28.令嬢参上
遠足からの帰り道、晶姫から劉輝の話を聞かされた愛梨子は、大変だったねぇと小さくかぶりを振った。
「それにしても、何かと噂のあのイケメン先輩ね……ちょっと面倒臭そう」
帰りの電車内、吊革に掴まって揺られながら、目の前のベンチ式シートに腰を下ろしている晶姫にどこか同情めいた笑みを向けた愛梨子。
ところが晶姫は、そんな余裕かましてる場合じゃないと渋い表情を返してきた。
「何かさ……あのナルシー、リコのことも狙ってたみたいよ」
「マ? それ超面倒なやつじゃん」
愛梨子は心底嫌そうな表情をその美貌に張り付けた。
ここ最近、自分でも随分と変顔を披露する機会が増えた様な気がしていたが、劉輝に絡まれるとなれば、その回数は劇的に増加するのではないかと思われた。
「っていうかそもそもさ、お師匠のこと何も知らない癖にあれこれいわれんの、超腹立つよね」
「うん、アタシもそれ思った。何でああいうオトコって、あんなにアタマ偏ってんだろね」
唇を尖らせて、鼻の頭に皺を寄せた晶姫。
と、ここで愛梨子は隣に立っている刃兵衛に視線を巡らせた。刃兵衛は何も考えていない様子で、ぼーっと車窓の外の景色を眺めている。
「んでお師匠。勝負って、何やらされんの?」
「えー、何も聞いてないですよー。大体そもそも論になるんですけど、僕それ受けやんといかんのですか?」
物凄く面倒臭そうな顔つきで視線を返してきた刃兵衛。
愛梨子は人差し指を自身の顎先に添えながら、そぉねぇと小首を傾げる。
「別に無理して受ける必要は無いけど、受けなかったら受けなかったで、ずーっと付き纏われるんじゃないかしら?」
「あー……それもそうっすね」
刃兵衛は漸く諦めた様子で、軽く項垂れながら大きな溜息を漏らした。
とはいえ、劉輝がどんな勝負を挑んでくるのは、何となく予想は出来た。
恐らく、バスケットボールで勝負させろとか何とかいってくるのではないだろうか。
「ああいう奴ってさ、大体自分の得意分野でしか勝負しようとかいわないよね」
「マジでウケるよねー。それで負けたら大恥かくの自分だっつーの」
そういう部分で、男というのは本当に短絡的で思慮が足りない、と愛梨子は思う。
相手の得意分野に自ら挑むのであれば、例え負けても自分が不利だったということでいい訳は出来る。
しかし己の得意分野での勝負を相手に強制した上で、それで負けてしまったら自身が受けるダメージは遥かに大きい。
得意分野ならば絶対に勝てるという根拠の無い自信を持つ男の、何と多いことか。自分が負けるかも知れないというケースを考えていないのだろうか。
「ま、ああいうナルシーは自分が勝つことが前提なんじゃない?」
などと笑う晶姫。
愛梨子も全くの同感だった。
◆ ◇ ◆
その翌週、月曜日。
本当に劉輝はバスケットボールで勝負を挑んできた。余りにも予想通り過ぎて、愛梨子はもう笑うしかなかった。
放課後の体育館、大勢のギャラリーが見つめる前で、劉輝は大声で刃兵衛にルールを説明し始めた。
要は、スリーポイント合戦だ。
一定時間以内に何本のスリーポイントシュートを決められるか。単純に数の多い方が勝ちという極めてシンプルなルールだった。
しかしその勝負を、素人の刃兵衛に対してバスケ部エースが堂々と申し込むというその時点で、もう色々と残念な頭の持ち主だということを自ら露呈した様なものであった。
これで仮に勝ったとして、何の値打ちがあるだろう。勝って当たり前の勝負で素人を叩きのめしたところで、恥ずかしいだけだというのが分からないのだろうか。
「えぇと、フォームとかは別に気にせんでも良いんですよね?」
「勿論だ。好きな様にシュートを打てば良い……それで決められるんならな」
鼻で笑う劉輝に、刃兵衛は愛梨子を手招きして呼び寄せた。
「すんませんけど、僕の手番になったら、そのケージん中のボール、次から次へとぽいぽい僕の方に投げてくれません? 時間節約したいんで」
「え? あ、うん、良いけど……」
愛梨子は刃兵衛の意図がよく分からなかったものの、それでも指示に従うことにした。
そして、勝負が始まった。
劉輝は流石にバスケ部のエースだけあって、多少のミスショットはあるものの、かなりの精度で次々とスリーポイントシュートを決めていった。
他のバスケ部員では到底叩き出せないスコアを余裕で披露した劉輝は、自身の手番が終わった時点で早くも勝利を確信していた。
「これで勝負ありだな。お前が負けたら、晶姫と愛梨子を解放して貰うぞ」
「えーっと、まぁ何でも良いですけど、さっさと終わらせましょ」
次いで、刃兵衛の手番。
ここで信じられないことが起きた。
刃兵衛はまともなシュートフォームを取らず、愛梨子がケージから放り投げるボールを次々と無造作にゴールへと投げ、その全てを完璧に決め続けた。
一本のミスも無い上に、わざわざシュートフォームを取らずにただ無造作に投げているだけだから、そのシュート速度は劉輝の倍以上の速さを誇った。
「ば……馬鹿な!」
劉輝は顔面蒼白で声を裏返した。
刃兵衛が叩き出した記録は、劉輝の12本に対し、29本という圧倒的な数字だった。
呆然とする劉輝。静まり返る体育館。
そんな中で刃兵衛は、やれやれと小さくかぶりを振りながら体育館玄関口へと去ってゆく。その隣に、愛梨子が慌てて駆け寄ってきた。
「お師匠、やっぱりアレって、カンフーの為せる業?」
「いやだから、カンフーちゃいますって」
刃兵衛は渋い表情だったが、しかし我天月心流で習得した体術を応用したことは間違い無さそうだった。
「あのお兄さんのシュートの動き見てて、筋肉の作用と速度から大体目星つけてたんです。後は実際に持ったボールの重さと距離で、全部計算出来ました」
我天月心流は暗殺拳の一面を持つ。
針の穴を通す様な正確さと、疾風の如き速さで敵を仕留める為には、彼我のどの様な動作の違いでも、瞬時に見抜けなければならない。
刃兵衛は劉輝の動きと己の動きの違いを瞬間的に分析し、スリーポイントラインからどう投げれば確実にボールをゴールに放り込むことが出来るのかを完璧に叩き出したのだという。
「ルールありきでのバスケットボール勝負なら勝ち目ありませんでしたけど、ただシュート決めるってだけでフォームも何も関係無いなら、幾らでも勝てますって」
「……成程、さっすがお師匠」
愛梨子は我が事の如く、誇らしげにHカップの大きな胸を張った。
と、その時。
「凄かったね、あの劉輝に勝つなんて……えっと、笠貫君、で良いのかな?」
体育館の玄関口で、深窓の令嬢の様なおしとやかな美人がふたりを待っていた。