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14.パニくった女

 刃兵衛に問い返された晶姫は、おずおずと人差し指を上げて、逞しい二の腕をそっと指差した。

 これに対し刃兵衛は、今ひとつピンときていなさそうな顔つきで眉間に皺を寄せていた。


「え? 腕? 腕ですか?」

「えっと……あとは背中とか、その、む、む、胸とか……」


 晶姫は自分でも分かる程に頬が上気しており、視界がぐるぐると廻る様な感覚で、気がすっかり動転してしまっている。

 それでも刃兵衛の鋼の様な筋肉を触りたいという欲求は絶え間なく湧き起こっており、もし拒否られでもしたら頭がおかしくなってしまうのではないかとすら思えた。

 そんな晶姫に対し、刃兵衛は依然として訝しげな表情ではあったが、別段嫌な様子も見せずに頷いた。


「えぇ、まぁ、良いですよ。汗べっとべとでも文句いわないで下さいね」


 寧ろそれは、晶姫的には御褒美だった。逞しい男の汗の匂いなんて、そうそう滅多に嗅げるものではない。

 ごくりと喉を鳴らしてからゆっくりと立ち上がった晶姫は、そろそろと慎重に歩を寄せて、震える指先を刃兵衛の引き締まった二の腕へと差し出した。

 そして触れた瞬間、晶姫の全身に何万ボルトもの電流が走ったかの様な衝撃が貫いていった。

 硬い、堅い、固い。女子の脂肪だらけの二の腕とはまるで段違いだ。

 これまで、体を重ねた男の腕に何かの拍子で触れたこともあったが、それでもこの戦闘に特化して鍛えられた筋肉の独特の硬さは、経験したことが無かった。

 次いで晶姫は、刃兵衛の胸板へと掌を押し当てた。何という弾力、何という肌触り。

 もう何時間でも触っていたい様な感触が掌を通して伝わってくる。筋肉って、こんなに凄かったんだと再発見した気分だった。


「っていうか美樹永さん、何か触り方がエラいスケベなんですけど」

「え? あ……ご、御免! ちょっと、興奮しちゃってて……!」


 それ普通逆でしょ、男が女に触る時の話でしょ、などと刃兵衛が不思議そうに眉を顰めたが、晶姫はそんなことは無いと全力で否定した。


「お、オンナだってね、オトコのかっちこちに鍛えられた筋肉に触れたら、すっごくエロい気分になっちゃうんだよ……」

「いやちょっと、やめて下さいよ。ひとん家で無闇に欲情するなんて」


 刃兵衛に釘を刺された晶姫は、ああそうねと我に返らざるを得なかった。

 流石にこんなところを他者に見られたら、気まずいどころの話ではない。完全に痴女だ。ただの変態だ。

 同学年とはいえ、刃兵衛の見た目は中学生だ。そんな相手に女子高生が嫌らしい顔で触りまくっている図は、ちょっと洒落にならない。


「あ……えぇと、はい。もう、じっくり、堪能しました。ご馳走様でした」


 何だかんだでしっかり筋肉の感触を味わった晶姫は、ぎこちない動作で席に戻った。

 対する刃兵衛は尚も妙な顔つきのまま、ティーポットからカップに熱い紅茶を注いだ。


「んじゃあ、本題に入りましょうか……えっと、美樹永さんの彼氏さん、今どういう状況なんですか? 僕が美樹永さんと一緒に色々やってて、問題無い状態なんですか?」


 刃兵衛は何の容赦も無く、ずばっと切り込んできた。

 これが恋バナでしょっちゅう盛り上がっている女友達ならもっとオブラートに包んだいい方をしてくるのだろうが、この辺の経験がほとんどというか、全く無いらしい刃兵衛にはそういった気遣いは出来ないのだろう。

