13.ギャップ萌えの女
店内で幾つかの買い物を済ませた刃兵衛は、コンビニ店外の駐輪場エリア前でぽつんと佇んでいる晶姫の元へと歩を寄せた。
何人かの若い男性客が彼女にちらちらと視線を送っていたが、晶姫は待ち合わせを装っているのか、しきりにスマートフォンを弄って他者からの目を無視する様な動きを見せていた。
「あー、お待たせですー」
「あ、わざわざ、御免ね……」
刃兵衛は内心で小首を傾げた。
晶姫は昨日の午前中の時点までは、刃兵衛の中では完全なる支配者側の人間、女帝陛下だった。
その後、晶姫の買い物に付き合ったり一緒に映画を観たりなどするうちに、やっと彼女への恐怖心が収まったところである。
だから今では、刃兵衛と晶姫はほぼ対等の立ち位置にいるともいえるのだが、今日の晶姫はやけに気を遣っている様にも思えた。
その点が、刃兵衛にはどうにも理解不能だった。何をそこまで、下手に出る必要があるのだろうか。
しかし最大の謎は、昨日の元カレっぽい人物との関係だ。本当に今日、晶姫がこんな所に居て良いのだろうかと気になって仕方が無い。下手をすれば刃兵衛が横恋慕している構図に見えなくも無かった。
後で余計な因縁を付けられても困るから、矢張りここははっきりさせておいた方が良いだろう。
「えっと、それで、どんなご用件でしょう? 美樹永さんはもう良いっておっしゃいますけど、僕だって変な因縁つけられんのは真っ平なんで、昨日の彼氏さんとのこともちゃんとしておいて欲しいんですね」
この刃兵衛の申し入れに対し、晶姫は何故かもじもじと身をくねらせ、妙に顔を赤らめて小恥ずかしそうな態度を見せるばかりであった。
と、ここで刃兵衛も漸く気付いた。こんなデリケートな話を、コンビニ前の立ち話で済ませて良い訳が無い。流石にこれは、刃兵衛の方が無神経に過ぎた。
「あ……ここで話しづらいなら、すぐそこなんで、うち来ます? 兄が在宅やってる最中なんで、あんまりわーわー騒ぐのは駄目ですけど」
「え……い、良いの?」
この時、どういう訳か晶姫の表情がぱぁっと明るくなった。
男兄弟ふたりが住んでいるだけのむさくるしい家に誘っただけなのに、何をそこまで喜ぶ必要があるのだろうか。女子の心理というものが、今ひとつ分からない。
「散らかってて超汚いとこですけど、それで良ければ……」
「あ、うん! 行く! っていうか、行きたい!」
そんな訳で、晶姫を笠貫家にご招待する運びとなった。
◆ ◇ ◆
刃兵衛の自宅は、どこかで聞いたことがある有名ブランドのマンション内にあった。
タワーマンションではないが、設備の整った高級マンションであることは間違いなさそうだ。
(うわ……めっちゃ高そう……)
内装から材質から何から何まで、素人の晶姫が見ても素晴らしく高級だと実感出来る程の装いった。
(ってか、笠貫って実は良いとこのお坊ちゃんだったの?)
ついついそんな発想が湧いてしまった晶姫だが、前を歩く刃兵衛は別段、良家の子女という雰囲気は微塵も感じさせず、普通にのんびりと歩いている。
そして客人という形でお呼ばれした晶姫の方が、妙に緊張してしまって喉がからからに渇いてしまった。
刃兵衛の住居は三階の角部屋に入っているらしい。若干重めのドアを開けた刃兵衛が、晶姫を玄関口へと招き入れてくれた。
「あぁいらっしゃい。刃兵衛のお友達の方ですね」
出迎えたのは、190cmを超える筋肉隆々の巨漢だった。
事前に話を聞いていたから、この人物が異母兄の笠貫厳輔だということはすぐに分かったが、いざこうして実際に顔を合わせてみると、その重圧感は半端無かった。
そしてつい、傍らの小柄な弟と見比べてしまう。
母親は違えど、同じ父親からこれ程に体格の異なる兄弟が生まれるものなのかと、晶姫は内心でごくりと息を呑む思いだった。
しかし、顔立ちはふたりとも何となく似ている。この兄弟は揃って端正な面の持ち主で、兄はマッチョなイケメン、弟は可愛らしい小犬系イケメンだと表現した方が分かり易いだろう。
そんな両極端の兄弟が、ふたりだけでこの高級マンション内の一角に住んでいるというのだから、晶姫は少し次元の違う世界に足を踏み入れてしまった様な不思議な感覚を覚えてしまった。
「あ、適当にゆっくりしてて下さい」
刃兵衛に勧められた晶姫は、広いリビングダイニングで革張りの椅子に腰を下ろした。
そしてここでも思わぬ光景に遭遇。
リビングの一部が防音材と緩衝材とで補強される形でリフォームされており、そこにサンドバッグやトレーニングマシーンなどが幾つも見られた。
何もかもが、普通の一般家庭とは違い過ぎる。刃兵衛が普通ではまず習得する機会が無いであろう殺人術を身につけているというだけでも別次元の話なのに、彼の住まいは更に輪をかけて次元が違った。
一体どんな生活をしているのだろうかと、純粋に興味が湧いた晶姫。
と、そこへ刃兵衛がティーセットとお茶請けの洋菓子をトレイに乗せて戻ってきた。
「すみません、全然片付いてなくて」
「あ、うん、そんな、気にしないで……でも何か、凄く格好良いおうちだよね……」
ついぽろっと感想が口を衝いて出てしまった晶姫。対する刃兵衛は、非常識な家ですよと苦笑を返した。
そしてリビングの内装から刃兵衛に視線を戻した時、晶姫は急に胸が高鳴るのを感じた。
今、テーブルを挟んで差し向かいに座っている刃兵衛はスウェットジャージを脱ぎ、タンクトップとハーフパンツ姿になっているのだが、その剥き出しの腕やチラ見えする胸の筋肉が、まるで軽量級のプロボクサーの様な細くて引き締まった筋肉の鎧を纏っていたのである。
こんなにも無駄のない、それでいて思わず見とれてしまう様な細マッチョだったとは、流石に思いもよらなかった。
これまで晶姫は何人もの男の裸を見てきた。今まで肌を合わせ、体を重ねてきた男達は、ある程度は細身だったり筋肉質だったりする者も居たのだが、刃兵衛程の完成されたバランスの良い筋肉は、ついぞ見たことが無かった。
これが我天月心流習得者の肉体というものなのか――晶姫は思わず、彼の体に触れてみたくなる衝動に駆られた。
「笠貫……めっちゃ良い体、してんじゃん」
「えー? こんなん、兄に比べたらモヤシみたいなもんですよ」
乾いた笑いを返す刃兵衛。しかし晶姫はもう、我慢が出来ない。生唾をごくりと呑み込んで、そっと手を伸ばした。
「ね……ちょっと、触って良い?」
「何をですか?」
刃兵衛は不思議そうな面持ちで、中学生の様なあどけない表情のまま、小首を傾げている。
その顔立ちと徹底的に鍛えられた細マッチョのギャップが、晶姫にはもう堪らなかった。