哉は立ち上がった。


「言っとくけど、お前に迷惑かけられることぐらい承知でこっちは来てんだよ。何今さら謝ってんだっつの」


 今の彼女には、辛い言葉だった。ゆんは無意識に俯いてしまう。


「だけどな」


 守哉は焚き火をまたがってゆんの目の前に立つと、彼女の頭をしっかりホールド。彼女の頭を無理矢理こちらに向かせて、顔を思いっきり近づけた。


「ひゃうっ」


 少しでも動かせば鼻と鼻が接触してしまうほどの至近距離で、守哉は続けた。


「それでもいいって思って来たんだ。これだけのデメリットがあるとしても良いと思えたんだ。つまり……。……なぜか分かるだろ?」


 いきなり疑問形だった。


「わ、わかんにゃい……」


 むぎゅーっ、と頭を固定されたゆんはおかしな発音で返事をする。それを聞いて、守哉は頬を赤らめた。どうやら言わずとも察して欲しかったらしい。


「……いいか、一回しか言わねえからな。リピート不可だからな。えっ、もう一回言って? とか通用しないからなぅあ!」


 最後は声が裏返ってしまった。それも踏まえてのあまりの迫力に、ゆんはただこくこくと頷くだけしかできない。守哉の手の所為で、それさえもあやふやだが。


 守哉は大きく深呼吸すると、彼が今ここにいる理由を大きな声で言い放つ。


「そ、それでも! お前とならどんなことも楽しくなるって思えたからで! つ、つつ、つまり……」




「お嬢様! ご無事ですか!」




「え、え?」


 守哉は状況の展開に全く追いつけなかった。


 なんと二人の目の前に爺やが突如出現したのだ。


「あ、じいやん。だ、だいひょうふだよー」


 ゆんは爺やに手をふらふら~とさせる。どうやって見つけたかは知らないが、爺やが助けに来てくれたようである。ゆんに発信機でもつけているだろうか。


 ゆんを見つけて嬉しいはずなのに、なぜか爺やは硬直していた。


 しばらく考えたあと、守哉はその答えに辿り着いた。ああ、なるほど。


 人気のない洞窟、二人っきり、そして守哉はゆんの頭を持ち上げ顔を近づけている。


 そして、守哉が上着を脱いでいたらもう完璧。あは。


「ぎゃああっ! ち、違うんだ違うんですっ! 真堂守哉十六歳、決してそのような出来心下心は……!」


 守哉は必死で爺やを説得する。だが、その誤解を解くにはあまりに場面がアレすぎる。


「か、守哉殿……! その、生死を彷徨う環境で、緊張して頭が興奮状態になりがちだとしても、その矛先が、お、お嬢様とは! りょ、了承は得られたのでございましょうか!?」


「うわーん! 俺そんなに可哀想な人間じゃないっす!」


 泣きながら弁明を続ける守哉を、ゆんはぽけーっ、と見ていた。


「……あの、かみや? そのう……さっきの続きは?」


 終わった、と守哉は確信した。


「つっ、つつ、続きとは――ッ! か、守哉殿ォオ!」


「かみや? あれ、なんか燃え尽きてる」


 最後の試合をやり終えたボクサーのように真っ白になりながら、守哉は思っていた。


(……こりゃ、なかなか大変な居候生活になりそうだぜ)

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