 しかし今回に限っていえば、晶姫には有り難い対応だった。

 変に気を遣われてしまうと、余計に話しづらくなってしまう気がしていただけに、刃兵衛の鋭い切り口には寧ろ感謝したい気分だった。


「えぇっとね……ぶっちゃけいうと、もう彼氏じゃないの」

「え? でも昨日、めっちゃ濃厚なキスしてましたよね」


 そこまではっきりいうかと、晶姫はつい苦笑を浮かべた。普通もっと気を利かせてぼかすものなのだが、刃兵衛はずばずばと明瞭に表現し続けた。


「うん、そうだね……すっごくアツアツのキスしてました。でもね、あれは、違うの。あっちから強引に……っていっても、アタシも何だかんだと受け入れちゃったんだから、そんなのはいい訳にならないね」

「ん? いや別に、キスしたことが悪いとはいってないじゃないですか。そらぁ彼氏さんとキスぐらい、するでしょうに」


 刃兵衛のこの返しには、晶姫は少し胸の奥が疼いた。晶姫が勝手に罪悪感を覚えていただけの話であり、刃兵衛はまるで気にしていなかったのだろう。

 そのことが晶姫には悲しかった。本音をいえば、少しぐらい嫉妬して欲しかった。

 が、刃兵衛は晶姫にオンナとしての好意を抱いていないのだろうから、これは晶姫の勝手な想いに過ぎない。そもそも刃兵衛のこの異性を意識しない物いいこそが、晶姫の安心感の根源なのだから、ここで晶姫が文句をいうのは筋違いというものだろう。

 それは晶姫自身も理解しているつもりだったが、それでも矢張り、寂しいものは寂しい。

 自分でも驚いたのだが、晶姫は刃兵衛に対しオトコを感じ、そして自分のオンナを感じて欲しいという望みを密かに抱いていたのかも知れない。

 明らかに矛盾する感情ではあったが、しかしこれは認めなければならないだろう。

 だが今は、晶姫の心の内の話をしている場合ではない。刃兵衛に、勇也との関係はすっぱり切れたという事実を正確に伝える必要があった。

 そこで晶姫は、多少の脚色を加えることにした。


「えっとね……うん、そう、あれは、お別れのキスだったの。もうこれでお互い、すっぱり別れましょうねっていう……そんな感じの、最後のキス」

「へぇ……そうなんですか。何か見た感じ、バリバリの現役恋人同士みたいな感じでしたけど……まぁ、僕にはよく分からない世界なんでしょうね。その、現実の恋愛ってのは」


 刃兵衛、中々鋭い所を衝いてきた。

 対する晶姫は内心で冷や冷やしながら、あはははと乾いた笑いを返すのが精一杯だった。


「うん、まぁ、そうだね……アレでお互いケジメをつけたから、今後はもうオトコとオンナじゃなくて、ただの知り合いってことになった訳」


 何とも苦しい論理展開だが、幸い刃兵衛は恋愛経験ゼロらしいので、このまま正面突破を図るしかない。

 その晶姫の期待に沿う形で、刃兵衛は尚も不思議そうな面持ちながら、一応は納得した様だ。


「まぁ、それなら別に良いんですけどね……後になってから、アレやっぱり嘘でしたってのだけは勘弁して下さいよ」

「あぁ、無い無い。それは絶対無いから、大丈夫だよ」


 実際晶姫は、もう二度と勇也の顔は見たくないと思っていた。

 逆に刃兵衛とは、これからもっと色んなことを話したい、一緒に楽しいことを経験したいと思えた。

 尤も、刃兵衛の方が晶姫に対して、そんな感情を抱いてくれているかはまるで分からないのだが。


「うん、そうですね……大体訊きたいことは訊けましたんで、もう良いです。んで美樹永さん、話全然変わるんですけど」


 ここで刃兵衛はいきなり自身のスマートフォンを取り出した。その画面上に、晶姫の推し俳優が映し出されていた。


「ほら、昨日観た映画……アレと同じ監督さんが、同じ俳優さん起用してケーブルTVのオリジナルドラマ作ってるらしいんですよ。知ってました?」

「マ? え、嘘? それ初耳なんですけど!」


 まさかの問いかけに、晶姫は頭の中が色々な意味でパニくった。

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