プロローグ
プロローグ 「ある少年の日常」
「金銭的なトラブルならアイコムが解決! ただしそれに見合うお気持ちはいただきます! どうぞ、アイコムをご利用ください!」
夏の日差しがさんさんと照りつける東京都内の駅前大通り。そこで世間的評価を落としかねないキャッチフレーズを叫びながら、若い女性が金融会社のビラを配っている。
「アイコムなら、反社会的な計画を目論む方でも資金的に全力でサポートさせていただきま……ん?」
ふいに、奇妙なものを見つけた彼女は、最後まで言ってしまえば本気で危なかった問題発言を中断し、何人かの野次馬が集中しているそれに意識を傾けた。
車線の反対側で、追いかけっこをしている人達がいる。いや、それ自体に奇異な点はないのだが、その風貌があまりにも場違いだった。
まず、逃げている方は高校生ぐらいに見える一人の少年だ。脱色した髪に少し焼けた肌、Tシャツに七分のジーンズ……右手に握りしめている数枚のお札を除けば、こっちはどこにでもいるような普通の少年だ。問題は、彼を追いかけている三人の大人達にある。
「おどりゃああっ! まてやクソガキぃあッ!」
「うっせ! いいじゃんか一万ぐらい! シマの貧しい一般人に恵んでくれてもさあ!」
颯爽と逃げ回る少年をものすごい迫力で追い回す彼らは、車道側から坊主(抗争の傷跡ですぜと言わんばかりの古傷あり)に派手な和柄カッターシャツのゴツい男、次に金髪リーゼントにタンクトップの狐顔の大男、最後は刺青だらけの上半身を真夏の太陽にさらす剃りこみ男と、どう見てもこんな真っ昼間に活動しない人達の姿がそこにはあった。しかも最後の人は、……あれ? さすがに摸擬刀だよね? 右手で振り回してるそれ。
「ヤクザ騙したことを後悔させてやるらあっ!」
「うわーん話が噛み合わなーい! つか本当に万札一枚を二枚にできるなら、今頃俺は金に囲まれた生活を送ってるわ! 現実にはなあ、そんなに上手い話ねえんだっつの!」
大声で一方的な彼らの会話を聞く限り、どうやらあの少年が怖い人達から一万円札を騙し取ったらしい。チャラそうな見た目の割に、なかなか度胸のある少年だ。さすがに拳を握って立ち向かう程の無謀少年ではなかったようだが。
「はあ、はっ! くそっ!」
怖い人達が息を切らして止まり、その場で前に屈む。強そうではあっても、所詮は不健康な生活を送っている夜型人間の彼らだ。現役高校生の体力には勝てない。
「はふっ、は、ははっ! やっと諦めやがったか」
追い手が止まったことに気づいた少年は、立ち止まって彼らを見る。そして白い歯を剥き出した、どこか可愛げのある凶暴な笑みを浮かべて、こう言い放った。
「ひとーつ! アドバーイスをしてやるぜ! もう二度と騙されないように、小学校で世の中の常識を学んできた方が良いぜいっ!」
ブチィッ! 少年のその言葉が、一度は消えかけた怖い人達の怒りの炎を再び滾らせた。
馬鹿だ、とバイトのお姉さんは肩を落とす。あの子、悪気はなさそうに見えるから、多分素直な気持ちで言ったのだと思う。けっこう人の気持ちには鈍感な子なのかもしれない。
「ふははははっ! 義務教育をきっちり受けて来い……ってアレ? なに? なんすか、え? なんか最初より元気になってないですかあ!?」
「うおりゃああっ! ナメんなやあガキぃ!!」
と、一層迫力の増して怖くなった大人三人に襲い掛かるように追い回されながら、少年は脱兎のごとく走り出し、ついには女性の視界から消えていってしまった。
都心郊外の工場が立ち並ぶ一角に、労働従業者の寮だった廃屋がある。今では行くあてのない人間や、チンピラの巣窟になっているその一室に、ここに住むには若すぎるように見える少年がいた。
