6.土下座する少年
放課後。
刃兵衛は校舎屋上へと続く最上階の階段踊り場で、晶姫と相対していた。
晶姫は、本当に来てくれたんだとか何とか、よく分からない台詞を口にして変に感激している。
一方の刃兵衛、もう生きた心地がしなかった。この恐怖の女帝が一体何を要求してくるのか、分かったものではなかった。
彼女は依然として、コンビニ強盗を制圧した時のことを誰にも喋っていないらしい。ということは即ち、切り札を握っているのは彼女の方だ。
これに対して刃兵衛はただ、相手の出方を待つしかない。心臓がぎゅっと握り潰される様な息苦しさを覚えながら、彼はひたすらに晶姫の桜色の唇を凝視していた。
ところが晶姫が台詞を発する前に、階段下方から野太い声が響いてきた。別のクラスか、別の学年と思しき男子数名が、にやにやしながら階段を上ってきたのである。
「よぉ晶姫ぃ~。おめぇここに居たのかよ……なぁ、この後どうだ? 久々にヤろうぜぇ。最近会ってなかったしよぉ、結構溜まっちまってんだよなぁ」
「あ、俺も俺も~」
見知らぬ男子生徒らは全部で四人。いずれも見るからに陽キャで、声と主張の大きさで周りを黙らせるタイプらしい。
しかしそんな連中など、どうでも良かった。今の刃兵衛は晶姫の唇の動きだけが重要であり、四人の闖入者の登場など端から眼中には無かった。
一方の晶姫は、少しむっとしている。彼女は、突然割り込んできた四人の男子生徒らが肩や腰に触れようとするのを、必死に払いのけていた。
「んもぅ……ちょっとやめてよ。アタシ今、そんな気分じゃないっていうか……もう、アンタ達とヤりたいって思えないんだけど」
「はぁ? 今更何いってんだよ、このクソビッチが。ちょっと顔が良いからって調子こいてんじゃねぇぞ」
四人の中で最も力が強そうな、恐らくリーダー格と思しき長身の茶髪男子が晶姫の顎を掴んで、強引に自身の方に顔を向けさせた。
晶姫は残る三人に肩や腕を抑えられてしまっており、何とか必死の抵抗を見せようとしていた。
だが、そこで動いたのは刃兵衛だった。
「あの……その手、ちょっと放して貰えます?」
「あぁ? 何だぁおめぇ? シケたチビ野郎だな……ボコられたくなかったら、とっとと消えろ。お呼びじゃねぇんだよ」
だがその直後、その茶髪リーダー格の男子生徒はその場にうずくまってしまった。
晶姫の唇の動きを必死に追いかけようとしていた刃兵衛が半ば反射的に、鋭い拳打を相手の脇腹付近に叩き込んでいたのである。
「だから邪魔なんですって……女帝陛下の唇の動きが分かんないじゃないですか。お願いですから、余計なことしないで下さい」
「な……何だてめぇ、この野郎!」
すると、残り三人が一斉に襲い掛かってきた――が、いずれも僅か一撃ずつで沈めた。はっきりいって、我天月心流の敵ではなかった。
打ちのめされた四人は、げぇげぇと胃液を吐き出している。刃兵衛が打ったのは所謂、肝臓だ。ここに強烈な打撃を喰らうと、人間は苦しさの余り立ち上がれなくなってしまう。
ボクシングのボディブローが、その良い例だ。プロボクサーでさえ、この部位に必殺の一撃を喰らうとダウンしてしまう。それが何の訓練も受けていない高校生ともなれば、尚更であろう。
一方の晶姫は呆然と、倒された四人と、そしてじぃっと彼女の唇にだけ視線を送っている刃兵衛の顔を、何度も見比べていた。
「笠貫……やっぱアンタ、めっちゃ強いんじゃん……」
「え? 僕が何ですって?」
晶姫に妙なことをいわれて、刃兵衛は漸く、我に返った。そして、踊り場の足元で苦悶にのたうち廻っている四人の見知らぬ男子生徒らをぎょっとした表情で見つめた。
「あ……えぇぇぇぇ? 嘘っ……もしかして僕がやっちゃいました?」
「うん……さっき、思いっ切り笠貫が一発KOしまくってたよ……覚えてないの?」
思わず刃兵衛は、御冗談でしょう、などと口走ってしまった。
それ程までに彼は、晶姫の唇の動きに集中し過ぎてしまっていたのだ。こういう時の刃兵衛は、余計な邪魔者が現れたら無意識のうちに排除してしまう癖があった。
今回もまさに、その悪癖が露呈した格好となっていた。
「ああああああああ……ど、どどどどどどうしましょう……」
「もう、何ひとりで勝手にキョドってんのさ……それより、変な邪魔入っちゃったから、場所変えよ?」
晶姫は刃兵衛の手を引いて、急ぎ足で階段を下りてゆく。
背後の踊り場では、尚も四人の男子生徒らが苦しげに呻き、ひたすらのたうち廻り続けていた。
刃兵衛は内心で御免なさいと平謝りに頭を下げつつ、晶姫に導かれるまま、校舎裏の非常階段口まで連れて行かれた。
「ふぅ……ここなら、多分大丈夫だね」
「僕にとっては、どこも危険地帯なんですけど……」
ぼそっと呟いた刃兵衛。
晶姫と一緒に居る場所は、いつでもどこでも第一級危険区域だ。要は晶姫自身が最大の脅威なのだ。
しかしそれを、面と向かって本人にいう訳にはいかない。何とも、もどかしい話だった。
「あのぅ、それで、僕は何をしたら良いんでしょう……」
「あ、それなんだけどさ……後半の連休って、ヒマ?」
妙な問いかけだった。
これはもしかすると、口止めの代わりにパシリをやらされる流れだろうか。しかし、今の刃兵衛には拒否権など当然あろう筈も無い。
彼はただ黙って、平服しながら仰せのままにと答えるしか無かった。
「こ、後半連休、確かに空いてございます故……どうか、どうか命だけは平にご容赦を……」
「いや、だから、何でそういう発想になっちゃう訳?」
土下座している刃兵衛の頭上から、心底呆れかえった声が降ってきた。