8.切り込んできた女
およそ二時間弱の上映時間を終えて、劇場からエントランスホールへと引き返してきた刃兵衛と晶姫は、それぞれ違った表情を浮かべていた。
「やぁ~ん……もう、キュンキュンしちゃったよぉ~……っていうかもうさぁ、最高なんだが? 大しゅきなんだが?」
推しの主演俳優がアップになって大写しになっているパンフレットを抱き締めながら、晶姫はひとり悶えていた。今にも尊死しそうな勢いだった。
対する刃兵衛は、思いの他ストーリーに引き込まれてしまった自分に新たな発見を見出した気分だった。
(え……嘘やろ。僕、アニメ以外でも結構、イケるクチ?)
実写映画など所詮は三次元の世界だ、などと内心で小馬鹿にしていたのだが、観終わった際には出演の皆様御免なさい僕が悪う御座いましたと、密かに謝り倒していた刃兵衛。
そうして余韻に浸りながら、ふたりは映画館を出た。
そのまま大勢の鑑賞客の流れに沿う形でショッピングモールのフードコートへと足を向けると、美味そうな匂いが幾つも流れてきたところで途端に腹の虫が鳴り始めた。
「お腹減ったねぇ……笠貫、何か食べよっか?」
いいながら晶姫が当たり前の様に真横に顔を向け、そして一瞬、怪訝そうな様子で眉間に皺を寄せる。そして思い出した様に目線を下に向けた。
どうやら他の男性と同じ感覚で目線を真横、水平方向に走らせたのだが、そこに同伴していた男の顔が無かったから戸惑ったのだろう。
「あ、そうか……笠貫って、アタシよりちっこいんだった……」
「はい。素の状態で既に10cm程、差が御座います」
刃兵衛が身長150cmなのに対し、晶姫は161cm。もうこの時点で若干晶姫の方が目線を下に向けなければならないところだった。
更に今日は、晶姫がまぁまぁ厚底のショートブーツを履いている為、身長差が余計に広がっている。傍から見れば間違い無く、姉・晶姫と弟・刃兵衛という構図であろう。
「ま、まぁ良いや……兎に角、何か食べよ! アタシもう、お腹ぺっこぺこ~」
などといいながら、ふたりはフードコートの一角にテーブルを確保し、晶姫がファストフードのハンバーガーセット、刃兵衛がラーメン屋の餃子セットをそれぞれゲットしてきた。
「ってか、笠貫さ……デートの最中にニンニクたっぷりの餃子って……」
「え……これ、まさかのデート扱いなんですか……?」
幾分驚きの晶姫に対し、刃兵衛は心の底から驚愕して唖然となった。
「いや、っていうかさ……そこ、そんなに驚くとこ?」
苦笑しながら、柔らかなバンズにかぶりついた晶姫。
一方の刃兵衛は、
(驚かん方がおかしいでしょ)
などと内心でひとり、ぶつぶつと文句を垂れていた。
「けどさ、こうして見ると笠貫って、やっぱ結構しっかり食べてんじゃん。もっとたくさん食べて、大きくなるんだよぉ~?」
「何かもう、手遅れの様な気がしないでもないですけどね……」
刃兵衛の観測では、自身の成長期はもう終わっている様な気がしてならなかった。仮に今から伸び始めたとしても、晶姫に追いつけるかどうかといったところであろう。
それにしても、周囲から浴びせられる視線の多さは午前中よりも更に多くなっている。そのほとんどが、若い男性のものからであった。
晶姫の色香はとても高校一年の女子高生とは思えない程に成熟しており、黙っていれば大学生でも通用するのではないかとすら思える。
そんな視線の雨の中、ふたりは腹ごしらえを終えて、午後の予定へと切り替えた。
昼からは晶姫が前々から行きたがっていたコスメブランドの幾つかの店舗を廻りたい、ということだった。
そんな彼女に、刃兵衛は淡々とついて行く。晶姫は本当に嬉しそうに、コスメティックアドバイザーとのやり取りを楽しんでいた。
そうして気に入った品を幾つか買い込んでから、ふとゲーセンの近くを通りがかった。
「あ、ねぇ笠貫! プリクラ撮ってこうよ!」
「え……僕、顔出しNGなんで」
刃兵衛が渋ると、晶姫はぷっと可愛い笑顔で噴き出した。
「んもう、ナニ芸能人みたいなこといってんのさ……ほらほら早く、あそこ空いてる」
結局刃兵衛は強引に手を引かれ、最新プリクラ機の撮影エリアへと引きずり込まれた。そして流れる様に撮影開始。
やがてひと通り撮影し終えたところで晶姫が、
「わぁ~、良いカンジじゃん……笠貫って結構、バエる顔してんのね」
などと感心しつつ『カサミキしか勝たん』と書き込んで、キラキラにデコっていた。
そうして完成したプリクラのうち、半分を刃兵衛に手渡してきた。
「はい、これ! ちゃんとスマホに貼るんだよぉ?」
「仰せのままに、女帝陛下」
これも命令なのかと理解した刃兵衛は、その場ですかさず平伏しそうになったが、晶姫が慌てて止めた。
その後、ふたりは近場のカフェへと足を運び、少し休憩。
実のところ刃兵衛は然程に疲れてはいなかったが、晶姫が若干くたびれた顔色を見せていた為、刃兵衛の方からお茶にしましょうと誘ったのである。
「はぁ~……ナイスタイミング。笠貫って案外、デート慣れしてる?」
「デートはしませんが、恩師に従ってお茶屋を探すことならよくありまして……」
そんなことをいいながら、刃兵衛はウェイトレスが運んできたオレンジジュースで喉を潤し始めた。
と、ここで今日初めて晶姫が真剣な面持ちで、テーブルの差し向かいから刃兵衛の顔を覗き込んできた。
「もうそろそろ良いかな……あのさ笠貫、教えて欲しいこと、あるんだけど」
この瞬間、刃兵衛は緊張を覚えた。晶姫のいつにもなく真面目そのものな表情に、何かがあると直感したのである。
「ほら、あのさ……コンビニ強盗やっつけた時とか、こないだアタシを屋上の下んところで助けてくれた時とかさ……何か凄い格闘技? みたいなの、使ってたじゃん。あれってさ、一体何て技?」
遂に来たか――刃兵衛は奥歯をぎゅっと噛み締めた。
この日のデートらしき日程は、きっと刃兵衛の油断を誘う為の偽装工作だったに違いない。
これが恐怖の女帝の真の狙いだったのか。
矢張り、油断ならぬ相手だ。
刃兵衛は恐怖で震えそうになるのを、懸命に堪えた。