前の非正規住居人がボロボロにしてしまったキッチンは外に出してしまい、広々となった1DKの部屋。その壁際には何時、誰に盗まれても差し支えないぐらいの備品が転がっていて、配線をいじって電気を回させた蛍光灯が照らす部屋の中心には、どこかで拾ってきたであろう場に合わない派手なピンクのテーブルが、ドシン、と置かれている。少年はその上で胡坐を掻いて、手にあるお札を数えていた。
「んーと、ひいふう、みい、よ……」
茶色と金色、どちらか見分けがつかない色のツンツンした髪は襟足だけ伸ばされていて、何か中途半端な髪型だった。顔立ちは整っていて、その吊り上がった目尻と八重歯が、どこか彼を挑発的に見せている。色あせたTシャツ、ダメージの入ったジーンズはシワが多くて、洗濯はしていても長い間干されていないようだ。
「とお……っと。うし、きっちりばっちり一万円だぜ」
そうやって彼曰く「二か月分の生活費。嗚呼、ありがたや」を数え終わった少年の名は真堂守哉。ほぼホームレスみたいな生活を送っているが、れっきとした高校生である。この部屋に鞄や制服が見当たらないのは、駅のコインロッカーに詰め込んであるからだ。つまり、彼の学校の身支度は駅で行われる。
「んっとー。まずは腹減ったな! うん、久々にファミレスでも行くか!」
守哉はお札を握り締めて、勢いよくテーブルの上に立ち上がる。今の彼は「超」がつくほどの上機嫌だ。テーブルの上に立ったせいで天井に頭をぶつけてもちっとも痛くない。
なんたって久々の収入だ。あのヤクザたちがあんな簡単に騙されてくれるとは思わなかった。よし、今度からは彼らを狙おう。
守哉はテーブルから降りて、お札を乱暴にポケットにねじ込みながら住処を後にした。連れなんていない。別の部屋に住んでいるのは、大抵がシャブ中か犯罪者だからだ。ここには頭のイカれたやつが集まっている。そして皆が皆、一人暮らし。
守哉もその例外ではない。しかも本当に大真面目に「一人」暮らしだ。
家族はいる。だが、仕送りしてくれるような家族はいない。それどころか、家族らしいことをしてくれる家族さえ。さらには、彼らがどこで何をしているか、いや、生きているのかさえも分からない。そして守哉は彼らを家族だとは思っていない。三ヶ月前、彼らに捨てられてからはずっと。
すっかり暗くなった夜道を、リズム感溢れるステップで守哉は進む。自給自足の生活は前向きでないといけない。
なら、そんな彼がなぜ学校に通っていられるか。いや、家族がいなくても学校には行ける(一応、守哉に書類上の保護者はいる)のだが、問題なのは彼の通う高校の学費の高さだ。都内の高学費トップスリーに入る私立高校、茜音学園。そこに一文無しの守哉が通学できるのは、彼がそこで「特例」扱いされているお陰だ。
そういうことで、守哉に学校の面での心配はない。あとは生活面の金銭的な事情だが、それについては今回のように頭の悪い輩相手に詐欺を働くことで金を稼いでいる。ちなみに、この金稼ぎの方法には守哉自身が決めた二つのルールがあり、一つは、「一生懸命働いて稼いだ金は取らないこと」、つまり、チンピラや不良以外には手を出さない、ということである。もう一つは、「大金は騙し取らないこと」。守哉がやっていることは生活費の収集であり、それ以上の欲求を満たすための詐欺行為ではない。相手がどんなに人間として腐っていても、その人から何もかも奪って良い理由にはならない。騙し取る金は最小限に、これが基本である。守哉はこの二つの条件はどんなことがあっても守る。だからオヤジ狩りや団体を狙った詐欺はしない。
「ふっふーん、デミグラスペッパーハンバーグ洋食セット価格六百円が俺を呼んでいる~」
こんなめちゃくちゃな生活でも、守哉は十分満足している。いや、満足というよりは妥協に近いかもしれない。自分のような人間には、こういう社会のゴミみたいな生活がお似合いだと思っているからだ。




