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2.絶望と恐怖の女帝

 それからしばらくして、コンビニ店員の通報で駆けつけてきた警察署員らが未だ意識が朦朧としている強盗を現行犯で逮捕し、諸々の手続きを進めていった。

 その一方で刃兵衛と晶姫、コンビニ店員、更には目撃者となったふたりのクラスメイト男子らが、店内や駐車場、或いは路上といった、それぞれ離れた場所で聴取に応じる形となった。

 特に刃兵衛に対する聴取は時間がかかった。

 対応に当たった警察官は非常に物腰が柔らかく、丁寧な語り口調で色々と訊き出してきた。

 彼は、刃兵衛がコンビニ強盗を制圧するに際して、違法性が無かったかを確認している様だ。必要以上の攻撃は暴行罪に当たる可能性があったが、しかし結局のところ刃兵衛の攻撃は晶姫を守る為でもあったことから、お咎め無しという結論に至った。


(あぁ……もう一挙放送、始まってしもとるがな……)


 何もかもが最悪だった。

 クラスメイトには我天月心流を駆使した接近戦の一部始終を目撃され、楽しみにしていたアニメの一挙放送は初回どころか、数話分に亘って完璧に見逃してしまった。

 高校生活最初のゴールデンウィークは、地獄の様な夜で幕を開ける格好となった。

 死にそうな顔で聴取に応じていた刃兵衛だったが、この時の彼の顔は本当に生ける屍の如く、無表情で茫漠としていたことだろう。

 やがて長かった聴取も終わり、応対に当たっていた警察官は背筋を伸ばして綺麗な敬礼を贈ってくれた。


「ご協力、ありがとうございました。今回の件は上とも相談してからの結論となりますが、恐らく感謝状が贈られることになるでしょう。また後日改めて御連絡差し上げますので、その折はどうぞ宜しくお願いします」


 刃兵衛よりも遥かに年長の警察官は、兎に角腰が低くて丁寧だった。

 こんな優しいひとも居るんだと、刃兵衛は疲れ切った表情の裏で少し感心する思いだった。


(今日はもう、帰って寝よ……)


 何もやる気が起きなかった刃兵衛は、のろのろと引きずる様な足取りでマンションに戻ろうとした。

 ところが――。


「あ、ねぇ、ちょっと待って……笠貫! 笠貫ってば!」


 誰かが呼びかけながら、追い縋ってくる気配があった。

 振り向くと、晶姫が嬉しそうな笑みを浮かべながら急ぎ足で歩を寄せてくる。相変わらず綺麗なひとだなと思う一方で、彼女が刃兵衛の高校生活を恐怖のどん底に叩き落とす冥途の使者の様に思えた。

 というか、まさに晶姫こそ刃兵衛にとっての天敵といって良いだろう。

 陽キャでパリピで、多くの男子生徒らと仲が良く、スクールカースト内では上位に位置する晶姫。そんな彼女が今宵の一件を黙っている筈が無い。

 絶対にあちこちで吹聴して廻る筈だ――そう考えると、もう一刻も早く彼女の前から逃げ出し、今後一切関りを持ちたくないと思った。

 しかしここで変に逃げ出せば、それはそれで要らぬ軋轢を生むかも知れない。下手をすれば面倒な因縁をつけられ、徹底して搾取してくるだろう。

 そんな最悪の状況だけは何とか避けたい。

 刃兵衛は絶望的な気分の中で駆け寄ってくる晶姫の接近を、ただじっと耐えながら待つしか無かった。

 対する晶姫は、振り向いて立ち止まったままの刃兵衛の前まで来ると、やけに気恥ずかしそうな、照れた表情を浮かべながら頭を掻いた。


「あ、あのさ、笠貫……その……さっきは……えっと……ど、どうも、ありがとう……」


 美貌を彩るはにかんだ笑みは、普通の男子ならば一瞬で心を撃ち抜かれ、彼女の虜となっていだだろう。

 しかし刃兵衛は違った。

 この時の彼の目には、晶姫の感謝の念が滲む微笑は人生を闇色に染めるであろう恐怖のプロローグにしか映らなかった。


(あ……もうあかん。僕の高校生活、完璧に終わってしもた……)


 刃兵衛は絶望の十乗ぐらいの壊滅的な心境で、晶姫の妙にもじもじした姿を漠然と眺めていた。

 と、そこへ何人かの男子生徒らが駆け寄ってくる姿が見えた。

 最初にコンビニ内で遭遇した連中だ。

 一部は警察からの事情聴取も終わり、漸く自由の身になったのだろう。残りの面々は事件発生時点から店外へと逃走していたが、警察が駆けつけてきたことで終息を知り、引き返してきたものと思われる。

 そのクラスメイト男子共は一様に晶姫の周囲にだけ集まり、必死に彼女の安全を喜んでいる風に見えた。


「よぉ美樹永、オマエ大丈夫だったんだな」

「いやマジでビビったけどよ……晶姫ちゃんが無事で何よりだったぜ」


 口々に彼女の身の安全を喜ぶ男共。

 だがこれは、好都合だ。

 刃兵衛はその隙に踵を返し、晶姫の前から逃げ出そうとした。

 が、出来なかった。

 どういう訳か晶姫が刃兵衛の手を取って、その場に釘付けにしようという構えを見せていた。その端正な面は周りの男子共など眼中に無いといった様子で、ただひたすら刃兵衛の顔だけを見つめてきた。


「え、何だよ美樹永……そんな奴ほっといて、早くカラオケ行こうぜ……何だったら、俺が慰めてやっからよ……絶対気持ち良くしてやっからさ……なぁ、久々にヤろうぜ?」


 ひとりの男子が晶姫の手を掴み、刃兵衛と引き離そうとした。

 ところが晶姫は、逆にその手を払いのけた。


「何チョーシの良いこといってんの? アタシがマジでヤバかった時、アンタが誰よりも早くソッコーで逃げてったよね。あんなタマ無しなことしといて、もう忘れたんだ?」


 その辛辣なひと言に、背の高いクラスメイトの男子の表情が愕然と凍り付いた。

 一方の晶姫は相手のそんな反応などお構いなしに、刃兵衛の小柄な体躯にそっと身を摺り寄せてきた。


「ね、笠貫……良かったら、ちょっとお話しない? アタシ、雰囲気良いカフェ、知ってんだけど」


 晶姫の視線は、ただ刃兵衛の横顔だけに注がれていた。

 ああ、もう駄目だ――刃兵衛の心に再び絶望が圧し掛かってきた。

 この地獄の女帝は何が何でも、彼を闇の底に引きずり下ろすつもりなのだ。

 どうやら、人生というものは余程過酷に出来ているらしい。

 刃兵衛はもうこの場にしゃがみ込んで、大いに泣きはらしたかった。

 だが流石にここでは、そんなことは出来ない。ひとの目というものもある。マンションに戻ってひとりベッドに潜り込み、ひっそりと泣きながら夜を明かすしか無いだろう。

 とはいえ、今はまだそれも出来ない。

 この暴虐にして恐怖の象徴たる目の前の美女から、如何にして脱出を図るか。

 今の刃兵衛はただひたすら、己の身の安全を守り抜くことだけに全神経を集中させるしか無かった。

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